「天職一芸~あの日のPoem 247」

今日の「天職人」は、愛知県岡崎市の「薪罐(まきがま)焚き」。(平成十九年九月四日毎日新聞掲載)

夕餉(ゆうげ)を急ぎ掻き込んで 父と二人で銭湯へ   背伸びで番台小銭置き 湯船の中へ一目散        烏の行水飛び出して 脱衣場テレビに食い入れば     カポンカポンと豊登 父と真似してカポンカポン

愛知県岡崎市の龍城(たつき)温泉、女将の藤井三千代さんを訪ねた。

「本当はねぇ、一番風呂のさら湯は、身体にあんまり良くないだよ。沢山の人が浸かってある程度身体の出汁(でじる)が出た方が、年寄りや子供にはいいじゃんね」。三千代さんは、首筋に伝う汗を、首に巻いたタオルで拭いながら笑った。

「もともと主人も私も豊橋の出じゃんね。主人は豊橋の人参湯に長男として生まれたんだけど、二男に跡を譲って昭和34(1959)年にこの風呂屋を買っただわ」。

三千代さんは昭和17(1942)年、豊橋の農家河合家で五人姉妹の長女として誕生。

高校を出ると地元のパン製造販売会社で売り子を務めた。

それから三年。パン屋の看板娘に見合い話が持ち上がった。

岡崎で風呂屋を始めて間もない、若大将の公人さんと。

二人は豊橋~岡崎間の中距離恋愛を実らせ、昭和38(1963)年に結婚。

三千代さんは右も左もわからぬまま、二十一歳の若さで風呂屋の女将へ。

「最初は恥ずかしくって、番台によう上がらんかったわ。だって目のやり場がなかったじゃんね。でもまあ三ヵ月もすればへ~っちゃら。そりゃあ形や大きさはいろいろでも、どれもみんな所詮は同じだもんねぇ」。

翌昭和39(1964)年には、戦後復興を世界に高らかと宣言するように、代々木の杜に五輪の開会を告げるファンファーレが鳴り響いた。

「今とは住宅事情も違って風呂屋は連日大忙し。悠長に子供なんて作っとる暇もあれへんわさ」。それから四年、一男一女が誕生。

だが風呂屋の忙しさは待った無し。

「夕方になると赤ちゃんや子供が一杯で、まるで託児所みたい。お母さんたちが身体洗っとる間、私は両手に二人の赤ちゃん抱いて。だから家の子の子守りはぜ~んぶお婆ちゃん。だもんで私なんて家の子抱いたこと無いじゃんね」。

今ではすっかり住宅事情が変わり客数も激減。

「赤ちゃんなんて、今じゃあ年に一回見るか見んかだわ。それとお風呂が壊れちゃった方とか。後は昔ながらのご常連」。

三千代さんは、上がり框(かまち)に脱がれた履物一つで、何処の誰が来ているのかもわかるとか。

薪罐焚きの龍城湯は、午前九時の火入れから一日が始まる。

写真は参考

「まず罐に火入れといて、それから走り回って、お勝手仕事から風呂掃除に脱衣場の掃除。その間に主人が製材所から材木屋、そして木工屋に建具屋を回って二㌧トラック一杯分の薪を集めてくるじゃんね。そうこうしとると湯も沸き上がってもうお昼だわ」。

夫婦差し向かいで昼餉の後、三時の開店に向け湯船に湯を張り、仕上げの沸かし上げへ。

「それでやっと一服。開店前の一番風呂をいただいて一汗流させてもらって」。

開店から夜九時の閉店まで、罐焚きは夫と交代。

「岡崎に風呂屋は四軒残っとるけど、薪はもう家だけかなぁ。昔の閉店前の残り湯はドロドロだったって。お客さんが湯船に一杯で、まるでイモコジ(芋のごった煮)みたいに出汁が出て。でも今はお客さんも少ないで、お湯が汚れる暇もないって」。

大正13(1924)年築の高い天井の脱衣場一杯、三千代さんの笑い声が響き渡った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 247」」への15件のフィードバック

  1. まだ こんなレトロなお風呂屋さんが残ってるんですね〜。
    「女将さ〜ん!時間ですよ〜!!」
    すぐ この台詞が浮かんじゃいました。
    オカダさんなら かぐや姫の『神田川』かな⁈
    小さい頃 近所にあった銭湯に何度か行った事があって お風呂あがりに瓶に入ったコーヒー牛乳を飲んだ記憶だけが しっかりあります( ◠‿◠ )
    昔のお風呂屋さんって 優しい社交場って感じかな♡

