「天職一芸~あの日のPoem 258」

今日の「天職人」は、愛知県碧南市の「型付師」。(平成十九年十一月二十七日毎日新聞掲載)

玄関先でランドセル グラブに替えて一目散          「宿題せんと飯抜くぞ」 背中に迫る母の声           空き地の球場日暮ても 白いボールを追い駆けた         一途に明日を夢に見て 打っては投げた草野球

愛知県碧南市の野球工房イソガイスポーツ。グラブの型付師、磯貝善之さんを訪ねた。

「昔はちょっとした空き地で、棒っ切れと柔らかなゴム鞠さえあったら直ぐに野球だったわ。でも今は公園でキャッチボールも出来んのだで」。グラブを革紐で編み込みながら、男は寂しげにつぶやいた。

善之さんは昭和43(1968)年、二男坊として誕生。

「兄が幼い頃に病気で他界したもんで、実質は一人っ子みたいなもんだわさ」。

地元の高校を卒業すると、三重県鈴鹿市の総合スポーツ店で、店頭販売の修業に。

「この店を創業した父は、スポーツ用品全般を幅広く扱ってきたんだけど、時代と共にテニス用品とかほとんど売れんくなって。自分は小学校からずっと野球少年だったから、いつか野球用品一筋に特化したいと思い始めて」。

21歳の年に帰郷し、家業に従事した。

「最初はどうやって野球用品専門に、特化すべきか悩んだもんだわ。グラブにグリス塗って炬燵で温っためて柔らかくしたり」。

選手の使いやすさを試行錯誤で追求する毎日が続いた。

ある日のこと。人伝にプロ選手のグラブに、型を付ける職人の話しを聞いた。

善之さんはすぐさま福岡へと向かった。

型付師の江頭重利さんを訪ね、通い弟子となり技を会得。

「とにかく見て覚えるだけ。後は師匠から客に対する心構えやヒントを聞いて」。

善之さんの探究心は、型付だけに留まらず、グラブ本体の製造にも向けられた。

「23歳頃からだったかなぁ。奈良県の但馬にある、グラブの製造工場へ何回も足を運んで、その工程を見学させてもらうんだわ」。

見学を終え家に戻るとグラブを解体しては、組み立て方を己が目で確かめた。

平成4(1992)年、中学の後輩だった真弓さんと結婚し、一男一女を授かった。

平成7(1995)年、店舗の改装に合わせ、総合スポーツ店から野球専門店に。

念願だったオリジナルのグラブ製造も手掛けた。

「最初は一から十まで全部自分でやっとった。革と革を糊付けしたりして、こっちの手が離せん時に客が来たりして気が散るだわ。だで今は、手形に合わせて縫い合わせる所まで外注して、組み立てから仕上げの型付までをここでやっとるだて」。

グラブ作りは、まず客の手形を平面に描き出すことに始まる。

次に平板なグラブの本体を工場で縫い合わす。

それが納品されると、親指と人差し指の間にウェブ(網)を取り付け、グラブの内側にも革が柔らかくなるようグリスを塗り込み、革紐で組み立てる。

そして43~44℃の湯でグラブを湯揉み。

2日間の乾燥後、型付台で叩いて革紐を締め直し、再び丸一日乾燥し完成。

「最初の一揉みが一番肝心。息を止めて揉まなかん。それでグラブの一生が決ってまうで」。

誰よりも野球を愛する型付師が、少年のように笑った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 258」」への7件のフィードバック

  1. 野球!
    子供の頃、何故か?キャッチャーになりたくて
    キャッチャーミットとマスクを買って貰い
    兄貴が左利きなので、ファーストミットもありました。
    昭和の緩い時代、車も少なく・・
    兄貴と道路でよくキャッチボールをしてました。
    我が家のゴミ箱は木で出来ていて表に置いてあり
    コントロールが悪いのでよくゴミ箱に当たってしまい
    ゴミ箱が段々割れていくので、父親が釘と金づちを持って直してくれていました。
    でも大人になって分かった事は
    人と人との言葉のキャッチボールは大切な事だ知りました。
    なんてぇ!
    あたしって結構⤴真面目かも?

    1. ええっ、キャッチャーミットなんて高価な高価なものが、買っていただけたなんて!!!
      ええご両親だ事!
      家のゴミ箱も、木製でしたねぇ。
      それからプラスチック製の、アメリカの子供向けTVドラマ「ちびっ子ギャング?」だったかにも登場したような形を模造したような、丸くって大きな蓋のある青いゴミ箱になった記憶があります!

  2. 社会人になってから グローブをつけてキャッチボールをした事があるけど 難しいのなんのって。
    受け止めても すぐボールが落ちちゃって。飛んで来るボールに向かって グローブを突き出しても 動きがぎこちなくて まるでロボットみたいになったりして。
    途中から素手に変わってました(笑)
    なんか独特な匂いがしたような?

    1. その匂いは、グリスだと思うのですが・・・。ちょっと怪しいかな???
      ぼくの最初のグローブは、お母ちゃんお手製の、厚手の雑巾を縫い合わせたものでした。
      とてもグローブとは似て非なる、大きな大きな軍手のようてした。
      でも嬉しかったことを覚えています。

  3. 今晩は。
    型付師のお話ですね。
    野球のグラブに型を、付けるのですね。
    型付けは、手作業なのですね。
    私は、野球のクラブ買って貰った事が、有りません。野球を、やった事が、有りません。

  4. 同級生で野球チームがありまして、小生はライトで8番です!{笑い}今年はコロナで休みでした。いつ出番があってもいいように、バッティングセンター通いは欠かせません!

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