「天職一芸~あの日のPoem 194」

今日の「天職人」は、岐阜市今川町の「印判彫刻師」。(平成十八年六月十三日毎日新聞掲載)

初めて筆を走らせた 雨の紫陽花絵手紙は        切なさだけの初心(うぶ)な恋 ただ求め合い砕け散り  郵便受けの絵手紙に 懐かしき日々滲み出す       結びの落款(らっかん)印影は 二人で彫った仮名一字

岐阜市今川町の周山堂、二代目印判彫刻師の栗山宜久(よしひさ)さんを訪ねた。

「『モクの注文は、心入れて彫れ』って、父によう言われましたわ。象牙と違って手抜きするからやて。『安い物ほど手を抜くな』。今も大切な戒めと、心に刻んでます」。

「父は血友病で、体が弱く学校へも行けず。足も不自由だったため、印判彫刻師として昭和十一(1936)年に開業したそうです」。

開業後も毎週夜行列車に揺られては、東京の篆刻(てんこく)師の門を叩く努力家だった。

写真は参考

そんな父の元、四人兄弟の長男として、宜久さんは昭和二十(1945)年に誕生。

半年後に終戦を迎えると、この国は驚異的な復興を現実のものとしていった。

「大学出ても最初は、跡継ぐつもりもなかったんやて。ある日父から『継ぐか?』と聞かれ、しばらく考えて頷くと、父がニコッと笑って。よう忘れませんわ」。

昭和四十二(1967)、新米彫刻師見習として宜久さんの修業が始まった。

「私もそれから毎週日曜になると、東京の大家の元へと勉強に通いました。行きは新幹線で。夜九時に修業を終え、夜行列車で岐阜へと」。弛まぬ地道な努力の積み重ねが、彫刻師としての天性を開花させた。

「『もうお前は俺を越えた』って、父からそう言われまして」。二十五歳になったばかりの年だった。

その二年後父が切り出した。「俺はお前が九歳の頃から、嫁さん決めとる」と。

宜久さんは育子さんを妻に迎え娘二人に恵まれた。

先代の話を間に受けるとすれば、育子さんはたった三歳で嫁ぎ先を決められたことになる。何と頑固一徹な先代であったことか。

しかし上の孫娘の誕生を翌月に控え、無念にも先代は五十七歳の生涯を閉じた。誰よりも、初孫を一目みたいと祈りながら。

最高級な印材と言えば象牙。

中でも硬く艶があり、骨の目の密度が濃い物が絶品とか。

「象牙海岸(コートジボアール)辺りのもんが一番硬く、南下するほど柔らかくなってくんやて。彫ると直ぐにわかりますわ。硬いとバリバリ言いますし、柔らかいとサクサクと彫れますから」。

一本二㍍、約二十㌕の象牙から、最高級とされる印材は三%足らずしか取れない。

牙の真ん中、神経の先端より先が最も良質とされる。

「外へ行くほど目が粗くなります」。

印判彫刻の手順は、鑿(のみ)を入れる印面が水平になるよう、砥石で研ぎ上げる「面磨り」に始まる。

次に印面に逆さ文字を配字。

続いて鑿の小刀で粗彫りし、片刃で凸面を仕上げ。

写真は参考

凸部を支える土手を、鑿の小刀で「浚(さら)え彫り」。

「土手を浚える時には、呼吸を止めんと字が躍るでね。だから途中で息が切れるんやて」。宜久さんが笑った。

坊主と呼ぶ丸型の綿入れで右手を支え、印挟みで印材を挟んで彫り進む。

鑿の先を支える左手親指の第二関節には、大きく硬い胝(たこ)。

鑿を握り締める右手中指の第二関節は、四十年に及ぶ作業で大きく太く変形してしまった。

「印は個人の信用を守る鍵やで。スッキリと綺麗な印影を出さんと」。

一本に四時間。

印判彫刻師は、直径二㌢にも満たないような小さな世界に挑む。

わずか一.五㍉の深さに息を凝らし、際立つ印影を心に描き今日も寡黙に鑿を揮(ふる)う。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 194」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・印判彫刻師のお話ですね。
    ・印判は、職人さんの手彫りなのですね。 手間が、かかりますね。
    小刀で彫っているのですね。細かい作業ですね。
    ・私は、判子は、3点セット(実印,銀行印,認め印)を、頼みました。私は、黒水牛とオランダ水牛の判子を、持っています。
    ・書体(古印体,楷書体,印象体等)も色々有りますね。
    ・判子の素材(柘植,象牙,オランダ水牛,黒水牛,鼈甲,等)も色々有りますね。個性が、有りますね。

