「天職一芸~あの日のPoem 389」

今日の「天職人」は、三重県松阪市飯南町しもがきの「和包丁鍛冶」。(平成22年10月9日毎日新聞掲載)

菜切り包丁一本で 母は何でも切り分けた            野菜果物肉魚 ケーキ羊羹お漬け物               柄の付け根まで朽ちようと 研いでは使うその訳は        嫁入る時に一つきり 祖母が持たせた道具ゆえ

三重県松阪市飯南町しもがきの鍛冶安。五代目和包丁鍛冶のあかはた大徳とものりさんを訪ねた。

カンカンカンカンカーン。

(しら)()(さん)麓の静かな里に、規則正しい鎚音が響く。

「30年前まで爺さんは、地べたでコークス焚いて、野道具の備中鍬や唐鍬なんかを(あつら)えとったんやで」。大徳さんは、金床からゆっくりと顔を上げた。

鍛冶安は、明治27(1894)年、坂を下った旧伊勢本街道沿いの作業場で、()()に火入れを始めたという。

大徳さんは昭和50(1975)年、3人兄弟の次男として誕生。

「祖父が亡くなる小学校の4年まで、爺さんの鍛冶場が好きで、しょっちゅう遊び場にしては叱られたもんやさ。鉄を打つゆう行為に、オスとしての本能が反応したんやろか」。

体育教師を志し、大阪の大学へと進んだ。

「母校へ教育実習で行ったら、体がでこ(=でかく)ないもんで高校生に転校生と間違われて『おいっ、兄ちゃん』って呼ばれてもうて。バレー教えようとしたら、基礎練習はちっともしやんと、『はよ試合させろ』ってそればっかり。俺らと4つ5つしか違わんのに、みんなえらい無気力で。こりゃあ手に負えんやろうと逃げ帰ったんさ」。

卒業後は就職もせず、バイト生活の日々が続いた。

「このままやったら、身も心も腐ってまう」。

ついに帰郷。鉄鋼建設を営む父の手伝いを始めた。

それから3年。

「おとっつあん死んだら、この先なとしよう」。己の行く先を己に問い掛けた。

そんな折り、知人から京都の鍛冶師「(よし)(さだ)」、十代目当主の山口(てい)(いち)(ろう)氏を紹介され、すぐに京へと上り弟子入りを請うた。

「そしたら案の定『やめとけ』って。そりゃあ一応、師匠たる者、最初はそう言いますやろ」。

平成13年、弟子入りが認められ修業に入った。

それから6年、和包丁鍛冶のイロハを学び帰郷。

ついに平成18年、22年間火が消えたままの鍛冶安の火床に、真っ赤な火が燃え上がった。

出刃の火造りは、まず鋼と地金を出刃の寸法に()()りすることから始まる。

「出刃や刺身包丁の片刃は、両刃とちごて、右利き左利きで刃の位置が違ごてくるで」。

そして火床に入れて鍛接(たんせつ)

次は火床から取り出し、荒々に叩き伸ばし、柄に差し込む中子(なかご)を造り焼きなましへ。

「火床で温度を上げ、それを藁灰の中で一晩掛けてなだめるんやさ」。

火造りが終わると、研磨盤に掛け、磨り回し。

次に鉄側から叩き、鋼を叩き占める冷間(れいかん)鍛造(たんぞう)へ。

そして泥を塗り火床で焼入れし、そのまま一旦水に浸け、再び180~200度で焼き戻す。

「鋼の粘りをだすんやさ」。

そして粗研ぎで歪みを取り、本研ぎで仕上げし、朴の柄を挿げ「火造鍛造 大徳(だいとく)作」の銘がタガネで刻み込まれる。

「鉄は文句も言わんし、己の技量一つでええ子にも、出来の悪い奴にもなる。せやでこれまでグレた奴を、銘もよう刻まんと、どんだけほうたったか」。

若き鍛冶匠は、悪戯小僧のような目で、燃え盛る火床を見つめた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 389」」への4件のフィードバック

  1. 皆さんお元気ですか?今月も現れましたよ。自粛生活で、一日が早く過ぎて行き老け込みそうです(T_T)

    オカダさんはお花見に行きましたか?私は、住宅内に一本だけ桜の木があり、只今満開で 今年は例年よりも綺麗な気がしてます。なので、その桜を毎日眺めて満足している今日この頃です。

  2. 悪戯小僧のような職人さんは きっと鉄が好きで 変化していく姿を見届けるのは もっと好きなのかも?!(笑)
    作業中 真剣な表情の中に 誰も気付かないほど小さくニヤリとしてたりして。
    和包丁って あまり使った事がないけど 写真の包丁の柄の部分 細いですね。もっと太くてがっしりした和包丁しか見た事がないから。きっと 刃と持つ部分とのバランスが良くて 切る時 手にあまり負担が掛からないのかも。( ◠‿◠ )

    1. 彼はバザールなどのイベントにも積極的に出かけて行って、自分が鍛えた和包丁の販売を行っています。
      新しい形の和包丁文化を、彼なりのセンスと熱意で、これからも彼の創り出す和包丁のファンを、きっと作っていくことでしょう。

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