今日の「天職人」は、津市一身田の「伊勢木綿織布職人」。(平成21年2月10日毎日新聞掲載)
終業式を前にして 雑巾持参大掃除 母が夜鍋で縫い上げた 雑巾広げ大慌て 絣(かすり)のモンペ伊勢木綿 ぼくだけ皆の笑い者 母に文句をぶつけても 「丈夫でどこが悪いか」と
津市一身田、江戸時代中期創業の臼井織布(しょくふ)。五代目主の臼井成夫(なるお)さんを訪ねた。

昭和半ばの頃のぼくらは、日が暮れるまで草野球に興じた。
町内放送のトランペットスピーカーから、歪(ひず)んだ音色の「夕焼け小焼け」が聞こえると、腕白どもは我先にと家路を競い合う。
するとどの家の前でも、色褪せた割烹着にモンペ姿、下駄履きの母ちゃんたちが、破れ団扇で炭火を熾していたものだ。
「モンペにもその地方その地方で、織り方がことなるんやさ。寒い地方は風を通し難いにように、糸と糸をきっちり詰めて織らんならんし、暑い地方では逆に織りを粗くせんといかんのやさ」。成夫さんは、年代物の織機が居並ぶ工場内へと導いた。

「最初は紺屋(こうや)でしたんさ。それで明治に入ってから、農家に糸を預けて織ってもらう出機(でばた)を始めて。その後家に手織り機を置いて、近所の織り手に、来てもらうようになったんですんさ。当時は朝の5時から夜の10時頃まで、横糸を通す人と織る人の2人1組で、1日2反の伊勢木綿を織り上げとったらしい」。

明治20(1887)年には、今なお現役で活躍する豊田織機が導入された。
成夫さんは昭和28(1953)年に3人兄弟の長男として誕生。
大学を出ると、証券会社のシステムエンジニアとして勤務。
「ちょうど30歳になった年に、帰って来いって言うもんやで。でも父はとうに、繊維産業を見限っとって、『家の仕事はせんでもええ。電気関係の下請けをしろ』って」。
その後、平成元年に妻を得、二男一女を授かった。
しかし42歳になった平成7年、円高の影響をもろに受ける仕事に見切りを付け、ついに家業へ。
「織物でもしよかってな感じで」。

しかし日本の織物産業も年々衰退化の一途。
「平成12年には、とうとう日本橋や京都の問屋まで、夜逃げする始末やん」。
昭和30年代から始まった洋装化の波は、伝統的な日本の織物に打撃を与え続けた。
「木綿は安物やで、昔から女性が初めて身に付ける物やった。そうして着物に慣れ親しんでったんやけど、今は成人式でいきなり振袖着て帯で締め上げられたら、誰かて着心地もようない。でも最近、豹柄のミニの浴衣が出て、えらい都会で若い女性に人気なんさ。それで若い娘(こ)らも、実際に浴衣着てみると、肌触りも着心地もいいって」。

「家でも伊勢木綿の着物を、仕立て上がり3万円ポッキリで売り出したら『ちょっと一桁、額が少ないんちゃう?』って言われてもうて」。
だけどたかが木綿。

「高(たこ)してはならん」。
成夫さんはそうつぶやいて、木綿の糸を差し出した。
「肌触りが普通の木綿糸とぜんぜんちゃいますやろ。家のは糸自体が柔らかく、おまけに縒(よ)りが甘い。これは、あの旧式の豊田織機じゃないと織れやんのさ」。
新製品万能と喧伝(けんでん)される呪縛。
それを解き放つ呪文は、己が身の丈サイズの生き方と、心の在り方次第。
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ブログを読み始め「昭和半ば…町内放送の…」で思わず笑ってしまいました。
知立市では 令和の時代も17時になると「夕焼け小焼け」の音楽が流れてくるので( ◠‿◠ )
キンコンカンコ〜ンから始まり音楽が流れ「知立市の良い子の皆さん お家に帰る時間です。周囲の皆さん 子供達が健やかに育つように声を掛けて下さい。明日もまた 素晴らしい一日でありますように」のアナウンスも流れます。
数年前に知ったんですが 毎日この曲やアナウンスを流すのは 防災無線が正しく稼働するかをチェックする意味もあるんですって。
普段から市民を守るための大切な音楽かな⁈
そうですか!
地域のコミュニティーに不可欠な、夕暮れの町内放送だったんですねぇ。
そう言えば、電柱の天辺に取り付けられていた、あのトランペットスピーカーも見かけませんねぇ。
そういえば、自分が着ているほとんどの服が化繊です。
先日、読んだ本に、ある有名な俳人は四季の移ろいを感じる為にシャツは木綿しか着ないと書いてありました。
今、外が急に暗くなり雪が降ってきました。こんな日も〜っ?
でもやっぱり肌に優しく馴染むのは木綿だと思います。
「伊勢木綿」も初めて知りました。
さすが粋な俳人の方は違いますねぇ!
ぼくなんてへなちょこ人間ですから、粋よりも何よりも、少しでも寒さをしのごうと、ついついヒートテックに頼っちゃいますねぇ。
冬になると怖〜い静電気がビリビリ⤵️木綿の物を身に着けていればこんな事にはならないんでしょうね。
ぼくも静電気がひどくって、困ったものです!
そうかぁ!
化繊に帯電するのかぁ!
ぼくも小学校と中学校では雑巾を母に縫ってもらって学校へ持って行きました。木綿は木綿でも古くなったタオルをもとに作ってくれました。一身田ですか。浄土真宗の高田本山があるところですね。当時通勤していた学校から指呼の場所にあって原付で時々ふらっと遊びに行きました。落ち着いた静かな町であったと記憶しています。こんなところに伝統産業があったんですね。
木綿の手触りって、なんとも言えぬ優しいものですよねぇ。
ついついお母ちゃんのもんぺ姿を思い出しちゃいました。
私も肌が弱く 下着選びで困った事がありました 女性しか必要としない あれ
‼️‼️‼️ 年頃になり初めて着けたら そのラインが 真っ赤に !Σ(×_×; )!
近くの用品店のお姉さんが色々調べてくださり 肌に合うのを見つけてきてくださいました *ありがたや~ でした* o(*⌒―⌒*)o
赤ちゃんの肌着のような 木綿で縫い目がチクチクしないのが いいんですよね (#^.^#)
いやーっ、敏感肌でいらっしゃるんですねぇ。
でも肌着って言うくらいですから、なにより肌に馴染む繊維じゃないといけませんものねぇ。