  2. オカダさんおはようございます(^-^)/
    ご無沙汰しています(^-^) 久しぶりぶりにメールなので遅くなってごめんなさい。私は元気ですよ(*^ー^)ノ♪ 
    印鑑ですか。印鑑と言えば中学の卒業式の前日に名前(名字)の入った印鑑を貰いました(^-^) 今でも実印で使っているけどケースが何十前に壊れて中学卒業して初めて社会人になった時に保険を入った時に印鑑ケースをもらって今はこの印鑑ケースを愛用していますよ(^-^)/
    オカダさんずいぶん前にイブアンドカメさんのお誕生日のお祝いの歌をありがとうございます(*^ー^)ノ♪ そこでイブアンドカメさんにメールでお伝えしたら凄く喜んでいました。でもオカダさんのお祝いの歌が聴けないのが残念です(^-^; そこで私は考えました! 私の固定の電話でイブアンドカメさんにスマホからオカダさんのお祝いの言葉とお祝い歌を聴くことが出来て凄く喜んでオカダさんに感謝感謝と何度も何度も言って喜んでいましたよ(*^ー^)ノ♪ 本当にありがとうございます(^-^)/ 私からもありがとうございます\(^_^)/
    オカダさん早くコロナを解決してまた皆さんと会いたいです。勿論オカダさんにも会いたいです(^-^)/

    1. そうでしたか!
      スマホのデジタルな録音データを、固定電話のアナログな世界を通して、イヴ&カメさんにお届けくださったとは、恐れ入ります。
      ありがとうございました。

  3. 結婚する前に、両親に何か欲しい物はと聞かれ、「自分の名前の印鑑が欲しい」と。だって、この先何回名字が変わろうと名前は変わらないでしょ(^_-)

    1. さすが心の準備を怠らず、何度苗字がかわってもと・・・。
      そこまで考えておられたなんて!!!

  4. 印鑑ですねぇ!
    結婚してから実印を作りましたが
    実印を使う事って一生で何回?あるのでしょう!
    一番使うのは、銀行印が多いような気がします。
    私は印鑑を押すのが本当に苦手で、
    いつも「かすれた様な印」になってしまうのです。
    仕方がないかぁ~!
    もう⤴かすれたような人生だから・・・
    イヤイヤ⤴まだまだ!
    オカダさんのお荷物になっていないとねぇ!

    1. 印鑑を押すときって、やっぱり心を静めてゆっくり押さないと、陰影にも陰りや擦れが出てしまうものなんでしょうねぇ。

  5. 数十年前 成人のお祝いとして 両親から印鑑をいただきました。当時 短大生だった私は 印鑑の重みもわからないまま社会人に。
    実印という名前や重みを理解し始めたのは 自分が家庭をもつようになってからかも知れません。いろんな場面がありましたから。さらに5年程前 みんなで法人や事業所を立ち上げた際 それ用の印鑑を準備。さすがにこの時は 安易に触れる事が憚れました。
    印鑑って小さくて軽いけど 実は中身の濃い重みのある 一生を共にする印籠みたいです( ◠‿◠ )

    1. 日本では、人生の要所要所で印鑑が必要ですものねぇ。
      まるで自分の歴史の証人のようですよね。

  6. 随分御無沙汰になってしまいました。毎日暑い日が続きますね~ オカダさんをはじめ皆様はお変わりございませんか 私は一番よく使うのは「会社印」ですかね そう あの四角いもので屋号があるやつです。材質は象牙でもう30年近く使ってます なんでも亡き父の星回りは「象牙を使わなければいかん!」ってその印鑑屋が言うものですから・・所謂「開運印」っていうんですか しかも亡父と私も同じ星回りの為に私の三本判も象牙なんです おかげで本当に取り扱いは本当に注意してますよ うっかり
    欠けさせたりしたら大変ですから その印鑑屋曰く「印鑑は自分自身だと思え!」っていつも言っておられましたね~ バブルの時代に作って亡き父が遺してくれたモノのお話でした

    1. お父上の思い出の印鑑は、よっちゃんと二代に渡って、よっちゃんファミリーを守ってくれるようですねぇ。

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