「『リンゴの唄』に希望の光」2011年4月21日(オカダミノル著)
「♪赤いリンゴにくちびる寄せて だまって見ている青い空…♪(歌/並木路子、霧島昇)」。
ご存知昭和の歌謡史を代表する「リンゴの唄」だ。
空襲で家も家族も失い、焼け野原でただ呆然と立ち尽くす人々に、「それでも今日を生き抜け」と、希望の火を燈した不朽の名曲である。
先月十一日、東日本を襲った大震災と大津波。
その惨状を並木さんが目にしたら、きっと直ぐにでも、天国の階段を駆け降りて来ただろう。
かつて阪神淡路大震災の折、被害が甚大であった神戸市東灘区の小学校校庭で、車のヘッドライトをスポットライト代わりに浴びながら、被災者を励まそうとこの曲を歌ったように。
当時の彼女は七十三歳。
「リンゴの唄」のデビューから数え、ちょうど半世紀が経とうとしていた。
オリンピアの聖火が世界平和の象徴であるとするならば、彼女が半世紀を賭け歌い継いだ「リンゴの唄」は、被災者の塞ぎ込んだ心に燈る希望の灯かり、「聖歌」であった。
同時にそのリズムは、復興へと歩み出す槌音だったに違いない。
「♪リンゴは何にも いわないけれど リンゴの気持ちはよくわかる リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ♪」
リンゴの産地東北で、耳を澄ませば春風に乗って、空の彼方から並木さんの歌声が、被災者の耳元へときっと届くことだろう。
「どんな時でも、明日を信じて共に生きよう」と。
幼子は、倒(こ)けつ転(まろ)びつ伝い歩きを始め、やがて確かな一歩を踏み出すもの。
鳴き砂さえ涙を涸らした東北にも、明日はきっと訪れる。
あの日、2011.03.11、ぼくはラジオのスタジオでの生放送中に、あの東日本大震災の瞬間に立ち会うこととなりました。
何とも不気味な横揺れが、結構長く感じられたものです。
それから時を追うごとに、TV画面からは目を覆いたくなるほどの惨状が繰り返し放送され、未だにその残像が瞼に刻まれています。
皆々様はあの日あの時、どこでどなたと何をなさっていらっしゃいましたか?
紙一重の生と死。
あの時は、否が応でも考えさせられたものです。
そして得た結論は!
いつ天に召されるかは、神のみぞ知るものとすれば、今日が、明日がその日であったとしても、悔いることのないように、将来どうありたいかばかり、見果てぬ夢ばかりを描いておらず、今日を、今を少しでも悔いを残さぬように、今日、今出来ることを出来る範囲で果たすことだと、そんな結論を得たものでした。
だから「頑張り過ぎずに頑張りゃあいい」んです。
人は絶望の淵に追いやられても、命ある限り生き抜かねばなりません。
その絶望の淵とは、何も災害ばかりではなく、こんな世の中、一番忌み嫌うべき人災だってあります。人が何気に放った刃のようなたった一言の言葉が、大きく相手の心を抉ってしまうことだって、天災に劣らぬほどの人災です。
避けて通りたくとも避ける事さえ儘ならず、真っ向から受け止めざるを得ないことだってあります。
そんな時皆々様は、どのように傷付いた心を解き放たれようとされますか?
ぼくは知らぬ間に、子どもの頃口ずさんだ唱歌を諳んじながら、大空を仰ぎ見てしまいます。
少なくとも今ほど穢れを知らず生きていた、そんな純真だったころの唄をせめて口づさみながら。
それがぼくにとってのエールソングなんでしょうねぇ。
今夜は、弾き語りで「泪にCheers」をお聴きください。
「泪にcheers」
詩・曲・歌/オカダ ミノル
こぼれ落ちた 泪の数だけ 幸せが 君を待ってるはず
素直なままの心で 誰の目も気にせず 君は君らしく
戻れない もどかしいあの日 悔やんでも 心晴れやしない
明日だけただ信じて 君の明日は 君だけのもの
泪にcheers 差しつ差されつ 酒ですべてを 呑み込めばいいだけ
泪にcheers 酔い潰れても ぼくが傍に いるから
掴み損ね 転げ落ちた夢も 掴めるまで掴み続けれりゃいい
もう駄目と 溜息落とせば 叶うものさえ 潰えてしまうだろう
生きていれば 誰もが夢抱く トキメキに心躍らせては
やがていつか 傷付く怖さに 怯えないで心まで閉ざさないで
泪にcheers 君の哀しみ 最後の雫 枯れ果てるまで流そう
泪にcheers 泣き疲れても ぼくが傍に いるから
泪にcheers 差しつ差されつ 酒ですべてを 呑み込めばいいだけ
泪にcheers 酔い潰れても ぼくが傍に いるから
続いては、CD音源から「泪にCheers」お聴きください。
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、これまた逸品ではありませんが「なぜかふと口ずさんでしまう唱歌の思い出」。
