今日の「天職人」は、岐阜県高山市丹生川町の「飛騨の汐ブリ職人」。(平成21年12月23日掲載)
今年の暮れは帰れぬと 母に侘びたる赤電話 「ご飯は三度食べとるか 風邪ひかぬよに」母の声 晦日に着いた小包に 厚い切り身の汐ブリが 火鉢で炙り湯呑み酒 遠き寺から除夜の鐘
岐阜県高山市丹生川町、遠州水産の汐ブリ職人、内山友男さんを訪ねた。

「家は農家やったんやけど、両親共に障害があって貧乏やった。子どもの頃、3杯飯は粟稗でさえ食えんかったんやで。腹減ると川魚捕まえたり、ヤマモモ取ったり。いっつも腹空かしとったわ」。友男さんは、窓から山並みを見つめ懐かしそうにつぶやいた。
友男さんは昭和24(1949)年、静岡県の引佐町(現・浜松市)で誕生。
中学を出ると地元の温泉旅館でアルバイトの傍ら、定時制高校へ。
卒業と同時に、板前を志し熱海へと向った。
「行くには行ったけど、本当は板前よりも、活魚がやりたくってな」。
その思いが拭いきれず、一晩で郷里へと舞い戻った。
「いつまでもブラブラしとれんで」。
しかたなく地元の自動車メーカーに入社。
それから5年が過ぎた。
「従兄弟の結婚式があって、嫁さんの同級生で、丹生川出身の今の女房と気が合ったんやさ。そしたらその内女房が『3人姉妹の長女やで、養子取らんと…』って言うもんで、冗談で『だったら俺行こか?』って。浜松駅まで送った帰り道。辻占に手相見せたら『水が渇かぬ山のある場所へ行け』と言われて。1年間遠距離恋愛を続けたけど、結局女房の両親に反対されて」。
昭和四十九年、駆け落ちの末、高山市の中心部で恵美子さんと所帯を持ち二男を授かった。
「近くのスーパーに入って、そこで鮮魚を扱うようになったんやさ。でも給料が安かってな」。
恵美子さんも印鑑のセールスで家計を支えた。
ところが新婚1年が過ぎた頃、友男さんの浮気が発覚。
「相手の娘に車貸したら、女房の知り合いに見られてもうて。女房のお祖母ちゃんから『養子縁組解消や』って。それでまた昔の旧姓に戻ったんやさ」。
勤め先のスーパーを辞して三日後、今度は隣町のスーパーから声が掛かった。
「土木作業の現場監督と、スーパーを掛け持ちで働いたんやて。心入れ替えて」。
それから1年。
誰も待つはずのない、真っ暗なアパートの部屋に、なぜか明かりが灯っていた。
「せっかく別れたのに、別のを貰う前に、これが子ども連れて戻ってきたらあ」。
すると恵美子さんが、傍らから口を挟んだ。
「そうや、嫌なら出て行くろうって」。
夫婦で顔を見合わせ大笑い。
押し寄せた荒波を乗り越え、晴れて本物の夫婦となったと言わんばかりに。
飛騨の大晦日の食卓に、無くてはならぬ汐ブリ。

まず富山湾で水揚げされた天然ブリを三枚に下ろし、一晩水に晒し脂抜き。
翌日水気を切り岩塩をすり込み、真空パックにしてマイナス50度で一気に冷凍。

「こうすると塩が利き過ぎんのやさ。そして解凍し始めると、そこから身の中に塩が染み入るんやわ。海の塩は、塩辛くなり過ぎるであかん」。
大晦日までに約1㌧の汐ブリが出荷される。

焼いた汐ブリに大根卸のポン酢醤油。
熱燗を煽れば、山深い飛騨の里に除夜の鐘が鳴り響く。
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高山で魚?って思ったけど、高山は意外と富山湾に近いんですね。
それにしても、駆け落ちまでしたのに新婚一年で✕✕とは〰〰。
でも、ちゃんと元に戻れてめでたし めでたし・・・かな。
なんせそれはそれは明るいご夫婦でしたよ。
そんな夫婦のタブーな話だって笑い飛ばしちゃうんですもの。
笑う門には福来る!ですね。
焼いた汐ブリに大根おろしとポン酢醤油いいですね〜( ◠‿◠ )
ブリと言えば よく照り焼きにしてたんだけど 塩焼きが美味しい事に気付いてからは もっぱら塩焼きにしてます。
でも何にせよ 新鮮じゃないと美味しくないんですよね。
今日 鮮魚コーナーをキョロキョロしてこようかな⁈ 新鮮なブリがあったら 夕食の一品にしよ〜っと。熱燗も忘れずに (笑)
それそれ!
ブリの塩焼きで熱燗をキュ~ッと!
もう最高のおごっつぉですよ!