今日の「天職人」は、岐阜県笠松町の「志古羅(しこら)ん職人」。(平成十七年五月三十一日毎日新聞掲載)
卓袱台の上菓子折りは 誰が手向けた物やろか 蓋をずらせば肉桂(にっき)の香 そこはかとなく匂い立つ 父の帰りを待ち侘びて 蓋をずらして一つまみ あれあれ別の手が伸びて 母もちゃっかり茶を啜る
一年前の夜。「もう在庫も無いで、明日は志古羅ん作らんなんで、早よ起きるわ」。
岐阜県笠松町で永禄五(1562)年創業の笠松志古羅ん、十六代当主、若き太田屋半右衛門(本名/高橋裕治)は、妻にそう告げると早めに床を取った。生後五ヶ月の愛娘に、風邪を移すまいと。
しかしそれが今生の別れの言葉となった。
享年三十八歳。早すぎて酷すぎる、突然の死であった。
「いつもなら朝五時半には、もう仕事を始めてる筈やのに、おかしいなあと思って。そしたら布団の中で冷たくなってしまって」。妻、真紀子さんは、伏目がちにつぶやき、込み上げる無念の涙を悟られまいと、一歳七ヶ月の未朋(みほ)ちゃんを抱き上げた。
夫の死から一週間。不幸があったことなど知らぬ遠来の客が、志古羅んを求めて訪れた。

「もう在庫も底を付いて。けど誰一人、作り方も知らんし。わしがいっぺんやってみよかって」。故・裕治さんの父勝一さんが、家業の危機を見かね腰を上げた。
元々、十四代太田屋半右衛門に子は無く、姪の故・洋子さん(後の十五代目女将)を養子に迎え家業を託した。
志古羅んの由来は、戦国の世に溯る。
時の太閤、豊臣秀吉が上洛の途中、木曽川堤で憩うた折り、家伝の米菓子を献上。「風味豊で、蘭の香気が鼻を打つ」と愛(め)で、その形が兜の錣(しころ)に似ていることから「しこらん」と名付けられたとか。

一方勝一さんは、愛知県木曽川町で誕生。中学を卒業すると、和菓子職人を目指した。しかし隣の一宮から聞こえる、ガチャマン景気に沸く声に誘われ、姉の家の毛織工場へと職替え。その後、叔母の世話で二十六歳の年に、高橋家へと婿に入った。
「家内が細々と、暖簾を守っとっただけやて」。
三男一女を授かり、六十三歳で毛織工場を退職。 既にその頃には、大学卒業後京都に上り、五年に及ぶ和菓子職人の修業を終えた、故・裕治さんが実家に戻って十六代太田屋半右衛門を名乗り、志古羅ん作りに励んでいた。
平成十三(2001)年、友人として付き合いのあった、岐阜市出身の真紀子さんが嫁ぎ、何もかもが順風満帆に見えた。
しかしそれから僅か一ヵ月後。息子に家伝を引き継ぎ、まるで安堵したかのように、十五代洋子さんは他界。先代を亡くした悲しみに暮れる暇も無く、裕治さんは創作和菓子の通販へも乗り出し、寝る間を惜しんで菓子作りに精を出した。
それから二年後、未朋ちゃんが誕生。一家に明るさが広がった。
悠久の銘菓志古羅んは、まず吟味された餅米を蒸す事に始まる。それを天日干し。頃合を見計らって炭火で水飴と砂糖を煮絡める。程良く絡まったところで平らに延ばし、肉桂を加えて自然乾燥へ。
「郷土の身近なお菓子やでね。志古羅ん切った時に出る粉を、買いに来る方もあるほどやて」。勝一さんは、在りし日の息子の遺影を見つめた。
「わしはやっぱり十五代目の家内の連れ合いやて。十六代目の女将が嫁で、何時の日か孫が十七代目を名乗ってくれたらええなあ」。取材の冒頭、勝一さんに『何代目になられますか?』と尋ねた回答が、重い口からやっと零れ出した。
複雑に絡み合う、人生の幾何学模様。
何人たりとも、一言で語り尽くせるものなど無い。
「夫の死で、消えかかった志古羅んの伝統を、義父が見事に護り抜いてくれたんです」。真紀子さんは、未朋ちゃんをあやしながら菓子器を見つめた。
水飴に輝く、素朴な風合を留める志古羅ん。まるで亡き夫の面影を忍ぶかのように。
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おはようございます。
・志古羅(しこら)ん職人のお話ですね。私は、お菓子の志古羅ん知りませんでした。ブログで、勉強になりました。
・私は、志古羅(しこら)んを、実際に見た事が、有りません。
志古羅(しこら)んは、昔ながらのお菓子ですね。
兜の《しころ》ってどの部分か調べてみたら、兜の周りのスカートみたいな部分の事だそうです。
そう言えば、孫の初節句に本当に被れる兜をプレゼントしたんです。毎年、子供の日には、兜を被った孫の写メが送られて来ます。今年は、三番目の子の写真も。三番目は、女の子なんですよ。可愛過ぎて笑っちゃいました(クスッ❣)
戦国武将のお孫ちゃん達ですかぁ!
今度は、ちょっと縁起でもないと叱られるかも知れませんが、知り合いの足軽をお供に付けてパチリなぁ~んていかがですか?
ちょっと落ち武者ですが・・・。
突然の別れ… 切な過ぎる。
でも 時というものは無情に過ぎていくわけで。
御家族皆さんの力で守り抜いた伝統菓子。
きっと十六代目も笑顔で見守っていてくださるでしょうね( ◠‿◠ )
どうやら今は廃業され、笠松のお菓子屋さん何軒かで、今もその味を皆で守っていらっしゃるようですよ!