とくに最近、知らぬ間に子どもの頃に習った、唱歌を口ずさんでいる自分に気付くことがあります。
特にウォーキングをしている時や、車を運転している時など。
ぼくの場合は、「みかんの咲く丘」や「ふじの山」だったりします。なぜか薄ら覚えの歌詞を口ずさむと、穢れを知らなかった子どもの頃の純な気持ちが、ほんのわずかですが蘇ってくるようで、なんとも素敵です。
皆々様は、いつどんな時に、子ども心の唱歌を口ずさんだりなさいますか?今回はそんな「なぜかふと口ずさんでしまう唱歌の思い出」について、思い出話をぜひお聞かせください。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
今晩は。
動画(泪にCheers MP3TUBU,泪にCheers 弾き語り)を、見ました。
泪にCheers弾き語り良かったです。
泪にCheers良い曲ですね。歌詞が良いですね。
泪にCheersは、私の応援歌です。
(テーマ)なんとなく口ずさんでしまう唱歌の思い出
考えて見ました。
唱歌は、出て来ないですね。
泣かせないでよ(>д<)ノせっかく忘れてたのに(笑)前の人生が❌になって今の人生を歩きだしてチョツト(;´Д`)ハァハァしんどい時に岡田さんの歌に出会って『人生、捨てたらダメだな』と思って元気になって今は笑って過ごしてるハッハッハ\(^-^)/(*^^*)\(^-^)/
笑う門には、絶対絶対、福来るって思わなきゃ!
どんな時だって笑い飛ばせばいいんだって!
忘れもしない…
あの日は 小学部六年だった次男の卒業式。午前中に式を終えた私は 一旦次男と帰宅し 14時過ぎに長男を迎えに再び学校へ。車から降りて校舎前に着いた時に あの揺れを感じてしゃがみ込んでしまいました。帰りの車内で長男が見ていたテレビを慌ててニュースに変えると波が近付いてくる場面でした。帰宅した時には街が消えていて…。
と同時に、私にも変化が。
言葉が出なくなり ただ涙が溢れるばかり。その日の夜には 海辺に立つ私が波に覆われる夢をみました。
翌日から 新聞で震災状況や亡くなられた方々の名前を見ると涙が溢れたり テレビで震災状況を見ると(特に波) 気分が悪くなったり心臓がドキドキしたり。あたかも自分がその場に居たかのような感覚になってました。1ヶ月ぐらい続いてましたね。あの日の翌日からテレビも新聞も見ないようにして。
今でも この震災だけに限らず この後に起こった震災等の報道は見れません。
あの時の弱っていた心を救ってくれたのは 日々ドタバタしてる二人の息子達との慌ただしい生活だったのかも知れません。
今は 今日やれる事だけに目を向け頑張り 深夜に自分を褒めて眠りにつく…って感じですね( ◠‿◠ )
自分を自分が褒められるような一日こそが、充実した一日であった証ですもの。
ぼくは、東日本大震災以降、四度東日本の被災地に足を運ぶことが出来ました。
そんなことくらいしか、ぼくに出来る事なんてないんだと、つくづく持って無力感を感じるばかりです。
でも被災地を訪れるだけでも、少しだけでもお役に立っているのかもとも、思うようになりました。
また、いつの日かゆっくりと東北陸奥旅に出掛けたいものです。
ふっと口ずさんでしまう唱歌と言ったら 「かえるの合唱」と「うれしい雛祭り」ですね!
長男が この2曲を好きっていうのもあって…。特に「かえるの合唱」は毎日唄ってるかも(笑)
あとは 季節に応じた歌をさり気なく口ずさんで彼らの耳に届くようにしてます。
唱歌じゃないけど 時々何故だか鉄腕アトムの曲を口ずさんでしまう時があるんですよね〜。
なんでだろ〜?( ◠‿◠ )
ある意味、それも立派に唱歌に組み込むべき作品化も知れませんよねぇ。
秋本番となり、家のオータムオキザリスも真っ盛りで、かわいらしいピンクの花が満開です★
大好きなお花で、癒されています
(*^^*)
体力的に衰えを感じる年となり、終着駅もそろそろ見えてきました!
肩書きとか、人との競争とか、いろいろなしがらみとかにこだわることなく、残りの人生を自分らしく穏やかに生きていきたいです
(^ω^)
オカダさんが、いつも言われるように、「頑張り過ぎずに、頑張る!」ように、日々暮らしていきたいです★
美しい夕焼けを見ると、秋の風物詩の「赤とんぼ」を口づさみます♪
(*´∇`)ノ
この曲は、小学校の音楽の歌のテストで、クラス全員の前で歌った思い出の曲です!
緊張しすぎて、のびのびと歌えなかったです
(^_^;)
そうですか!
見ごたえありそうですねぇ!
可憐なオータムオキザリスが満開とは!
「赤とんぼ」ぼくも好きな歌です。