「天職一芸~あの日のPoem 387」

今日の「天職人」は、愛知県春日井市美濃町の「白墨職人」。(平成22年9月25日毎日新聞掲載)

給食後の5時限目 うつらうつらと舟を漕ぐ           ハッと気付いて澱拭(よどぬぐ)や 横のあの娘も吹き出した         眠っちゃかんと思うほど 睡魔の罠に落ちてゆく        「こらっ!」と教師の怒鳴り声 ちびた白墨でこパッチン

愛知県春日井市美濃町の羽衣文具。三代目、白墨職人の渡部隆康さんを訪ねた。

カツカツ、キキーッ。

黒板を走る白墨が、時折り耳障りな音を撒き散らす。

すると虫唾が走り、なぜか両の指先の力も抜け落ちたものだ。

写真は参考

「昔の白墨は、滑りの悪い粗悪な物もありましたからなあ」。隆康さんが、懐かしげにつぶやいた。

隆康さんは昭和19(1944)年、名古屋市中区で3人兄弟の長男として誕生。

「創業者の祖父は歯科医だったんです。ところが昔は、歯の治療から歯科技工まで、全部こなさんとだめだったようで。もともと祖父は創意工夫が好きでして、雑貨や金物の発明などもしたそうです。そして歯科医時代の技工で、石膏を取り扱った関係もあり、昭和7年に白墨製造を始めたんです」。

ところがやがて、戦争の暗い影が立ち込める。

「私が産声を上げた時は、既に父は召集され戦地でした」。

昭和20年の名古屋大空襲で焼け出され、家も工場も失った。

「翌年父が復員し、昭和22年に工場を再開したんです」。

その後、昭和34年に現在地へ。

昭和41年、大学を出ると、オイルの再生工場に勤務。

製品試験を担当した。

ところが翌年、突如家業に呼び戻されることに。

「専務だった叔父が、体を壊してしまって」。

高度経済成長の真っ只中。

学童の数が多く、白墨の需要も鰻上りだった。

「家の白墨は、昭和30年に父が考案した被膜付き。海藻から取ったアルギン酸の、ヌルヌルの成分を表面に塗り被膜とした物で、今はアクリル樹脂に変わりましたが…。だから指に汚れが付きにくく、他社より一文高くても人気があったんです。でも父は、最期まで商標を独占する気は無かったようです。だから被膜付きが軌道に乗ると、他所もみんな真似し始めて」。

昭和が幕を降ろすまで、右肩上がりの絶頂期は続いた。

「ここら愛知・岐阜は、陶磁器製造が盛んで、陶器の型作りに欠かせぬ石膏屋も沢山ありました。だから戦前から、全国的にも白墨屋の多い土地柄ですわ」。

現在は、白、赤、黄、青、緑、茶、紫、オレンジ、朱赤、黄緑、10色の白墨と、蛍光色の赤、黄、青、緑、オレンジ、5色が、日々製造される。

「蛍光色は、視覚障害者向けに私が開発したものです。でも今は、テレビカメラで撮影すると、普通の白墨より鮮明に映るとかで、予備校がテレビ授業で使ってくれてます」。

昔ながらの石膏製白墨は、焼石膏の粉末と水を混ぜ合わせることから、製造が始まる。

ドロドロッとしたところで、420本の型枠シリンダーに流し込む。

5分後には固まり、ピストンで押し上げ型抜き。

乾燥箱に並べ、10日間ほど陰干しで自然乾燥。

それにアクリル樹脂の被膜を吹き付ければ完成する。

放課後。

黒板消しを両手に、窓から手を伸ばし白墨の粉を叩く。

校舎の窓のあちこちから、白墨の白い粉が風に舞った、遠きあの日のわが学び舎。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 387」」への8件のフィードバック

  1. 『しろすみ』ってなんだぁ?と思ったら『はくぼく』でした(笑)懐かしい呼び方です。今の子は、この呼び方を知ってるかしら。

    1. はくぼくって、今の子供たちにゃあ通じないんじゃないでしょうか?
      「それって、石川はくぼく?」なんて言われちゃった日にゃあ!

  2. チョークなんて、もぉ~何年触ってないでしょうか?
    数年前から「黒板アート」が人気ですねぇ!
    ホント感動します。
    まぁ~絵心がない私には、到底描く事が出来ないでしょうが!
    犬を書いてもネコか?ネズミか?はたまた人間か?
    そんな低レベルな私!

    1. いゃーあ、絵が下手糞なところまで、ぼくも落ち武者殿に似ていたとは・・・トホホ。
      でもまあ、それは生まれ持った資質が欠如していただけのことでしょうから、この年になってはもうお互い手遅れですよねぇ。

  3. 「天職一芸〜あの日のpoem387」
    「白墨職人」
    なつかしいですね。
    なんだか 忘れていた色々を思い出してしまって 黒板消しを窓から
    パンパンとしてました。機械で
    ガ〜ッと吸うのが出た時は凄いと思いましたけどパンパンした方が
    早かったです。

    1. 黒板消しを窓から手を伸ばして、校舎の壁面にパンパンと当てて、チョークの粉が煙のように舞い上がった、そんな戻ることのない遠き日を思い出してしまいます。

  4. え〜!チョークって そんなにたくさん色があるんですね⁈
    でも 物凄く懐かしい( ◠‿◠ )
    黒板消しで黒板を拭くけど 全体的に白っぽくなって そんなにきれいにならなかったり 校舎の窓から腕を出し黒板消しを叩いたり。あと チョークで字を書くのが意外と難しくて (鉛筆の持ち方じゃないから) 先生が スラスラと格好良く字を書く姿を見るたびに 凄いなぁ〜と思ってみたり。
    日直や○○係etc 涙が出るほど懐かしい ( ◠‿◠ )

    1. ぼくは先生が黒板に滑りの悪いチョークで文字を書かれる時、あの「キキーッ!」と鳴る音が聞こえると、指先の力が無くなってしまうような、奇妙な感覚をいつも感じたものです。

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