「天職一芸~あの日のPoem 298」

今日の「天職人」は、三重県四日市市の「出張髪結い」。(平成20年11月18日毎日新聞掲載)

小春日和の縁側で 舟こぐ母の髪を梳(す)く          黒髪自慢母なれど 見る影も無く雪化粧             目覚めた母は手鏡を ためつすがめつ眺めては          目を輝かせ紅を注(さ)す 乙女時代に立ち返り

三重県四日市市、ぱーま屋金太郎笹川店の主、井上修二さんを訪ねた。

昭和半ばの年末は、障子の張替えに始まり、年に一度の大掃除。

中でも御節の材料の買出しは、とにかく大変だった。

母に手を引かれ、人混みの中を行ったり来たり。

母は何軒も品定めの上、一円でも安い店へと買い回わった。

それが終われば二日もかけて御節作り。

いよいよ大晦日ともなれば、慌しさの隙を突き、母は髪結いへ。

年に一度の髪を結い上げ、モンペに割烹着という勇ましい姿で、行く年を見送った。

「あんな時代は、どこもそんなもん。だから大晦日の美容院はてんてこ舞い」。修二さんが懐かしげにつぶやいた。

修二さんは鹿児島県で2人兄弟の次男として昭和38(1963)年に誕生。

生後1歳の年に、家族揃って四日市市に移り住んだ。

高校を卒業すると、名古屋のぱーま屋金太郎本店で美容師の見習いへ。

「とにかく会社勤めが嫌で、調理師とかデザイナーとかに憧れて。で、たまたま髪型とかに興味があって、選んだんが今の美容師です」。

下働きをしながら通信教育で学び、21歳で美容師免許を取得。同じ年に兄と共に、暖簾分けで現在の美容室を開業。それから3年後には、岐阜県下呂市出身の美子さんと結ばれ、二男一女に恵まれた。

「昔、お客として来とったんですわ」。

それから平成2年に独立し、いよいよ一国一城の主に。

ちょうど世はまさにバブルの絶頂期。

誰もが浮かれ果てていた。

「工業都市の四日市は、どこの工場も人手不足。だからどんどん外国人労働者が増えて来て。特に7~8年前からは、ブラジルやペルーなど南米系の人らが増え出して。そこの公団なんか9割がブラジルの方ですに」。

そう言えば斜め向かいには、ポルトガル語の看板が掲げられた教会が。

「お客さんも時代と共にどんどん変わって。今は地元の方に交じって、南米系の方も来られます」。

修二さんは、時代の移り変わりを肌で感じ取っていた。

そんな2年前のある日。

客から相談が持ちかけられた。

「お客さんのお母さんが入院されて、シャンプーしに来て欲しいって。元々うちの店に通(かよ)とてくれた方が、身体悪してもうて来てくれやんやろかと」。

写真は参考

修二さんは仕事を終えると、依頼のあった客宅へと向かった。

写真は参考

「床に敷物して、カットクロス巻いて。店とは違うんで、ぼくがお客さんの周り360度をぐるっと回って。もともとお客さんやったで、好みのスタイルは知ってますし。終わるとカット代はいただきますが、出張料金は取りません。すると『悪いね、悪いね』って何度も感謝されて」。

写真は参考

将来は息子に店を委ね、自分が高齢者の送迎をしたいと願う。

「髪は女性にとって何より大切なもんやし、髪を結って女を取り戻してもらわんと」。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 298」」への4件のフィードバック

  1. オカダさんは、人生で初めて美容院に行った時は恥ずかしく無かった?どう?

    1. そりゃあもう恥ずかしくって息苦しかったのを記憶しています。
      美容院に行ったのは、同級生が勤めていた美容院だけで、20歳の頃に行ったっきりで、もっぱら床屋さん通いです!

  2. 出張して来てもらって髪をカットしてもらうなんて 本当に喜ばれると思います。
    私も時々 両親を床屋さんに連れて行くんですが 終わった後の表情 変わりますから( ◠‿◠ )
    あと 女性の高齢の方は 紅をさすだけでも 生き生きしてきますからね。
    人生が終わる瞬間まで きれいでありたいものです。

    1. ぼくが以前取材した居酒屋さんは、70歳過ぎの姉妹が営んでおられた、カウンターだけのお店でした。
      至って普通の小料理屋のような居酒屋。
      来店されるお客さんたちも年配の常連ばかりで、座る席もあらかた決まっているようなお店でした。
      しかしちょっと変わっているのは、店の姉妹がお客さんを呼ぶ時も、お客さん同士が呼び合う時も、「トミー」とか「ジュリエット」やら「マイク」に「スーザン」といった、洋物の名前ばかり。
      キツネに摘まれた様な顔をしていると、姉妹の姉がコッソリ教えてくれました。
      「家の店では、本名で呼び合うのはご法度。だからみんなが思い思いの外国人の名前を勝手に名乗るの!それが家のルールなの」って。
      そんな奇妙な雰囲気に包まれていた時でした。
      「ねぇキャサリン!」と誰かに呼ばれて振り向いたのは、80歳をとおに超えていらっしゃる和服姿に真っ赤なルージュと、真っ青なアイシャドーのおばあちゃまが、満面の笑顔を向けたんです!
      姉妹の姉曰く、キャサリンさんは月に一度だけ、着飾って紅を注して家族に送ってもらって、若返りのためにとお店にやってくるのだとか。
      女性は確かに仰るように、口紅一つで若き日に瞬時に戻れるなんて、素敵ですよねぇ。

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