今日の「天職人」は、三重県名張市鍛冶町の「佐伊助饅頭職人」。(平成23年12月10日毎日新聞掲載)
初瀬参宮名張宿 米水寒と三位良し 上野盆地に舞い降りた 天の杜氏の酒造り 佐伊助爺は菓子職人 部類なほどの酒好きで それが高じて饅頭に 酒粕混ぜて摘み食い
三重県名張市鍛冶町で江戸末期創業の御菓子司「矢の伊」。八代目主の杉本誠一郎さんを訪ねた。

古い町並みを初瀬街道(奈良県桜井市―三重県松阪市)が横切る。
それにしても、小さな町とは言え、酒蔵の多さにまず驚く。
上野盆地に広がる肥沃な大地での米作りと、無くてはならぬ赤目四十八滝の清流。
そして大自然の杜氏とも言うべき、盆地特有の冬の砌が、酒の味を際立たせるのだ。
「この鍛冶町の先達、辻源兵衛さんというお方が、元和7(1621)年頃に酒造りを始めたと聞いてますで。この小さな町に、今でも5軒も造り酒屋がありますでな」。誠一郎さんが、旧街道の家並を見つめた。
誠一郎さんは昭和28(1953)年、3人兄弟の長男として誕生。
大学を出ると、和菓子屋で2年の修業を終え、78年に家業に就いた。
「この佐伊助饅頭は、40年ほど前に、父が洒落っ気出して作ったもんですんさ。江戸の昔、先祖に佐伊助ってぇのがおりまして、街道を上り下る人らに、板粕(酒粕)に和三盆を挟んで振舞ったとか。そんな話しが、伝えられとりましてな。それを父が、新たに工夫して、佐伊助饅頭としたんです。ここらは酒造りが盛んですんで、地元の造り酒屋から、ドロッドロの絞り粕を分けてもうて、それを生地と一緒に練り込んだるんですわ」。

昭和57年、奈良県出身の茂見さんと結ばれ、一男二女を授かった。
先祖の来歴まで練り込んだ、佐伊助饅頭作りは、小豆の漉し餡と砂糖を合わせ、小1時間ほど炊き上げることに始まる。
次は皮作り。
小麦粉に砂糖と水、そして地酒のドロドロとした絞り粕を加え、練り上げて生地に。
「酒そのものよりも、酒粕の方がもっと香りが高いんさ」。

それを包餡して7分ほど蒸し上げ、饅頭の上下に鉄板で焼き目を入れれば出来上がり。
「焼き立てのまだ温いうちは、お酒の香りも強くて、なとも言えやんええ香りが漂うんですわ」。

2~3日に一度の割で、400~500個が製造される。
初瀬街道の歴史は、神代に遡る。
垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照大御神鎮座の地を、探し歩いた旅に始まるとも(日本書紀垂仁天皇25年)。
いずれにせよ、大和の地と伊勢とを結んだ、神代の昔のロマンに満ちた、大いなる祈りの道であったのだ。
その街道の途中に広がる、四方を山に囲まれた上野盆地の隠りの里。
落人伝説や伊賀の忍びの者など、今で言う名張が「隠り」であったのかも知れない。
ふと四方の小高い山々を眺めながら、そんな感じを抱いた。
「さあどうぞ。せっかくですで、蒸し立ての佐伊助饅頭で、一服してってくださいな」。

奥方が、笑顔を添えて差し出した。
まだ温いままの饅頭を手に取れば、うっとりする馨わしさ。
酒の芳醇な香りが纏わりつき、いつまでも離れようとはしない。
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オカダさん、皆さんお待たせぇ〰ってだぁれも待ってないかぁ。ムム!!待ってないんかぁい(T_T)
でも、今月も忘れずに出没するかは気になるでしょぉ(^_-)
酒饅頭と言えば、名古屋では納屋橋まんじゅうが有名ですが、昔は良く食べてたのに、もう何年も食べてないですわ。
納屋橋まんじゅうやきよめ餅、そういやあ随分食べてませんねぇ!
アオちゃんベイビーもお久しぶりのご登場とコメント、ありがとうございました。
スィーツのブログが多いので嬉しい!
出来ましたら、粒あんがいいかな~ぁ⤴
最近!はまっているのはの・・・
シャトレーゼ「かりんとう饅頭」「きんつば」
洋菓子のイメージがあるかもしれませんが
これがまた中々の商品で安くて美味しい!
皆さん一度ご賞味あれ・・
ほどほど、糖分摂らないとねぇ!
ほどほどの糖分どころか、落ち武者殿はちと摂り過ぎなんじゃあ?
和むわ〜 佐伊助饅頭!
餡子もぎっしり!
皮も大好きだから 蒸し立てのお酒の香りや皮と中身の食感の違いも楽しんでみた〜い( ◠‿◠ )
大いなる祈りの道 素敵な景色あるかなぁ…
やっぱり一緒に食べる人 大事かな。
そうそう、やっぱり美味しくいただくには、その時の景色と、誰と共に味わうかも重要ですよねぇ。