今日の「天職人」は、岐阜県郡上市明宝の「郡上たも職人」。(平成24年2月11日毎日新聞掲載)
子らが浅瀬を飛び跳ねる 春まだ早い吉田川 ビュンと穂先の唸り声 鮎釣る父に目を見張る 郡上男の誉れなら 竿の捌きも男伊達 釣りの神器は竿魚篭と 鮎肌愛お郡上たも
岐阜県郡上市明宝の郡上たも職人、成瀬博明さんを訪ねた。

工房の壁一面の郡上たも。
「どれ一つ、たもの顔も同じやない」。

博明さんは昭和24(1949)年、名古屋で誕生。
高校を出ると東京の料亭で住み込み修業へ。
「厳しい世界やで、追い回し専門」。
気の短い性格で、わずか1年で棒を折り名古屋へ。
「でも調理が好きやったもんで、今度は友を頼って再び東京へ」。
スナックの厨房に職を得た。
「2年ほどした頃、土建屋の娘と仲ようなって」。
70年に結婚。
一女を儲けたが、わずか2年で離婚。
再び名古屋へ舞い戻り、土建会社に入社した。
昭和49年、秋田出身の真理子さんと再婚。
一女を授かった。
すると昭和53年に、高校時代の友人から誘いが。
「郡上の建設会社で、道路工事を手伝わんかと」。
その途端、子どもの頃の思い出が頭を駆け巡った。
「父が釣り好きで。よく連れられて師崎へ通った」。
直ぐに郡上へと一家で移り住んだ。
翌昭和54年には、郡上竿と魚篭を買い、我流でたも作りも始めた。
「川へ行くと友が出来、釣り名人とも出会う。でも名人たちのたもが皆違う。聞けば各々で作るんだとか」。
教えを請いながら、仕事の合間を縫って、たも作りに明け暮れた。
「3~4年して名人に、たもを見せたけど、鼻に引っ掛けてもくれん」。
その悔しさをバネに研究を重ね、ついに独自の方法を確立。
昭和63年のことだ。
「やっと鮎釣り名人が、一人前と認めてくれたんだて」。

博明さんのたも作りは、カヤやネズなど、形状に個性のある枝を選び、切り出す作業から。
「弾力性があり、北面斜面に自生する、年輪の積んだ面白味(枝の形状)に溢れる枝を、切らせてもらうだわ」。
伐採期は11月~3月頃。
「木の休んどる時が一番ええ」。
竹べらで皮を剥き、火に当て徐々に曲げを加え、固定したまま半年間寝かせる。
「癖のある木は怒り出すで。焦がす寸前で曲げんと」。
直径35~36センチの枝の両端を斜めに切り、組み合わせて接着。
竹の目串で固定し、下地から仕上げまでの漆塗りを、塗り斑を削りながら最低6回、塗っては陰干しを3~4ヶ月繰り返す。
そして木の持ち味を活かした40センチの柄を、枠に対し90~120℃の角度で取り付ける。
次に網目が2ミリの、ヘラブナ用絹糸網を、枠の周りにケプラ繊維で、2センチ間隔延べ450目、手縫いで仕上げる。
深さ25~6センチ。
最後に柄の表面に施主の名、そして裏側に「博作」の控えめな焼印を当てれば完成。
釣り道具店には並ばぬ、博作の郡上たも。
鮎の太公望からの注文が続く。
だが名人に認められ、14年目の平成14年。
急性骨髄性白血病を発症。
治療せねば2ヶ月半の命との宣告を受けた。
4ヶ月間の闘病の末、職場も退職した。
だが幸いにも病は快癒。

今では文字通り、郡上たも一本を生業とする、本物の職人となった。
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今の世の中じゃ中々難しいですが、職を転々としても本当に自分の好きな物に出会える、病も退散するほどの強運の持ち主さんですね。
一人に一つの天職一芸。
きっといつかは巡り合うって証のような方でした。
天晴れ!
以前の私の職場に
「釣りバカ日誌」のハマちゃんみたいな同僚が居ました。
写真に載っているような「タモ」を会社に持って来て
タモの柄が折れたんで上手い事タコ紐で繋いで
仕上げは、漆を塗って出来上がり!
ホント職人技でした。
後は「毛鉤」を制作する道具を会社に持って来て・・
これも、又、とても素人が作る毛鉤には見えません!
極めつけは、上司の目を盗んで仕事中に作業するから
大したもん!
因みに上司は、私ですけどねぇ!
そんな部下をゆる~く見守ってあげる上司なんて、最高じゃないですかぁ!
いいとこあるじゃない!
このっ、落ち武者殿!
郡上たもを造るのに まさか 枝を切る作業から始まってるとは 驚きです。
物凄く高価なのかも⁈
釣りをする方に限らず 形から入るタイプの人や行動をしながら道具を増やしていくタイプの人や…
でも 準備してる時って ワクワクしちゃいますよね!
この段階で性格が出そうだなぁ〜(笑)
本当に根気のいる作業ですものねぇ。
ぼくなんぞナマカワものですから、想像しただけでもう無理っです(汗)
たも、という言葉を久々に聞きました。子供の頃は日常でしたが。川遊びの とも が たも!
たもを手にしなくなって、もう半世紀以上の時が、無情にも流れてしまいましたぁ。
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