今日の「天職人」は、名古屋市中川区の「尺輪(しゃくわ)職人」。(平成十九年八月七日毎日新聞掲載)
父の手は 油塗(まみ)れで真っ黒け 晩酌だけを楽しみに 自慢話しを繰り返す 小さな命籠に載せ ガタゴト押した乳母車 どんな凸凹(でこぼこ)畦道も 父のタイヤは子を守る
名古屋市中川区、大正末期創業の宇藤車輪製作所。三代目尺輪職人の宇藤昇さんを訪ねた。

「家は痩せても枯れてもメーカーだて!」。
とても七十四歳を迎えた老人とは思えぬ、威勢のいい声がガランとした工場に鳴り響いた。
尺輪とは、乳母車専用の直径一尺(約三十㌢)の車輪。
昇さんは昭和8(1933)年、五人兄弟の長男として誕生した。
中学生になると父の手伝いを開始。そして卒業を待って本格的な家業の後取りに。
戦後復興と共に乳母車の生産は最盛期へ。
二十六歳になった昭和34(1959)年、見合いで正子さんを妻に迎え娘二人をもうけた。
だがそれから四年後、先代の父が他界。
遺された職人一人と、妻の三人で家業を引き継いだ。
乳母車の尺輪は、まず一㍉の鉄板をロール機にかけて、リムの輪っかを作り出すことから始まる。
それを溶接で繋ぎプレス機でスポーク用の穴を十六個を打ち抜く。
続いて三十㌢の番線を二つ折りにしてスポークに。
次は鋳物製のハブの片側にスポーク四本をハンマーで叩き込み、両端を押し切りで裁断し長さを合わせ万力に挟みかしめる。
それを今度はリムにかしめて合体。

「金槌で叩いてチンチン鳴ったら上出来だわ。かしまっとらんとゴソゴソ鳴ってひび割れてまうって」。
次にリムにタイヤを取り付ける。
「毎日やっとってもかんて。最初の五~六個は調子出えへんでかんで。タイヤは長靴やゴム鞠(まり)溶かした再生品で、チューブなんて入っとらへんで一生物のノーパンクだって」。
最後に心棒を通しぶれが無いかを確かめて完了。
「まあ全国でもたぶん俺一人じゃないだろか。昔のまんまで作っとるのんは」。昇さんは誇らし気に笑った。
だが昭和40(1965)年代半ば頃になると、ゴムタイヤの代わりに発砲スチロールを使用した模造品が出回り出した。
「まあピークは、昭和48(1973)年のオイルショック頃までだったわ」。最盛期は一日五十台分の二百個を製造した。
「そんな頃は父も母も毎日仕事で大忙し。工場の片隅に乳母車が置いてあって、私は子供の頃そこに入れられてアイスキャンディーを食べてたもんです」。傍らで次女の恵美子さんが懐かしそうにつぶやいた。
「今は一日五台分がやっとだわさ。一から十までたった独りでやっとんだで」。土日も平日も無いのは今でも同じ。馴染みの客から頼まれれば、そんなことに構ってなどいられない。それが昭和の職人魂だ。
「よう『この車輪で大丈夫かね?』って聞かれるもんで、『あんたが生きとるうちは大丈夫だわ』って答えたるんだわ。そしたら『そんなもんあんまり丈夫に作っとると、自分で自分の首絞めるだけだぞ』だと」。昇さんの笑い声が再び快く鳴り響いた。

「この人ったら、こないだ胃癌の全摘手術したばっかりなのに、もうその翌日から工場に出て仕事しとるんだでねぇ」。妻は夫への労わりを、そんな言葉で照れくさそうに茶化した。
尺輪職人として脇目も振らず歩んだ六十年は、スポークという家族みんなの支えがあったればこそ。
天晴れ、下町職人一家。
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おはようございます。
尺輪(しゃくわ)職人のお話ですね。
私は、尺輪を知りませんでした。乳母車の車輪(タイヤ)だったのですね。勉強になりました。
尺輪は、手作りで出来ているのですね。
大人も子供も楽しめる「町内運動会」の「リム回し」と言う競技で、初めて《リム》と言う存在を知りました。
リム回しって、簡単そうに見えて中々扱いずらいものでしょうね。
世の中には色んな職種があると思いますが
「尺輪職人」
初めて聞く言葉です。
あたしも生まれ変わったら「職人」なりたいもんです。
Charさんになりたいぃ⤴
誰?って
私たちの年代なら知っている。
「気絶するほど悩ましい」を歌っていた!
ギターリスト職人のCharさん
あんなに上手かったら・・
オカダさんのバックで一緒に演奏出来たのにねぇ!
Charさんに憧れていたとは!!!
だからせめて髪型だけでもって想いで、茶髪落ち武者ヘアーにされたんですかぁ!
しかし帽子は、必需品ですねぇ!
あの車輪が 長靴やゴム鞠の再生品だったとは…。
これもまた 生き残っていく為の道具なのかな。
今みたいに道路もきれいではなかったはず。そんな中 パンクもせず 乳母車がガタゴト揺れる中で幼児がニコニコキョロキョロ( ◠‿◠ )
両親の手だけではなく この尺輪にも育てて貰ったはずの私です(笑)
乳母車は、役目を終えると、今度はお婆ちゃんの杖代わりですものねぇ。