「天職一芸~あの日のPoem 179」

今日の「天職人」は、岐阜県安八町の「鍼灸師」。(平成十八年二月二十八日毎日新聞掲載)

春の彼岸の里帰り 祖母の好物手土産に          母はあれこれ世話を焼く 普段叶わぬ親孝行        雪見障子の向うでは 春告げ鳥が歌い鳴く         祖母は座敷に臥したまま ああ極楽と繰り返す       背中に赤い火を燈し 百草(もぐさ)を母が右左

岐阜県安八町の羽生(はにゅう)鍼灸治療院、鍼灸師の羽生道治さんを訪ねた。

「家に来られる患者さんは、みんなハンサムで美人さんばっかりやと、自分でそう思い込んでます。『ああ、吉永小百合さんだ、高倉健さんだ』ってな調子で」。道治さんは、サングラスの奥で瞼を閉じたまま笑った。

道治さんは昭和二十五(1950)年、長野県高森町で公益質店を営む家に、七人兄弟の末っ子として誕生。

地元高校を出ると、東京の会社で洋食器の営業職に就いた。

職場にも慣れ、仕事に脂が乗り始めた二年後。新卒で入社して来た、一人の女子社員に目が止まった。

「たまたま偶然にも、同じ高校の後輩だったんです」。

いつしか二人の間に恋が芽生え、将来を誓い合った。

昭和四十九(1974)年、同郷出身の祥子さんと結婚。

まるで世界中が、二人を中心に回っているような、甘い幸せの絶頂。

しかし新婚ひと月目にして、神は想像を絶する試練を二人に与えた。

「医者から『やがて失明する』と宣告されまして。真っ先に頭を掠めたのは、妻のこと。この先どうしようってそればっかり」。 とは言え、今日の明日で視力を失うような、差し迫った状態では無かった。

日々衰える視力を、同僚に悟られぬように勤務し、一縷の望みを託すべく名医探しを続けた。

やがて二人の娘が誕生。

刻々と失われ往く視野に、二人の愛娘の姿を克明に刻んだ。

「いよいよ見えなくなって来て、会社へも行けません。仕事にならないから。でもそんな事言ったら、女房が悲しむ。子供たちもまだ小さいし、会社には隠し通さなきゃあ。だから山手線に乗ったまま、一日中グルグル回ってばかり」。しかし間も無く会社は、妻に電話で解雇を告げた。

道治さんは最後の望みを手術に託そうと、愛知県一宮市の名医を頼った。しかし入院待ちの間に炎症が悪化し、手術は不可能と診断された。

「こうなったら、何時までもくよくよしとっても始まらん。手に職を付けるしか無い」。

昭和五十四(1979)年、岐阜県立盲学校に二十九歳で入学。

家族を呼び寄せ、貯金と障害者年金を食いつぶしながら国家試験に挑んだ。

その甲斐あって二年で按摩・マッサージ・指圧を、三年目に鍼灸の資格を得た。

昭和五十七(1982)年、現在地で晴れて独立開業。

「黄帝内経(こうていだいけい)や素問霊枢(そもんれいすう)といった二千年も前の古典の医学書から、人体に巡らされる十四の気の道と、三百六十一に及ぶツボを学んで」。

写真は参考

灸による温熱効果で、血流と気の流れを促進する。「昔の灸は、石を温めたものだったそうです」。

写真は参考

地肌に百草を置く、昔ながらの直火から、地肌と百草の間に六~七㍉の空間を空け、刺激を和らげる温灸まで。患者の症状に合わせ、治癒力を最大限に高め得るツボを、一点に全神経を注ぎ込み灸師の指先が探り当てる。

写真は参考

今でも愛娘の顔は、幼き日のままかと問うた。

「周りの皆が、中山美穂に似てきたとか教えてくれるけど。せめて眼が見えた頃までの、女優に例えてくれんとわからんわ」。

失ったが故に得(う)る物。

『汚いもんが見えんでいいよ』。

指先と言う第ニの視力を得、男は何とも幸せそうに笑った。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 179」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・鍼灸師のお話ですね。

    ・昔の灸は、石を温めたものだった知りませんでした。勉強になりました。 今は、便利なお灸が有りますね。

    ・私は、鍼灸をして貰った事が、有りません。

  2. 子供の頃、家族の間では「あんまさん」と呼んでいて我が家のお客さんでした。用が済むとそのお宅に電話をかける、すると奥さんが迎えにやって来るのです。ある時、何度電話をしても奥さんが出ない。すると父が私に「送ってあげなさい」と。そして、あんまさんの手を私の肩に。幼い私は、500メートル程の道のりを、多分緊張した顔で歩いていたと思います。

    1. それは素晴らしいお手伝いをなさいましたねぇ。
      きっとその「あんまさん」が何より喜ばれたと思います。

  3. 29歳で盲学校に入学とは…
    そこまでの道のりもどんなに大変だったことか…
    もし私だったら どうしただろう。
    時々想像することはあります。
    私が万が一…
    常日頃から考えておかないといけない。
    ちょっぴり暗くなっちゃいましたね(謝)
    いつも行く整骨院で 鍼灸を受けてる様子を見るたびに いつか私もかな〜?と少しビクついてる私です(笑)

    1. 鍼灸は、ぜーんぜん、痛くもなくって気持ちいいですよぉ!
      直ぐに効果が表れるし!

  4. こらぁ~⤴
    ハナ垂れモもっち
    そんなに、いたずらばかりして「お灸」を据えるぞぉ!
    でも「お灸」の意味が分からないので・・
    いたずらは続きました(笑)
    肩凝り、腰痛が酷い時
    私の友は「アンメルツヨコヨコ」です。
    でもねぇ!
    夜寝る時、ヒリヒリして塗った所が「ホテッテ」
    皆さん塗り過ぎには注意しまいしょう。

    1. ええっ、ぼくは鍼灸の先生の所に定期的に通って、家でも千年灸のお世話になってますって!
      いいなあ、凝りない人って!羨ましい!
      って、それは違う凝り???

  5. 若い頃に障がいを持たれた苦しみはいかばかりかと、推測の域は出ませんが、思います。
    「汚いもんが見えんでええよ」は含蓄あるお言葉ですが、視覚が不自由になられた分、心が敏感になられるようなこともあったのでは、と拝察いたします。私も上肢の中途障がい者です。

    1. 確かに、仰る通りだと、ぼくも思います。
      でも五感の内の一つでも欠けると、その分他の四感が研ぎ澄まされるのでしょうね。

  6. 鍼灸院の先生には 自律神経やホルモンのバランスを整えて貰ったり 腰痛 肩凝り等々で 長年 お世話になっています
    (o^・^o)
    身体も気分もスッキリしますよね❗
    でも
    コロナが怖くて 今年になって行けてません (。>д<)

    ぎっくり腰の時は 杖をついて行ったのに、1時間程で、歩いて帰れました!
    ありがたや~ です (^-^ゞ

    私も お風呂上がりは「 アンメルツ ヨコヨコ 」です (^_^)v

    1. ぼくもデスクワークをしていて立ち上がったらギクッ!
      もう容易に身動きもできず、タクシーを頼んで鍼灸師さんの所に這うようにして伺ったことがありました。
      でも治療が終わるとアラ不思議。
      腰に違和感はあるものの、ちゃんと普通に歩けるようになったことが、二三度ありましたぁ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です