「天職一芸~あの日のPoem 450」

今日の「天職人」は、愛知県安城市の「物差し職人」。(平成24年1月14日毎日新聞掲載)

母は古着を解きつつ 姉と私を並ばせて             丈と身頃に袖丈と 巻尺当てて思案顔             「大きなって」と苦笑い 竹の物差しチャコを引き        晴れ着二着を仕立て上げ 「揃いの柄も今年まで」

愛知県安城市のカミヤ定規、二代目物差し職人の神谷秀雄さんを訪ねた。

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子どもの頃。

授業で使う麻紐30センチを持参せよと。

母が内職で使う和裁の竹尺を、荷造り用の麻紐に宛がい、目盛に合せ30センチに。

だが教室で伸ばして見ると、ぼくだけ長いではないか。

母の和裁の竹尺には、片側にセンチの目盛、一方には鯨尺(1尺=37.88センチ)の目盛が刻まれていた。

ぼくはてっきり、鯨尺の目盛をセンチと勘違いをしていたのだ。

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尺貫法からメートル法への統一は、昭和34(1959)年のこと。

しかし昭和40年代半ばになっても、古来よりこの国に根付いた尺貫法が、まだまだ現役で巾を利かせていた。

「今は設計図すら、コンピューターの時代。手で1本1本線引く者なんて、減る一方ですわ」。

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秀雄さんは昭和28年、東京都台東区で誕生。

「安城出身の父は、百姓の次男坊でして、東京の文具屋へ修業に入ったんです。ところが兵隊に取られ、満州で厩番に。そのまま終戦を迎え、シベリアで4年の抑留ですわ。昭和25年に復員し、一旦文具屋に戻ったものの浦島太郎状態。そんな時、後に大手文具会社の社長となる人物と出会い、『何でも良いから定規を作れ。俺が売ったる』と。それが昭和26年の創業時のことです」。

昭和51年、大学を卒業すると、下請工場で修業を始めた。

「『跡を継ぐ気なら、作れなきゃだめだ』と、父に言われて」。

翌昭和52年1月には修業を切り上げ、単身父の故郷である現在地へと送り込まれ、工場を開設。

「『お前やれっ』の一言で」。秀雄さんが懐かしげに笑った。

「私が工場長。後は親戚頼りで集めた、おばさんパート5~6人。そっからのスタートでした」。

戦後の高度経済成長に歩調を合わせ、定規作りも変化を繰り返した。

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「昔の定規の素材は、セルロイド。やがて塩化ビニールから、現在のアクリルへ。昔は材料を裁断機で切って、手で削ってました。でも今は、それも機械化されましたが」。

昭和55年を目前に、父から難題が突き付けられた。

「『JISマークを取得せえ。品質管理を学べ』と。まだまだ粗悪品の時代でしたからね。でも大会社じゃありませんから、審査を通るのにも一苦労」。

しかしその難関を見事に乗り越え、昭和55年にJISマークを取得した。

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同じ年、名古屋出身の伸子さんと結ばれ、3男が誕生。

神谷家の寿ぎが続いた。

しかしその後も、父からの難題は続く。

その都度、激動する文具市場の荒波を、喘ぎながらも泳ぎ抜いた。

三角定規作りは、アクリル板の裁断から。

次に切断面を削り、正方形を斜めに切断。

熱転写で目盛を箔押しして仕上げる。

「周りの同業者は廃業続出。それなら私が、最後の定規屋になったろうって」。

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秀雄さんが照れ笑いを浮かべ、傍らの妻を見やった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 450」」への10件のフィードバック

  1. 話は違いますが、今日の朝刊に、以前オカダさんのブログで紹介された鈴木鉱泉の『スマック』の事が載ってました。居酒屋さんでは、焼酎で割った『スマックサワー』が女性に人気らしいですよ⤴️気になるぅ•̀.̫•́✧

  2. ❖ ものさし ❖ って 若い世代の人達に通じるのかしら?

    お嫁ちゃんも、小さな怪獣くん達も 私が『ものさしで計ってみて!』と 言うとメジャーを出してきて計っています ♡(ӦvӦ。) 

    30年以上使っている竹のものさしは、角が少し丸くなってきていますが、1番使いやすく 赤い丸い点が見やすいです
    (。♡‿♡。)

    洋裁用のカーブの竹のものさしも 私には欠かせません❣

    今日 竹のものさしを使って 小さなワンピースを作っています  
    至福の時間です (✷‿✷)❤ 

    1. お孫ちゃんのお手製ワンピースですかぁ!
      一針一針愛情も縫い込まれてゆくんでしょうね。

  3. セルロイドの30cm物差し。懐かしい。
    でも まだ持ってますけどね( ◠‿◠ )
    確か小学5, 6年生の家庭科の時間に 物差しを入れる袋を作ったような…
    ランドセルから 物差しとリコーダーがちょこんと出てたりして。
    今 思い出したんですけど 女子校の門の所に 物差しを持った生活指導の先生が立って スカートの長さをチェックしてたっけ。怖かった〜(笑)

    1. ありましたねぇ。
      物差し入れのお手製袋。
      それと指導部の先生が校門で物差し持って待ち構えていた風景も、とても懐かしいものです。

  4. アルミ製のものさし
    15㎝30㎝60㎝製版業では必需品で
    入社する時に必ず、割り当てられます。
    懐かしいな~ぁ⤴
    それと、先輩にいつも言われたのが
    世の中「杓子定規」のようにはいかないもんやてぇ!
    本当にそう思う!
    人の数だけ「こころの定規」が違いますからねぇ!
    今日はエエ事!言ったな~ぁ⤴

    1. そうですとも!
      人には人それぞれの、心の目盛がありますもの。
      それと秒針の進み具合だって異なるってもんですよねぇ。

  5. 物差しは端が0であるのに対して三角定規は端の少し中に入ったところが0ですね。あと、竹は温度による伸び縮みが少ないで物差しにの素材に良い、これらのことを中学校の技術科の先生に教わりました。技術科ではT定規を使いました。また数学では計算尺の使い方を教わった覚えがあります。使い方はまったく違う道具ですが昭和の味がしました。物差しは自分の背中を掻くのに使いました。あと、長い物差しは先生にピシッと叩かれるのに使われました。

    1. ぼくは猫背ぎみだったため、よくお母ちゃんが「背筋を伸ばして!」と、首の後ろから背骨に沿って竹の物差しをつっこんだものでした。

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