今日の「天職人」は、名古屋市天白区の「大小道具方」。(平成21年7月1日毎日新聞掲載)
お遊戯会の前日は 母を相手に長台詞(ながぜりふ) やっとのことで覚えたが ヤンヤの声でどこへやら 黄門様の供の役 「控えおろう!」の名台詞 ここ一番の見せ所 印籠忘れ大童(おおわらわ)
名古屋市天白区、大小道具方「華新(はなしん)」五代目舞台美術家の土井信策(しんさく)さんを訪ねた。

うっかり舞台袖か奈落へでも、迷い込んだかと一瞬わが目を疑った。
それもそのはず、庭の植木や伝馬船の胴の書き割りが、無造作に立ち並ぶ。
「演目に応じて木工で型を取り、経師が紙を貼って、背景師が絵を描くんですわ」。信策さんが、子どものような眼をして笑った。
信策さんは昭和25(1950)年、2人兄弟の長男として誕生。
「創業は文化・文政(1804~30年)の頃、初代新三が中区門前町に店を構えたのが始まりで、最初は小道具が専門。
ところが曽祖父に息子が出来ず、大道具方の浅野組から祖父が婿養子に迎えられ、それから大道具も始めたんです」。
小学校へ上がると父は「お前は跡継ぎだ」と、繰り返し呪文のように囁き続けたそうだ。
高校では美術科を専攻。
「皆そりゃあ熱心で、放課後もデッサン室へ通う毎日。でも私は授業が終わってまで、絵を描く気になれませんでした」。
その後、上京し美大で日本画を学ぶことに。
「大学なんて、人生の執行猶予期間みたいなもんですからねぇ。お気楽な4年間が保障されているようで」。悪戯っ子のように照れ笑いを浮かべた。
大学を出ると、東京の金井大道具に修業へ。

「最初の3ヶ月は、絵の具を溶くバケツ洗いばっか。それで下塗りするかって言われて、やがて縁取りへ。でも大きな背景の縁取りだから、線が細くなったり太くなったりでさっぱり。それと東京の大道具は、付けを兼ねてまして。特に専門用語が分からんくてねぇ。舞台が暗転になったと思ったら、『おいっ、ボカボカ片してくれ』って。どうやら植木の書き割りみたいで、それを袖に片付けろと」。

その後、藤浪小道具店へ3ヶ月ほど移り、印籠に漆を塗ったり造花を作ったり。
1年の修業を経て、晴れて家業へ。
その年、昭和50年に高校の同級生、恵さんと結ばれ、一男一女を授かった。
「大道具は、舞台の光と影を計算に入れた、騙し絵のようなもの。だから背景画も、客席から見て中央より左の下手を描く時は、右の上手から照明が当るのを計算して描かんと。また小道具は、舞台と客席との距離があるから、大きく誇張するように作らないとだめなんですわ。例えば船頭が持つ竿にしても、本物では客席からだとそう見えん。だから竹竿に木綿を巻いて太くして、青竹のように緑色に塗って使わんと。ちょっと変わった小道具では、常磐津の『関ノ扉(と)』に登場する大ヨキかな。これは関兵衛が大ヨキを振り上げると、大伴黒主(おおとものくろぬし)にぶっ返りして正体を現す時に使う物。ヨキの内側に鏡が埋め込まれ、それを見ながら役者が顔に隈取を入れるんです」。

華やかな舞台を、陰で支える大小道具方。
信策さんの話は、まだまだ尽きそうに無い。
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舞台には、舞台装置や大道具、小道具は重要な役割り。観劇中は、それらを含めてワクワクしちゃいます⤴️上手く作られてますよねぇ。
そうです!
観客側の視点で作られるってんですから!
ダイナミックですものねぇ。
今晩は。
大小道具方のお話ですね。
大小道具は、舞台で、大事ですね。手作りで作っているのですね。
裏方も表の方両方いないと舞台が、出来ませんね。
何度か舞台裏に入った事があるけど 不思議な空間だなぁ〜と思いますね。
いろんな道具や装置を見ると ワクワクするし どんな風に使われるんだろう?って想像したり( ◠‿◠ )
舞台に立つと 遠くにいる方の顔まで見えて 緊張してドキドキして…
裏と表 どちらかが欠けたら 消えてしまう。だからこそ 大切にしていかないと。
裏方さんの支えがあってこその、センターポジションですものねぇ。