今日の「天職人」は、三重県いなべ市阿下喜の「祝膳剥き物師」。(平成24年1月7日毎日新聞掲載)
花燭華やぐ祝膳 朱塗りの盆の剥き物は 千鶴万亀相老いに 睦み合えよと願い込め 花嫁御寮角隠し 三三九度のおちょぼ口 高砂朗ず翁人 祝う宴の夜も更ける
三重県いなべ市阿下喜の魚佐太。五代目、祝膳剥き物師の宮本隆義さんを訪ねた。

「もう今しは、自宅で祝言挙げるもんがおらん。せやで注文が入ったら、煮物用に南瓜を葉にしたり、慈姑(クワイ)で松ぼっくりや鈴を彫ったりするくらいやさ。昔は結納やら、結納返しやら、身内の宴もありよったけど」。

隆義さんは昭和8(1933)年に、8人兄弟の長男として誕生。
「元々桑名の赤須賀漁港で、魚屋しとりましたんさ。弘化3(1846)年生まれの、伊八っちゅうご先祖さんが始めたらしい。それで祖父や父の代になると、こんな阿下喜まで振り売りに、テクテクと歩んで来とったらしいわ。ここらのお大尽のお屋敷に納めさせてもうて、その晩この町で泊まり、明くる日いによおやっと、桑名へと帰り着くんやで。今とちごて、のんびりしたもんや。ところうが、わしが国民学校の2~3年の頃になると、だんだん空襲が酷なってな。それで土地勘があって、遠い親戚もおるでゆうてな。ここへ疎開して来て、魚屋始めましたんさ」。
新制中学を出ると、家業に就いた。
「そんな頃からやったろか。家が仕出し屋もやりかけて、わしも親父の真似しては剥き物するようになったんや」。
父の手付きを盗み見ながら、剥き物包丁を揮った。
「生の野菜を剥いたり彫ったり。でも野菜によっては硬さもまちまちやさ。ちょっと油断して力入れすぎると、長芋で鴛鴦彫っとったのが、いつの間にか首刎ねてまっとってな。せやでそんな日の晩は、いっつも首の無い鴛鴦がおかずやったわ」。

隆義さんが懐かしげに笑った。
昭和も30年代に入り、高度経済成長が始まると、人々の暮らしにもゆとりが生まれた。
中でも結婚式は、晴れの日の目出度い宴として、盛大さを極め出す。
「この辺りでは、婿さんの家で台所と膳に食器まで借りて、家から自転車で食材運んでって、その場で料理を拵えて祝膳を整えるんやさ。花嫁さんからよお見える座敷の真ん中に、広盆へ剥き物の鶴亀やら鴛鴦飾ってな」。
長さ90センチ、巾60センチほどの盆の上に、大根で鶴の足場を作り、その上に大きく羽根を広げた鶴と、水辺に亀や鴛鴦を組み合わす。

野菜だけで、吉祥の景色を立体的に描き出すのだ。
「大きい鶴やと、高さ30センチ、両の羽根を広げれば40センチ。大根を竹籤で繋いで、羽根を大きく広げて見せるんやさ。後は鳥の目に、山椒の実を入れたら仕上がりや」。
昭和38年、得意先の紹介で明美さんを妻に迎え、二男一女が誕生。
自転車を小型三輪のトラックに代え、荷台に食材を積み込み、村々を駆け巡り祝膳を整え続けた。
「集落によっては、2日続けて披露宴する家もあったし。でも結婚式場が出来てからはさっぱりや」。
幾千もの祝言を彩った、野菜の彫刻家が儚げにつぶやいた。
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味は勿論の事、目でも楽しめるお料理を見ると思わず声が出てしまいます⤴️我が家ではせいぜい『きゅうりの蛇腹切り』
きゅうりの蛇腹切りだって、立派な技術じゃないですかぁ!
ガサツなぼくにゃあ、とっても無理な細工ですねぇ。
これは芸術!
気になるのが、最後って食べるのでしょうか?
いや~ぁ⤴もったいない、食べるのはムリ!
今日は雨が結構降って、ちょっと肌寒かった。
梅雨が明けて、また・・熱帯夜なんて日が続くんでしょうねぇ!
歳取るとさ~ぁ⤴温度の感覚が鈍くなると思う!
気を付けよ!っと!
そりゃあやっぱり、いきなり奇麗に細工された野菜に手を伸ばしちゃったら、ひんしゅくもんでしょうねぇ。
ぼくも眺めるばかりで、最後まで手を伸ばせない気がします。
子供の頃 お友達のお弁当にうさぎりんご(林檎の皮をうさぎの耳のようにカット) を見た時 ” 何これ〜 ” って驚いたものです。
リーズナブルな食事処でも にんじんなどに ちょっとした飾り包丁が入れてあると なんだかニッコリしちゃいますよ ( ◠‿◠ )
確かにちょっとした細工だけで、食卓も華やぎますものねぇ。
こういうのって外国でもあるのでしょうか?ふとそんなことを考えてしまいました。もう絶滅してしまった、技?生活習慣の変化と共に失われたものが沢山。そんなことに気付かせてくれるオカダさんのブログです。
フレンチのシェフなんかは、ここまでの野菜細工はないにしても、野菜を飾りに細工されていますよねぇ。
日本の野菜細工は、慶事の際の縁起物でしたものねぇ。
とんと姿を消してしまうのは、なんとも寂しいものです。