今日の「天職人」は、名古屋市中村区の「鉄道用品屋」。(平成十九年十月十六日毎日新聞掲載)
子供料金握り締め 路面電車に飛び乗った 気は急くもののガタゴトと 父を見舞った日曜日 「直ぐに帰れる日が来る」と 母が手を振る電停は なぜか町の灯にじみ出し チンチン電車遠ざかる
名古屋市中村区、鉄道関連用品を専門に扱う交趣会の店長、中田茂さんを訪ねた。

「昔の改札は、厚紙の切符にその都度鋏を入れとったでねぇ。その切符切りにもお約束があったんだわ。不正やキセルをされんように、午前と午後とでは鋏を入れる位置を変えたりとか。まあ改札員と乗客との知恵比べだわさ」。茂さんが黄ばんだ厚紙の切符を差し出した。

「昭和三十年頃の切符や、廃線になった駅の入場券なんかは、愛好者の間で一枚数万円の値が付くもんもあるって」。
茂さんは昭和29(1954)年、名古屋駅の近くで大工の長男として誕生。
大学を卒業するとカメラの販売店に就職した。
「小学校の高学年から中学にかけては、鉄道模型作りだわ。完成品は高いし買えんで」。
当事一日の小遣いが十円で、レールは一本五十円。
小遣いを一週間近く貯めては、レールを一本買い増した。
「台車の上に車体を厚紙で組み立て、木製の屋根を取り付けて特殊な塗料で塗装するんだわ。そうすると厚紙が金属質に堅くなるんだって」。
茂さんが高校に上がった昭和46(1971)年、名古屋市の市電、栄―笹島間が廃止された。
「市電が一番好きだったんだわ。廃線になったらもうあの姿が見えんくなるもんで、自転車に乗って市電の写真を撮りまくっとったて」。
その数36枚撮りフィルム1000本とか。
「それが鉄道写真に魅せられて行くきっかけかなぁ。写真撮りに歩くのが、そのまんま小さな旅行みたいで」。
いつしか趣味の延長線上に、就職先を見出していた。
「最初ぼくは、この店のお客だったんだわね。15年ほど前から通うようになって。昔この店は東京が本社だったんだけど、やがて閉鎖されて。前の店主が独立して、この店を継続したんだわ。その後店主が高齢になって引退するもんで、縁あってぼくが一年半前に引継いだんだって」。

いつの間にか茂さんの回りには、一人二人と常連の鉄道愛好家が顔を揃え、話しの行方に耳を傾けニヤニヤとほくそ笑む。
そして愛好家達は、ショーケースに居並ぶ客車の模型や鉄道関連用品について、親切に解説を始めた。
「これは?」。
子供の頃からずっと気になっていた、列車の側面に取り付けられている型式番号を指差した。
「そいつはオアフ13型と言って、オは22.5~27.5tの自重。ハはイロハの順で、イが一等だからハは三等客車。今の普通車輌だわ。それでフは、ハンドブレーキのある車掌室付きって意味だわ」と茂さん。
「ここに並んどる物はどれも、金さえあれば売るってもんじゃないんだわ。本当に大事にしてくれる同好の人に、嫁にでも出すような気持ちで連れ帰ってもらうもんばっかだで」。

汽笛を子守唄代わりに育った鉄道の落し子は、照れ臭そうにつぶやいた。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
おはようございます。
・鉄道用品屋のお話ですね。
・鉄道用品の専門店が、有るのですね。
私は、知りませんでした。ブログを見て勉強になりました。
・昔の切符は、鋏を入れる事聞いた有ります。 鉄道用品(切符,切符を切る鋏,等)色々有るのですね。
鉄道好きな方には、たまりませんね。
たまに、首からカメラを提げた撮り鉄さんたちを見かけます。きっと、心の中はワクワクで一杯なんでしょうねェ⤴️
私と言ったら、先日『台湾カステラ』を購入するため行列。待っている間は、ワクワクでしたよ(笑)
ええっ、台湾カステラって何よ!!!
え〜!そんな専門のお店があるとは!
お客さんは 一度入店したら なかなか帰る事が出来ないんじゃないかなぁ?
ワクワクドキドキしちゃって(笑)
きっと店内には 汽車が走る音なんかが流れてたりして( ◠‿◠ )
厚紙の切符懐かしいです。小さい頃 おもちゃの切符セットで 駅員さんの真似をしてました。次々と来るお客さんの切符を流れるよう切る駅員さんは カッコ良かったですからね。
厚紙の切符一枚だけで、今よりももっともっと旅した気分になったものです。
少なくとも、あのICカードなんかよりも、ずっとずっと!
切符売り場で行き先を告げた瞬間から、もう心の旅は始まっていた気がします。
子供の頃にSLが無くなるということで鉄道ブームでした。その余波で今も少なからず関心があります。兄が昔、大学の鉄道研究会に所属していたのを思い出して、還暦祝いに旧国鉄の帽子をプレゼントしました。あまりうれしそうじゃなかったなあ、、。今はもう興味なかったのかも。
そうは言っても、兄上殿も家族みんなの手前、そうそう童心に帰って手放しで喜べなかったんじゃないですかな???
きっとこっそり、昔を懐かしんでおられるのでは?
「天職一芸〜あの日のpoem 252」
「鉄道用品屋」
駅近くの丘陵地帯の踏み切りを超えた所に良い場所があるようで朝早くから
カメラを手にした若者がいるのを見かけてました。その日は年配の方がひとり策を超えていたので 危ない!と思って踏み切りを超えて車で近づくと首からカメラをぶら下げてみえたので ひと安心したことがあります。
なので還暦のお祝いに旧国鉄時代の帽子って 心の中でスキップして凄く喜ばれたのではと私も思います。
高山線で何かが最後に通過する時には
その場所はカメラを持った方々でかなり賑わっていました。専門店でお話を聴く事が出来たなら引き込まれますよね。
素人には敷居がちょっと高いですけど
まあ、マニアの方には、素人では考えられぬほどの、夢の別天地の様でした。