「天職一芸~あの日のPoem 196」

今日の「天職人」は、愛知県豊田市足助町の「カステーラ屋女将」(平成十八年六月二十七日毎日新聞掲載)。

瀬音涼しき足助川 岸の紫陽花雨に咲く         昔家並の軒先で 雛の燕が母を呼ぶ           茶でも如何と暖簾越し 噂話に講じつつ         茶請け一切れカステーラ 味噌の風味に里心

愛知県豊田市足助町、和菓子の加東家(かとうや)、初代女将の加藤綾子さんを訪ねた。

「そこら中、江戸時代からの埃が積っとるだに」。そう言って老婆は、座布団を勧めた。

嫁の美子さんを傍らに従え大笑い。

「江戸の頃この家は、造り酒屋で、幕末の加茂一揆ん時に、あの床柱が切り取られて、蔵から酒が川のように流されたらしいだぁ。私ら戦後にこの家買ったで知らんだけど」。

綾子さんは大正十(1921)年に、近隣の旧阿摺(あすり)村に生まれた。

そして昭和十五(1940)年、和菓子の渡り職人として腕を磨く、故・正四さんの加藤家へと嫁いだ。

新婚間もない二人をまるで引き離すかのように、翌年夫は招集され戦地へ。

「今の北朝鮮へ行ったきり。その後、復員者から『加藤さんは夏服着とったで、恐らく南方へ行っただぞ』って」。

日毎敗戦色も深まり、やがてラジオから流れる玉音放送に、この国の総ての民が咽び泣いた。

「主人が終戦を迎えたソロモン諸島は、皆餓死して一割も生きとらんと聞かされて、そんでも諦め切れんだぁ。だもんで近くの抱き地蔵さんへ毎日通っただて。そしたらある日、お地蔵さんが『夫は生きとる』って言わっせるだぁ。それから三日後、主人からの手紙が届いただわ」。

先に戻った傷痍軍人に、夫が託した手紙だった。

「しばらくしたら、ガリッガリに痩せた夫が、ひょっこり帰って来ただぁ。地獄から」。綾子さんの瞼が微かに潤んだ。

翌年には長女が、続いて二人の男子が誕生。

代用物資を調達しては、菓子作りの真似事が再開された。

「香嵐渓のお土産にと、芋飴を餡にした最中を作っただて。でも満足に包装紙も紐も無いだに。だで、楮(こうぞ)の皮が入ったシベ紙に包(くる)んで、竹皮裂いて紐にして。あまりに情け無い時代だったわ」。

昭和二十六(1951)年、戦後の配給時代が徐々に終わりを告げようとしていた。

「キューバ糖しか手に入らん時代。中に虫が入っとるだで」。正四さん考案の、味噌風味のカステーラ、名代の逸品「かえで路」がこの年、産声を上げた。

「香嵐渓の参道に、紅葉が散る風景を、心に描いて作り上げただに」。

今尚、看板商品として、先代の味は二男哲久(のりひさ)さんに受け継がれる。

小麦粉に水で溶いた白味噌と、砂糖と蜂蜜を混ぜて練り上げ、型に流し込み芥子の実を振り掛け、オーブンで一時間かけて焼き上げる。

「夫は最後に息引き取る寸前まで、焼き菓子の試作品を作り続け、名前まで考えとっただわ」。享年五十八。正四さんは、戦争に蝕まれた職人人生を、少しでも取り戻さんとばかりに、今際の際まで菓子作りに専念したという。

「あっ、あれが三代目を継ぐ泰幸(やすゆき)だわ。あの子が高校の頃、夫が戦地で作って持ち帰った、檳榔樹(びんろうじゅ)の箸を持たせてやっただ」。綾子さんは得意げな表情で、孫へと振り向いた。

「あの子は小さい頃から、お爺さんの戦時中の話が好きやったで。他所へ修業に出た時も、ちゃんと持ち歩いて、今も大事に使っとるだに」。母美子さんも自慢げ。

硬質な材とも言われる檳榔樹の箸は、素朴な味噌カステーラの味を、三代に渡って護り続ける職人の気骨。

陰を日向にそれを支える、天晴女将二代の朗らかさ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 196」」への7件のフィードバック

  1. こんにちは。
    カステイラー屋女将のお話ですね。
    カステイラー屋に、行きたくなりました。
    私は、カステイラー好きです。

  2. 実家が豊田市なので 足助には何度か行った事があります。
    やっぱり秋が最高なんですよね!
    街並みも紅葉した山々も風も川の流れも…
    ただ人混みや渋滞が苦手なので いつも秋の終わりに出かけてました。
    いつかまた出かけた時に お店散策してみよ〜っと!( ◠‿◠ )

    1. 季節の良い時に、あんな山間の町を漫ろ歩くのも乙なもんですよね。

  3. 一ヶ月ぶりの登場⤴️デス^_^

    な〰ンもしてないのにもう9月。秋ですよ、秋。今年は、歳を取るのが早い!ってそんな訳無いかぁ。
    紅葉の季節は香嵐渓に出かけます。このお店も知ってますが、大きな看板が「かゑで」となっているので、てっきり「かゑで」屋さんかと思ってましたが、なんと「加東家」さんとは。

    1. そうでしたかぁ。ご存知でしたか!
      でも紅葉の季節の香嵐渓は、込み合いますよねぇ!

  4. カステーラ
    大好き!
    今度⤴生まれ変わるんだったら、カステーラかバームクーヘンがイイ!
    欲を言うのなら、洋酒に浸した、しっとりとしたのがイイ!
    ヒロちゃんじゃなくても、無限に食べられるぅ~~⤴

    1. でも、超下戸な落ち武者殿は、洋酒入りのお菓子でも酩酊なんじゃ???

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