「天職一芸~あの日のPoem 348」

今日の「天職人」は、岐阜県高山市の「流しのギター弾き」。(平成21年12月2日毎日新聞掲載)

裏町小路ネオン花 小雪が風に舞い落ちる                    かじかむ指に息を吐き ギター抱えてもう一軒                  縄の暖簾を掻き分けて 「社長一曲弾きましょか」                箸をマイクに恋の歌 調子外れのご酔狂

岐阜県高山市の流しのケンちゃんこと、渡辺武さんを訪ねた。

ストーブの上で薬缶が音を立てる。

人息で曇った引き戸が開く。

「今晩は」。

青いブレザーと白いスラックス、マドロス帽を被り、ギターを抱えた老人が片手を挙げた。

「いよっケンちゃん!待ってました」。

酔客の掛け声でギターを爪弾く男。

日本中にもうわずか20~30人と言われる貴重な現役流しの一人である。

武さんは昭和11(1936)年、同県恵那市で誕生。

高校を上がると3年間、三重県四日市市の天理教教会で教義の修業へ。

昭和32年、恵那に戻り製紙工場で雑役の仕事に。

しかしそれから、流転の日々が始まった。

ミシンのセールスから土木作業、炭鉱夫にバーテンダー。

「何やっても続かんのやさ」。

26歳の頃だった。

「ある日喫茶店で、3行広告の求人欄読んどったんやさ。そしたら、『衣食住に給料付の歌手募集』てえのが載っとって。これだ!と、さっそく名古屋の流し養成所へ。そしたらギダー持った先輩流しの伴奏で、いきなり歌わされて。ところが見事に合格。『次は会長に挨拶せえ』って連れてかれて。ピアノの前で、古賀先生みたいに座っとるかと想像しとったら大間違い。刺青のモンスケ入れた大親分が、女はべらせ酒くらっとる。しまったあ!と思ったけどもう遅いわ。養成所とは名ばかりの蛸部屋に、ギターやアコーディオンの流しが50人もおって、最初は掃除洗濯の下働きやわ。それでも毎日全国から、3行広告に騙されて、入って来てはすぐにトンズラこいて。半年くらいした頃やったわ。トンズラした男を、大垣まで行って捕まえて来と言われて。捕まえに行くはずのぼくが、トンズラ決めたった」。

そのまま愛知県瀬戸市の飲み屋へ飛び込み、流し家業が始まった。

「あんな頃はギターボロンで、お金もボロンの時代。マイクも無けりゃ小皿叩いてチャンチキオケサやで」。

その後は、ギター片手に全国を渡り歩く日々。

「29歳の頃や。富山から無一文で高山へ着いたんわ」。

ギター抱えて飛び込んだ先の飲み屋で、ナンバーワンホステスと運命の出逢いが待ち受けていた。

勝子(まさこ)さんと夫婦(めおと)となり、やがて一男一女が誕生。

これまで高山に辿り着きはや44年、今でも毎晩20軒の店を巡る。

「子ども大学にやって、家も2軒建てた。ちっこい家やけど。毎晩客の酒に付き合って憂さ聞いて」。

普段は震える指先も、酒を一杯煽りギターを抱えれば、ピタリと治まる。

「ぼ、ぼ、ぼくはどもりやけど、不思議と歌と英語はどもらんのやさ」。

そう言うと、英語の教科書の一節を澱み無く語った。

「散々人から憂さ晴らされたり、どんだけ馬鹿にされても、家へ帰ってからはひとっことも愚痴言わんと、みんな飲み込んどるでねぇ」。妻が誇らしげに夫を見つめた。

流転の末、辿り着いた高山。

ギター片手の渡り鳥は、伴侶と出逢い、渡りを止め、子を成しこの地の(りゅう)(ちょう)となった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 348」」への10件のフィードバック

  1. オカダさんも、ギター片手に流しの時代があったのかしら?Hさんと(^^♪
    初めて入るお店は、勇気がいるんでしょうねぇ。

    1. Ⅰ.Hさんやぼくの時代は、もう既に8トラックのカラオケが徐々に普及し始めた時代でして、流しと言うよりもスナックやクラブの専属として、小さなステージでリズムボックスの刻むリズムに合わせ、ギターを爪弾き歌番を務めたものです。
      流しに対しそうしたお店中心で活動するギター弾きなんぞを確か「箱番」とか呼んでいたような?
      なんせ40年以上前の話ですから・・・。

  2. ❖ 流しのギター弾きさん ❖

    幼少の頃 実家にもお客さんが呼ばれた流しのギター弾きさんが 時々お見えになってみえましたよ ♪(^∇^)ノ♪

    ほんとーに 楽譜も何も見なくて何でも弾けちゃうなんて びっくりでした❢
    そうそう 軍歌もみんなで歌われたり、   一緒に飲まれたり、会話を楽しんだりも
     帰り際には 流しさんの上着のポケットに お札を サッと ! 

    今の柳ヶ瀬にも 流しさんを呼ばれる粋な方がみえるのかしら?

    1. 粋な時代は、もう古の風景となりつつあるんでしょうねぇ。
      そんな時代は、お客さんもちゃんと心得た方が多くって、流しのギター弾きさんだってやりやすかったことでしょうね。

  3. このギターの音色を聴くと昭和の懐かしい時代にタイムスリップするんでしょうね。悪ガキで何も考えず走り回って遊んだ頃が懐かしいです。
    ギターじゃ無いけどおうち時間がタップリ有るので私、楽器始めました。おかださんの曲が弾けれるようになりたいです(笑)その前に『見上げてごらん夜の星を』弾けれるようにならなければ(^o^;)

  4. ドラマになりそうなぐらいの生きざま。
    トンズラ云々…のくだりで笑ってしまいました。
    ケンちゃんのギターを聴きながら お酒を飲むと お酒も美味しくなって 良い酔い方が出来そう( ◠‿◠ )
    リクエスト何にしようかな?

    1. 人それぞれ、生きているだけで、ただそれだけで、人から見たら十分にドラマチックなものだと思います。
      ケンちゃんの十八番は、竜鉄也さんと一緒に、高山の夜を流して歩かれたという「奥飛騨慕情」あたりじゃないでしょうか?

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