「天職一芸~あの日のPoem 144」

今日の「天職人」は、愛知県額田郡の「石窯職人」。(平成十七年六月十四日毎日新聞掲載)

木立ちの中の煉瓦小屋 薪がパチパチ熾(おこ)り出す   胡桃を練った生地丸め 石窯パンを焼き上げる       頑固パン屋にお似合いの 飾り気の無い丸いパン      見場は兎も角頬張れば 素朴な風味舌鼓

愛知県額田町のエトセ工房、石窯職人の磯貝安道さんを訪ねた。

「石窯で焼いたパンに、二つと同じ焼き上がりなんてないらぁ。それくらい窯に騙されるだよ。だから奥が深くて面白いだぁ」。新緑の森の営み、鳥たちの歌声と風に戯れる梢の若葉。 安道さんは、石窯を背に振り返った。

安道さんは、昭和二十四(1949)年に愛知県高浜市で陶器瓦製造業を営む家の、八人兄弟の末っ子として誕生。高校を出ると直ぐ家業に入った。

「黙々と働くばっか。お金使うとこもないし、直ぐに貯金も百万円ほどに」。

独学で英語を学び、二十二歳の年に船便で、ハバロフスクからシベリア横断鉄道でヨーロッパへと向かった。半年に渡り欧州各国を巡り歩き帰国、再び家業へ。

「いつまでこんな仕事、続けるんだろうって」。じっとしては居られぬ衝動が、日々心の中で増殖した。関東には兄弟も多く、頼ってはならぬと、敢えて見ず知らずの大阪へ。若干二十四歳の新たな旅立ちだった。

「絵を描くのが好きで、画廊勤めを始めたんだけど」。明けても暮れても営業ばかりの毎日に、『何かが違う!』と半年で辞し、今度はネオンの瞬くクラブで、バーテンダーの職に就いた。

シェーカーが描く八の字振りが様になり始めた一年後、幼馴染と再会。外国貨物船の船員であった、幼馴染の話にすっかり夢中。直ぐに海運会社に職を求め、タンカーの賄夫(まかないふ)として乗り込んだ。

「自分への投資の時代だと決めていたんでね」。

二十七歳の年に再び実家へ舞い戻った。明治生まれの老いた両親が、定職も持たぬ息子の行く末を思案。両親の援助で、コーヒーと紅茶の専門店を開業。翌年には同級生の妻を得、二人の娘を授かった。

子供の成長に合わせ、安道さんの考えと生き方に変化が生じた。喫茶店開業から七年目、店を譲り渡して岡崎市内に木工製品の店「エトセ」を開店。木製品の手作り玩具から家具まで。まるで娘の成長に、歩調を合わせるかのように。いつしか『何かか違う』の台詞は消えていた。

天職を求め続けた流転の旅は、いつしか家族の絆に堰き止められた。 しかし興味は尽きない。販売だけで物足らず、見よう見真似で製造へ。とは言え、ずぶの素人。大工・木型屋・建具屋を巡り、材の選定からイロハを学んだ。

「今の三~四倍の労力費やしても、出来は今より数段劣った」。

やがて長女も小学校へ。「もっと自然豊富な環境で、子供たちを育てたい」。そんな思いで現在地へ。本格的な創作活動が始まった。家具作りから部屋作り、やがては建物のデザインまで。

「女房がパン好きで」。十年ほど前に山梨県のレストラン脇で、石窯焼きの武骨なパンと出逢った。

「石窯見とったら、出来そうな気がしてきて。だって子供作って育てるのに比べたら、何だって出来るらぁ」。妻は、石窯を欲しいとせがんだ。

ヨーロッパの文献を漁り、半年後、工房脇に煉瓦組の石窯を造り上げた。

「出来たぞ!って女房に言ったら、『何で自宅の脇じゃないのよ』って。だから石窯パンは、今もぼくが焼いてるじゃんね」。

総重量十tを越える石窯。約二m四方で、高さも約二m。まず地盤を六十㎝程掘り、鉄筋を入れステコンを流し込んで固める。次に赤煉瓦を腰高まで積み上げ、中に残土を詰めて搗き固め、鉄製窯を設置。

半球体の鉄製窯の直径は一.一m。片方にだけ四十㎝の口が開き、薪の出し入れや、パンの出し入れに使用。石窯の保温性を高めるため、窯の上に川砂や、火に当っても割れないと言われる雌石(めいし)で覆って蓄熱率を高める。

半球の奥半分で薪を燃やし、熾きを掻き出してから手前半分にパン生地を入れ、熱せられた窯の余熱だけでパンを焼き上げる。だから薪の量や季節、そして石窯全体が前の日に焼いた余熱を残しているかが鍵となる。温度計の数値は同じでも、パンの焼きあがりは別。それが冒頭の「窯に騙される」由縁とか。

 分け隔てなく育てた筈の子供も、例え同胞と言えど性格は異なる。パンも然り。パン焼きが商売なら、異なる焼き加減に苛立つ。

されど、「さて、今日の出来栄えは?」と、子供の成長を見つめる心境で愉しめば、そのすべてが愛しい筈。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 144」」への11件のフィードバック

  1. こんにちは。
    ・石窯職人のお話ですね。
    ・石窯は、職人さんの手作りなのですね。形に入れて固めるのですね。
    ・旦那さんが奥様に石窯を、作ってあげたのですね。
    ・私は、石窯を見た事が有りません。
    TVで、見た事が、有ります。

  2. パンと言えば!
    JR岐阜駅南口にある昭和レトロな「サカエパン」
    週一、必ず!サカエパンへ「食パン」を購入しに行きます。
    家の嫁も、すっかり顔馴染みになり
    店員さんから名前を聞かれる事無く
    店に入ると同時に、奥から予約しておいた、食パンを・・
    サカエパンの女将さんとも、世間話をする中に・・
    出来立ての「食パン」
    これ以上⤴世の中に美味しいものは、ないねぇ!

  3. 『 出来そうな気がする〜 』
    何事においても 自分自身が納得しないと踏み込めないし 模索し続ける。
    ご両親や奥様に恵まれてるんですね(笑)
    ちょっと笑いながらブログを読みました。
    まだまだ冒険は続きそう…( ◠‿◠ )

    1. まだまだ、これからこれから。
      職人さんの奥行きは、並大抵ではありませんよ!

  4. 近くにある石窯ピザのお店も、ここで作ってもらった窯かなあ、と思ってしまいました。

  5. 素敵なご夫婦 ですね~
    そして 石窯パンも 美味しそうですね~ (#^.^#)
    私も今 大好きな パン屋さんが御浪町にあるンですよ~ ( ダイコクさんの近くです よっ‼️‼️ )
    オカダシェフの大好きな ワインにぴったりのパン屋さんなので、カウンターで出来立ての なすピザや 明太バケット アンチョビのクロワッサン等々 頂きながら ワインやビール 珈琲 幸せな一時です (●^o^●)

    1. やっぱりパンって、焼き立てはそれだけでご馳走ですものね。
      ぼくはふっくらふんわりの、日本の柔らかなパンよりも、どちらかと言うと、口の中が怪我してしまう硬めの、ヨーロッパ風の、それこそ不揃いな石窯で焼いたカンパーニュ風のものが好きです。
      そう言えば石窯職人さんが仰っておられましたが、ヨーロッパの田舎では、小さなコミュニティーで一つの石窯を所有し、今日はどこそこのお家、明日はわが家ってな感じの持ち回りで、一週間分のパンを焼くんだそうですよ。まるで日本の井戸のような感じですねぇ。

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