    1. そうですよ!
      裸の社交場。
      ぼくが子どもの頃は、プロレスラーの豊登の真似をして、老若男女がって女性は違いますから、老いも若きも男どもは、銭湯のTVのプロレス観戦に夢中で、誰もかれもが豊登の登場パフォーマンスを真似、腕を大きく開いて胸元で交差させ。脇の下でカッポーンカッポーンとやったものでした。

  2. 近くに、こう言うお風呂屋さんはもう無くなってしまいました。今、一番近いお風呂屋さんが『湯〜とぴあ宝』って、どうよ(>ω<)

    1. あらぁ~っ!
      大型温浴施設ですよねぇ。
      でも好きな方は、お好きですよねぇ!
      近くの温浴施設って!
      ぼくはちと苦手です。

  3. 銭湯と言えば
    昭和の時代ある時間になると・・
    TVでプロレスが始まる頃になると男湯はガラガラになる
    まぁ~⤴男は単純でイイよねぇ~⤴
    「君の名は」の番組が始まると
    女湯がガラガラになるとか
    男女の純愛を描いたドラマだそうで
    流石に!あたしは知りません!
    恋愛ドラマって、じれったいから・・
    早く結論だして、次の恋を探さないとねぇ!
    恋多き男はつらいよ!

    1. さすがにぼくも、落ち武者殿と同様、「君の名は」の実像をリアルタイムで享受したわけではありません。
      でも「すれ違い」手法であったならば、恋愛ドラマの定石でしょうね!
      あのヒロちゃんが虜になった「冬ソナ」のように!

  4. お懐かしい!
    マッサージ椅子や冷蔵庫等々の置き場所が、私が子どもの頃に通っていた銭湯と同じです。行ってみたいなぁ。

    それに豊登とは!
    私はプロレスが始まる前に帰って見ていました。反則技の道具がいつも栓抜きなのはナゼ?と思っていました。

    1. ぼくの若い頃に、名古屋のC局のTV番組があり、そのレポーターをしていた頃。
      プロレスラーのマスクを買い集めている当時の高校生が居て、その子を追跡取材したことがありました。
      岡崎だったかの体育館で試合があり、そこにその高校生が出掛け、メキシコだったかの覆面レスラーのマスクを、レスラーに直接交渉して購入するという場面のレポートだったのです。
      そして試合が終わり、彼はメキシコだったかの覆面レスラーと交渉し、宿泊先である名古屋の国際ホテルの部屋で受け渡すこととなったのです。
      レスラーを乗せた新日本プロレスだったかの大型バスを取材者で追い駆けたものです。
      まあ、想像はしていましたが、リングではさっきまで敵味方として流血シーンまでしていたレスラーが、同じバスに同乗し和気あいあいと宿泊先に帰っていくとは!!!って、バスのカーテンは閉ざされていたため、本当はどうであったかは、定かではありません。
      でも、きっと普通に盛り上がっていたんじゃないでしょうか?
      {おおいっ!今夜のあては、風来坊の手羽先80本だぞっ!」ってな感じで!

      1. オカダさん、色々と面白い経験をされていますね〜!
        メキシコといえば、ミル・マスカラスでしょうか。
        それにやっぱり、敵味方でも(秘密で)仲良しだったんですね。貴重な目撃ですね!ほのぼの・・デス。
        私も後年は、ヒールのレスラーが好きでした。タイガージェットシンとか華がありました。^ – ^

  5. 銭湯のお話、以前にもありましたねえ!やはり、釜焚きはしなかったけれど、銭湯に住み込みで働いていた大学時代のことを懐かしく思い出します。毎晩11時半から始まる風呂掃除の代わりに下宿住まいに1万円のバイト代が出ました!80年代の話です。

  6. おはようございます。
    ・薪罐(まきがま)焚きのお話ですね。
    ・スーパー銭湯等は、有りますが、レトロな銭湯が残っているのですね。貴重ですね。
    ・私は、あまり銭湯に行きません。

  7. 今晩は(^-^)/
    私の近所に銭湯がありますよ(^-^)
    ブログに載っている写真マッサージ機椅子や髪を乾かす椅子もロッカーもそのまま同じ物が今でも置いてありますよ(^-^) 飲み物の冷蔵庫ケースも同じですよちなみに今はサイダーしか置いてない未対応ですよ 私が小学生の頃牛乳コーヒー牛乳フルーツ牛乳がありましたよ 写真見て懐かしいですねありがとうございます✌️ 

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