今日の「天職人」は、三重県四日市市の「舞踏場小屋主」。(平成十九年六月十九日毎日新聞掲載)
ミラーボールに跳ね返る 光を浴びた舞姫は ダンスホールに舞い降りて 熱い視線を独り占め ワルツにラテン舞姫が 軽くステップ踏む度に ドレスの裾も翻(ひるがえ)り 溜め息落とす男たち
三重県四日市市のダンスホール「シャル・ウィー・トキワ」。小屋主の前川カズエさんを訪ねた。

「毎日がバラ色の舞踏会みたいなもんやね」。カズエさんは、背筋をピンと伸ばした。
カズエさんは昭和三(1928)年、大安町の農家で七人姉弟の長女として誕生。
尋常高等小学校を出た昭和十八(1943)年、名古屋の航空機会社で事務職に就いた。
泥沼と化した戦況は、日に日に悪化の一途。
「三河大地震が収まったと思ったら、今度は空襲の嵐やわ。友達と手ぇ繋いでお宮の境内まで逃げて、大きなご神木に必死んなって抱きついて。いっぺん田んぼ道を逃げ回ってたら、爆弾が落ちて気ぃ失ってもうて。しばらくして顔上げると、友達も泥っぺたけの顔上げて『私らまだ生きとるねぇ』って泣き笑いしたもんやわ。周りには死体がゴロゴロしとったのに」。
熱田大空襲の翌日、命からがら実家へと舞い戻った。
終戦の翌年、地元の電気メーカーの事務職として再就職。
「旦那に上手に見つけられたんやさ」。
同じ職場の故貞一さんと、昭和二十四(1949)年に結ばれ、三人の男子をもうけた。
「生活難の時代やったでねぇ。旦那が勤める会社の電化製品の、銘板作る内職で必死やさ。当時は二十円のイワシ一匹買うのんもやっとこせでな」。
ところが一転、世は高度成長時代へと雪崩れ込み、三種の神器として「テレビ・冷蔵庫・洗濯機」が飛ぶような売れ行きに。
貞一さんは会社を辞し、常盤工芸を設立。
電化製品の銘板を主力商品に、時代にうねる高波に乗じ家業を安定させていった。
「子供が中学生の頃やったろか。旦那が社交ダンスをかじり出して、『お前もどや?』って誘われて、ほんのちょっとだけ通ったんやわ。でも仕事も大忙しやったもんだからそれっきり」。
どうにか自分の時間が持てるようになったのは還暦の年。
わずかばかりの時間を拾い集め、仕事の合間を縫って夫と連れ添いダンスホールへと通った。
だが今から十三年前、最愛の夫が死去。
それでもカズエさんは、息子に譲った家業に七十歳まで従事した。
翌平成十一(1999)年、ダンスホールを開設。
「周りの友人らもみんな、これから高齢化するばっかりやし私もその部類やで、そんなら自分らで楽しんだろかって。そしたら息子が『最後の人生やで、あんたの好きにしなはれ』ってゆうてくれたもんやで」。
カズエさん所有のビル一階に七十坪のダンスフロアが誕生した。
「最高齢は私やさ。それでも足と頭の運動になるし、呆け防止にもええから」。
小家主の仕事はと問うてみた。
「そんなん、もっぱらおしゃべりとダンスやわ」。カズエさんは少女のように笑った。

「家におるだけやったら、モンペはいてしまいですやろ。でも煌びやかな衣装一枚羽織るだけで、たちまち女に戻れるんやで」。
働きづめの七十年に報いた自身への褒美。
それが舞踏場だった。
ついにこのホールで最愛の夫とステップを踏むことは叶わなかったものの、まるで人生を巻き戻すかのようにカズエさんの軽やかなターンは続く。
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凄いなぁ〜。
自分へのご褒美が舞踏場なんて…。
ましてや ご自分も煌びやかなドレスを着て舞い踊る。
素敵!光景が目に浮かぶようです。
凛としてて でも可愛らしい 女性なんでしょうね。きっと…。
私もまたいつか あのダンスシューズを履いて踊ってみようかな⁈(大笑)
ぜひぜひ、せっかく基礎があるんだから、これから輝く時じゃないですか!
さあ、Save the Last Dance for Me!
旦那様から「Shall we dance?」
ご夫婦揃って同じ趣味だったなんて素敵ですねぇ⤴️
あやかりたいけど、無理だなぁ。何故か一緒にいるとケンカになる(トホホッ⤵️)
まあ、そんなものじゃないでしょうか?
傍じゃなくって、近くにいなければやってられないのが夫婦ってものだとしたら、そんな日々を何十年ってやんなきゃなんないんですものねぇ。
ダンス!
うん~⤴苦手!
やはりセンスがないと思います。
子供の頃、夏休み、校区の盆踊りで頑張ってやれば良かった!
まぁ~⤴この歳になって、今更って思います。
そうそう話変わるけど
この前、病院へ行って「インフルエンザ」予防接種の
予約をしたら、問診票に(高齢者用)と書いてあったので
改めて、あたしゃぁ~!
高齢者なんだと自覚しました。
あ~ぁ~⤵
まあ誰しもが、やがてゆく道ですから!
ぼくだってその内ですって!