今日の「天職人」は、岐阜県関市板取の「炭焼き職人」。(平成十八年九月二十六日毎日新聞掲載)
沢に煙が立ち昇りゃ 森も紅注し色気づく 長閑な秋の青い空 鳶もヒュルリと輪を描く 炭焼き小屋の職人は 昼の一服手を休め ワッパの飯を平らげる 色付く森をご馳走に
岐阜県関市板取の、三代目炭焼き職人、長屋善一さんを訪ねた。

「炭焼き小屋は、沢底辺りで近くに水が流れる場所でないとかん。泥捏(こ)ねて窯を造らんなんで」と、老人は玄関先に腰掛けた。
善一さんは大正十三(1924)年、九人兄弟の長男として誕生。
尋常高等小学校を上がると軍事教練へ。
昭和十九(1944)年、徴兵で航空隊に入隊。
「福島で防空壕ばっか造らされて、最後は蜜柑畑で受講中に終戦やて」。
「除隊して戻ったもんの、食糧難で十三人の大家族がろくに食うもんもないんやで。百姓したり炭焼きして、何とか凌いどったわ。それでも田んぼが一町歩ほどあったもんで、米だけは何とか自給出来たんやて」。
余った米は供出逃れに、隣の厩(うまや)で飼葉(かいば)の中に隠し込んだ。
板取の炭焼きは、明治後期に始まった。
コナラ・樫を原木に、取り分け高級とされる白炭(しろずみ)を産した。

「硬い炭やで、黒炭に比べ、火持ちが五倍も違うんやて」。
高級料亭や鰻屋に、重宝がられた。
「でも重労働でえりゃあばっかや」。
戦後復興の槌音と共に、暮らし向きにも徐々に明るさが兆し始めた。
昭和二十三(1948)年、隣の家から米子さんが嫁いだ。
だが子宝には恵まれず、やがて養女を迎えた。
今から五十年前までが、炭焼きの最盛期。
毎年九月末から翌年五月中頃まで、煙が立ち昇った。
「毎朝三時に起き出して、小田原提灯ぶら下げて、真っ暗な山道を一~二時間かけて山へ分け入ったもんや。窯が千度に焼けて暑っいもんやで、丸裸でチンコに蕗(ふき)の葉巻いて前掛け一枚やて。全身真っ黒にして、灰神楽みたいやった」。
炭焼き窯の中で、千度に達した真っ赤な炭。柄振(えぶ)りと呼ぶ、鈎(かぎ)の手状の掻き出し棒で取り出して、炭の粉と土を混ぜた素灰(すばい)を被せ密閉。
一時間ほどで、炭の熱が完全に奪い取られ白炭に。
「萱で編んだ炭俵に出来上がった白炭を詰め、夕方三~四俵も背中に負んで山を下ったもんやて。それから今度は、夜鍋して草鞋編んだもんやで」。
戦後の復興から、成長期へ。
「昭和も三十二~三十三(1957~8)年頃やろか。燃料革命で、炭作ってもぜんぜん売れんくなってった」。
昭和三十四(1959)年、土木会社に入社し作業に従事。
しかし昭和四十(1965)年、現場で負傷し入院。
離職を余儀なくされ、一年近く療養の憂目に。
当時役場では、砂防堰堤(えんてい)を造るため補助監督を探していた。
昭和四十一(1966)年役場に職を得、三年後正職員に採用された。
「まあ、これも怪我の功名やわ」。
養蚕の指導等を経て、昭和六十(1985)年に定年退職。
その後、林業組合に身を置き十年が過ぎた。
「昔炭焼いとった山に、親類が道路を付けるって言うもんやで。そんならって、年寄りの炭焼き仲間で窯造ったんやて」。
半世紀前に火を落とした炭焼き小屋から、再び沢筋に沿うよう煙が棚引いた。

時代が流れるまま、生き抜くため身を任せた人生。
流転の末、流れ着いた先は・・・。
産卵のため清流板取川を遡上した、まるで鮎の如き炭焼き職人。
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スミかぁ~⤴
オカダさん、ハートさん、ヒロちゃん、呑兵衛さんには
必需品!
「炉端焼き、焼き鳥、焼肉」酒のおつまみの名脇役は炭でしょう!
プッハァ~⤴の連発!!
あたしだって、負けてないよぉ!
ウーロン茶でプッハァ~だぁ⤴
さすが!
名にし負う、関ヶ原の落ち武者殿だぁ!!!
今晩は。
・炭焼き職人のお話ですね。
・炭は、焼き鳥,焼き肉等に使いますね。
炭を、作るのに手間がかかりますね。
私は、炭は、使わないので買いません。
炭焼きをしてる時の匂い…大好き!
九州の祖父母の家を思い出します。
日本昭和村(現在は ぎふ清流里山公園)の中に炭焼きをしてる場所があって いつも行く度に立ち止まって 匂いを楽しみながら身体全体に纏うようにしてました(笑)
野焼きの匂いも好きで 車で近くを通る時は 窓全開にしてニンマリしながら運転してるんです( ◠‿◠ )
もちろん 炭火で焼いた焼き鳥や魚も大好き! どうしてあんなに美味しくなるんでしょうね。
お酒がすすむのなんのって(笑)
あの炭特有の火照りが、美味しさを引き出すって、キンコイモのお婆ちゃんに教えていただきました。
あの炭火のゆらぎが、ガスの一定の火力では真似できないものなんでしょうね。
私の小学生の頃からの友達のお父さんが昔、炭焼きをやっていらして、その後はプロパンガス等の燃料屋さんをされていました。家に遊びに行くと山での暮らしぶりをよく話して下さいました。
でも、数年前に友達が亡くなり、お父さんも、同じ年に後を追うように亡くなられました。もう炭焼きのお話は聞けないのだと思っていましたが、何だか懐かしい気持ちになりました。
湿っぽい話になってしまい申し訳ありません。でも、楽しかったことも、いっぱい思い出せて嬉しかったです。
へぇー、そうでしたか!
でもそうやって昔話を聞いてもらえて、お友達のお父さんも楽しかったんだと思いますよ!
きっと虚舟さんが遊びに来るのを楽しみにしていらしたんだと思います。
呑兵衛じゃないけど お呼びですか~♪♪♪
炉端焼き屋さんの 大きな杓文字 雰囲気ありますよね ~
秋は さんまのお刺身や塩焼き「 はいお待ち! 」と差し出されたら 満面の笑みで 「 冷酒 お代わり~ 2合 」 〆は 備長炭で 焼きおにぎり (#^.^#)
焼き鳥屋さんなら 先ずは 鶏レバーにつくね 焼肉屋さんは 塩タンとハラミかな~ ? 焼き鳥 焼肉には絶対 ビール を ぷっファー グビグビ ‼️‼️
これが 私の理想 ☆☆☆
お酒大好きハートでした ★
お付き合いありがとうございました~
(^-^ゞ
ほろ酔い加減がやっぱ最高ですものね。