今日の「天職人」は、三重県四日市市の「出張髪結い」。(平成20年11月18日毎日新聞掲載)
小春日和の縁側で 舟こぐ母の髪を梳(す)く 黒髪自慢母なれど 見る影も無く雪化粧 目覚めた母は手鏡を ためつすがめつ眺めては 目を輝かせ紅を注(さ)す 乙女時代に立ち返り
三重県四日市市、ぱーま屋金太郎笹川店の主、井上修二さんを訪ねた。

昭和半ばの年末は、障子の張替えに始まり、年に一度の大掃除。
中でも御節の材料の買出しは、とにかく大変だった。
母に手を引かれ、人混みの中を行ったり来たり。
母は何軒も品定めの上、一円でも安い店へと買い回わった。
それが終われば二日もかけて御節作り。
いよいよ大晦日ともなれば、慌しさの隙を突き、母は髪結いへ。
年に一度の髪を結い上げ、モンペに割烹着という勇ましい姿で、行く年を見送った。
「あんな時代は、どこもそんなもん。だから大晦日の美容院はてんてこ舞い」。修二さんが懐かしげにつぶやいた。
修二さんは鹿児島県で2人兄弟の次男として昭和38(1963)年に誕生。
生後1歳の年に、家族揃って四日市市に移り住んだ。
高校を卒業すると、名古屋のぱーま屋金太郎本店で美容師の見習いへ。
「とにかく会社勤めが嫌で、調理師とかデザイナーとかに憧れて。で、たまたま髪型とかに興味があって、選んだんが今の美容師です」。
下働きをしながら通信教育で学び、21歳で美容師免許を取得。同じ年に兄と共に、暖簾分けで現在の美容室を開業。それから3年後には、岐阜県下呂市出身の美子さんと結ばれ、二男一女に恵まれた。
「昔、お客として来とったんですわ」。
それから平成2年に独立し、いよいよ一国一城の主に。

ちょうど世はまさにバブルの絶頂期。
誰もが浮かれ果てていた。
「工業都市の四日市は、どこの工場も人手不足。だからどんどん外国人労働者が増えて来て。特に7~8年前からは、ブラジルやペルーなど南米系の人らが増え出して。そこの公団なんか9割がブラジルの方ですに」。
そう言えば斜め向かいには、ポルトガル語の看板が掲げられた教会が。
「お客さんも時代と共にどんどん変わって。今は地元の方に交じって、南米系の方も来られます」。
修二さんは、時代の移り変わりを肌で感じ取っていた。
そんな2年前のある日。
客から相談が持ちかけられた。
「お客さんのお母さんが入院されて、シャンプーしに来て欲しいって。元々うちの店に通(かよ)とてくれた方が、身体悪してもうて来てくれやんやろかと」。

修二さんは仕事を終えると、依頼のあった客宅へと向かった。

「床に敷物して、カットクロス巻いて。店とは違うんで、ぼくがお客さんの周り360度をぐるっと回って。もともとお客さんやったで、好みのスタイルは知ってますし。終わるとカット代はいただきますが、出張料金は取りません。すると『悪いね、悪いね』って何度も感謝されて」。

将来は息子に店を委ね、自分が高齢者の送迎をしたいと願う。
「髪は女性にとって何より大切なもんやし、髪を結って女を取り戻してもらわんと」。
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オカダさんは、人生で初めて美容院に行った時は恥ずかしく無かった?どう?
そりゃあもう恥ずかしくって息苦しかったのを記憶しています。
美容院に行ったのは、同級生が勤めていた美容院だけで、20歳の頃に行ったっきりで、もっぱら床屋さん通いです!
出張して来てもらって髪をカットしてもらうなんて 本当に喜ばれると思います。
私も時々 両親を床屋さんに連れて行くんですが 終わった後の表情 変わりますから( ◠‿◠ )
あと 女性の高齢の方は 紅をさすだけでも 生き生きしてきますからね。
人生が終わる瞬間まで きれいでありたいものです。
ぼくが以前取材した居酒屋さんは、70歳過ぎの姉妹が営んでおられた、カウンターだけのお店でした。
至って普通の小料理屋のような居酒屋。
来店されるお客さんたちも年配の常連ばかりで、座る席もあらかた決まっているようなお店でした。
しかしちょっと変わっているのは、店の姉妹がお客さんを呼ぶ時も、お客さん同士が呼び合う時も、「トミー」とか「ジュリエット」やら「マイク」に「スーザン」といった、洋物の名前ばかり。
キツネに摘まれた様な顔をしていると、姉妹の姉がコッソリ教えてくれました。
「家の店では、本名で呼び合うのはご法度。だからみんなが思い思いの外国人の名前を勝手に名乗るの!それが家のルールなの」って。
そんな奇妙な雰囲気に包まれていた時でした。
「ねぇキャサリン!」と誰かに呼ばれて振り向いたのは、80歳をとおに超えていらっしゃる和服姿に真っ赤なルージュと、真っ青なアイシャドーのおばあちゃまが、満面の笑顔を向けたんです!
姉妹の姉曰く、キャサリンさんは月に一度だけ、着飾って紅を注して家族に送ってもらって、若返りのためにとお店にやってくるのだとか。
女性は確かに仰るように、口紅一つで若き日に瞬時に戻れるなんて、素敵ですよねぇ。