「天職一芸~あの日のPoem 347」

今日の「天職人」は、愛知県豊橋市新本町の「菜飯屋」。(平成21年11月25日毎日新聞掲載)

トントントンと菜を刻みゃ グツグツグツと湯気が立つ              まだ明けやらぬ凍てた朝 母の鼻歌白き息                   卓袱台(ちゃぶだい)囲む朝ごはん 御櫃(おひつ)を開けりゃ天井へ                   湯気がぽわんと舞い上がる 菜飯一膳春恋し

愛知県豊橋市新本町、文政年間(1818~30)創業の菜飯田楽のきく宗。六代目の太田勝夫さんを訪ねた。

旧東海道五十三次、三十四番目の吉田宿。

かつては「吉田通れば2階から招く、しかも鹿の子の振袖で」と、講談「大久保彦左衛門」の決まり文句にあるように、飯盛り女が多く東西にその名が知られた。

「もうそんな頃の面影なんて、みんな空襲で焼け出されてまったで、どこにもあれへんらあ」。勝夫さんは、表通りを見渡した。

勝夫さんは昭和16(1941)年に2人兄妹の長男として誕生。

高校を出ると東京銀座の老舗料亭で、住み込みの板場修業へ。

「そんなもん、最初は洗いもんばっか。1年半後に祖父から『手が足りんで戻って来い』と言われた頃、やっと焼き場を任されたんやで」。

豊橋へと戻り、祖父から先祖伝来の味を学ぶ毎日が続いた。

昭和42年、同郷出身の幸枝さんと結ばれ、男子3人が誕生。

江戸期から守り抜いた暖簾も、やがて七代目へと無事に継承されるものと、誰もが疑いもせず30年の年月が過ぎ去って行った。

平成11年、大学を卒業後、七代目として家業を継いでいた長男が急死。

「それこそ突然死で。翌日は友人と、スキーに行く約束までしてあったのに」。

女将の幸枝さんが当時を振り返り、寂しげにつぶやいた。

勝夫さんの虚ろな目が、テーブルの木目を数える。

「だもんで今は、三男坊が八代目を継いどるだわ」。

勝夫さんは、無念さを振り切るように、顔を上げ笑って見せた。

きく宗名代の菜飯作りは、豊橋産の大根の葉を切り分ける作業に始まる。

「まず軸から葉を切り離し、1枚ずつ丁寧に見ながら、虫とか髭を取り除く。そしてそれを湯がいて冷水に浸し、絞ってからもう一度よう見て、白く浮き出とる小さな虫を、念入りに取り除くじゃんね。それから細かく刻んで塩味を付け、お客さんに出す直前で、炊き立てのご飯に混ぜるだあ。そうせんと菜の色も変わってまうで」。

菜飯にあてがう田楽は、国産大豆に本苦りで製造する自家製。

「昔から取引しとった豆腐屋が、跡継ぎがおらんもんで店閉めてまってねぇ。それで1年前から試行錯誤を繰り返して、私が作り始めたじゃんね」。女将が笑った。

「お客さんの注文受けてから、水槽の豆腐を上げて串打って。豆腐だって生きとるらあ。それで10分ほど焼いてから、秘伝の味付けした岡崎八町味噌を塗り、もう1回軽く炙るだ。そしたらもういっぺん味噌を上塗りし、和がらしと木の芽を添えて出来上がり」。勝夫さんが女将を見つめた。

「ありがたいことに、お盆やお正月に帰省されると、古里の味を食べないかんって。お客さんも三代目四代目と、昔から続けて通ってくれとるだでねぇ」。女将は客席を見やった。

街道を行く旅人も時代も移ろえど、きく宗の暖簾と味は初代の志そのままに。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 347」」への9件のフィードバック

  1. 田楽に菜飯って、美味しいですよねぇ⤴️
    数年前に、岐阜公園の中にある『でんがく処』で食べた事を思い出しました。その後、オカダさんに会いに行ったっけ(*^^*)

    1. 岐阜公園にも、「村瀬の田楽」がありますよねぇ。
      ぼくはそこでは食べたことはありませんが!
      春を感じる田楽と菜飯ですよねぇ。

  2. こんばんは(^-^)
    田楽ですか。私が社会人になって初めて会社の職場の検査課の委員会に選ばれて毎年花見でバーベキューやりました。その時に私の提案で田楽を企画しました。ちなみに私の家では車庫の中で良く田楽をやっていたので田楽の串(針金)があるので豆腐は豆腐屋さんに田楽するので田楽用の豆腐頼みました。 そして本番のバーベキューに田楽を焼く土台は石を集めてバーベキューの炭をもらって私1人で焼いてやりました。田楽のタレはスーパーで買ってね(^-^) とっても美味しいかったですよ(^-^) 外で食べる田楽は特別に美味しいです(^-^)/ あ~あの頃か懐かしいです~よ\(^_^)/ 自分でも1~10まで良くやったなと感心してますよ(^-^) 片付けはみんなでやってくれたのでありがたいです(^-^)

  3. いいですよね〜( ◠‿◠ )
    全てが ふんわりあったかくて優しい感じが…。
    もうだいぶ昔に 岡崎城の敷地内にあるお店で 田楽定食を食べた事があります。もちろん菜飯も。
    濃いめのお味噌でちょっぴり甘めで 山椒の葉が乗ってて 美味しかったなぁ。
    当時も美味しかったけど 今この年齢になると 尚更いろんな事を感じながら ゆったりと食べてみたいものです( ◠‿◠ )

    1. あっ、そうだ!
      また山椒の木のちっちゃな鉢植えを買ってこなくっちゃ!
      そしたらまたアゲハの幼虫君が宿るかも!

      1. かもかも⁈ (笑)
        きっと仲間のアゲハが話を聴いて オカダさん宅に辿り着くかもですよ( ◠‿◠ )
        新しい成長記録 また見たいなぁ〜。
        でも 山椒の鉢植え 残ってるかな?

  4. こんばんは(^-^)田楽ですね。田楽と言えば前の家のとこは車庫があって昔良く車庫の中で田楽を焼いて食べました。近所に豆腐屋さんがあってね。田楽をやる時は田楽用の豆腐頼んで田楽の串は針金でね豆腐を串にさして手伝いをしたもんです。田楽のタレは赤味噌とくるみと砂糖をすり鉢ですて作りましたよ。準備が出来たら田楽を焼いてタレはつけて山椒をかけて食べたもんですよ(^-^)田楽を焼いていると香ばし匂いがするので隣近所が直ぐそばだから近所にもお裾分けしていたよ。父は人が良いからね。ちなみに父もビールやお酒好きだったから田楽にはビールが最高と楽しそうに飲んでいましたよ(^-^)/ その頃は私はまだビール飲めなかったです(´- `*) あの頃が懐かしいで~す(^-^)また機会があれば田楽食べたいです\(^_^)/

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