今日の「天職人」は、岐阜県郡上市八幡町の「雑穀商」。(平成20年10月21日毎日新聞掲載)
畑に長い影落し 腰を屈(かが)めた爺ちゃんが 鼻唄交じり鎌を振る 秋の恵みの穀(たなつもの) 粟倉(あわくら)様のお初穂は 自慢の出来の粟(あわ)と稗(ひえ) 参拝済めば気も漫(そぞ)ろ 飲めや唄えの直会(なおらい)に
岐阜県郡上市八幡町の庄村米穀店、三代目主の庄村敏(さとし)さんを訪ねた。

「五穀の中でも粟稗なんて、昔は『恥の食』とされて蔑(さげす)まれとったんやで。山間地や痩せた土地で暮らす人の、命を繋いできた伝統的な食材やのに。ところが今ではすっかり、健康食や自然食なんやで。やっと見直され始めたんやろか。それでももう生産者は僅かやし、収穫量も少ない。それに雑穀は米のように機械化されとらんで、とにかく手間がかかる。だから米や麦より、値も張る高級品なんやて」。敏さんは、一気に思いを吐き出した。

敏さんは上野家の末子として昭和28(1953)年に誕生。
高校の部活では、一つ年上の先輩女子に憧れ生物部へ。
淡い恋心を秘め、先輩と共に調査に明け暮れた。
高校を卒業すると印刷材料の機械メーカーに入社。
その後も先輩との恋を育み、ついに二人は昭和52年に結ばれた。
庄村家の一人娘であった延子(のぶこ)さんが、婿養子を迎える形で。
やがて一男一女が誕生。
延子さんは、子育てに追われながらも店を切り盛りし、やがて蕎麦の製粉にも乗り出した。
「郡上で雑穀作りが続いたのは、餅文化があったからやて。粟はもち米なしで搗けるで、昔の貧しい農家には打ってつけ。餅さえこしらえとったら、厳寒の季節でも米を研がんでええし、水仕事も減る」。
敏さんは、理に適った古人の知恵をたたえた。
「改めて店ん中眺め回すと、面白いもんが沢山あることに気付いたんやて」。

平成7年に社を辞し米穀店の三代目に。
「うちの店も最初の頃は、雑穀の餅用に黍(きび)やタカキビを仕入れとったんやて。袋には商品名が『熊本黍』って書いてあるのに、産地が明示されとらん。袋が二重になっとって、中の袋には『飼料用』って書いてあるし。これではあかん。どうせなら地産地消やないとって」。
敏さんは各地の農家を訪ね、雑穀の種を捜し求めた。
「農家はどこもかしこも高齢者ばっかり。跡継ぎも無い。放っといたら種が絶える。だから種を何とか譲ってもらってお礼して」。
今では車で10分ほどのところに畑を借り、粟・黍・稗の生産も手掛ける。

「雑穀は収穫後が手間なんやて。雑穀用の機械なんか高くて手が出んで」。
粟や黍は収穫後、まず脱皮機にかけ、続いて唐箕機(とうみき)に10回かけて皮を落す。

次に精白機に3~4回かけ、再び唐箕機で糠を取り去る。
それでも取れないものは、1粒ずつピンセットで取り除く。
9月の収穫から丸1年、その果てしない作業は続く。

「稗は禾偏(のぎへん)に卑しいと書く。雑穀なんて昔は、卑しさの代名詞みたいなもんやったのに、今のブームは何でやろ?こんだけ贅沢品が溢れかえっとるのに。それともやっとみんなが、大切な物に気付き始めたんやろか?」。敏さんは誇らしげに笑った。
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白米か雑穀米かを選べる時は、雑穀米を注文します。オカダさんは、どう?
ぼくはその時の気分で選んじゃいますねぇ。
でもいずれにしても、ご飯は美味しいものです。
いつ頃からでしょうね?
五穀米、十穀米、十六穀米と ちょっとしたブームになり始めたのは…。
私が子供の頃にもあったはずだけど。
私自身が食べ始めたのは 7,8年前。
今でも毎日じゃないけど 週に何回かは食べてますよ。
何故か食べる時って いつもより ゆっくり時間をかけて食べてるんですよね。
普段からそうすればいいんですけどね!
雑穀米にすると、色とりどりで、一味違って感じられますよねぇ。
私も 5年くらい前から雑穀米ですよ
今は23種類 ビタミンやカルシウム等が入っています (●^o^●)
2合のお米をとぎ 雑穀をプラスしてお水の量を少し多めに 柔らかめに炊き上げています ‼️‼️
冷凍保存するので (o⌒∇⌒o)
お正月の焼き餅用に アワ ヒエ キビ 黒豆 ヨモギ の切り餅を買いました。
お醤油をつけて 三重 伊勢湾の 焼海苔を巻いて 出来上がり~ (*^-^*)
あと 1週間 ヘ(゜ο°;)ノ
そうですかぁ!
迎春準備も完璧ですねぇ!
今晩は。
雑穀商のお話ですね。
私は、お米(白米,麦ご飯,十穀米,もち麦)は、好きです
私は、雑穀を、自分で買った覚えが有りません。
私は、粟,きび,ひえ言葉は、聞いた事有ります。