「天職一芸~あの日のPoem 132」

今日の「天職人」は、三重県伊勢市の「伊勢溜り職人」。(平成十七年三月十二日毎日新聞掲載)

伊勢路名物数あれど 炭火に爆ぜる肉汁と         焦げた溜りが絡み合う 牛の網焼き天下一         座敷一面馥郁(ふくいく)と ほんのり甘い溜りの香    君はお猪口を空にして 頬染めながら「幸せ」と

三重県伊勢市で創業二百年に及ぶ、糀屋・七代目の伊勢溜り職人、河村清隆さんを訪ねた。

「伊勢うどんの美味しい店が、ほん近くにありましてな。特別のお誂え溜りを家(う)っとこで、造らしてもうとんですわ。それがあんまりよう売れよるで、『家からホースでも引いて、溜り流そか』ゆうて、笑(わろ)たもんやさ」。 清隆さんは、古いアルバムを広げ上品な笑みをこぼした。

元々糀屋は、豪商が軒を連ねる河崎で産声を上げた。しかし、蒸した大豆に糀菌を付け、二晩炭火で保温する作業のため、二度も出火。

「先祖が火事で追い出され、外宮さんの今の場所へと鞍替えしましたんやさ」。それが文化十三(1816)年のこと。

清隆さんは昭和十四(1939)年、五人兄弟の長男として産声を上げた。しかし、日増しに大戦は激化。伊勢の地を、神風特攻隊の象徴と敵対視した米軍は、容赦なく空襲を繰り返した。

「終戦後は、皆(みな)配給切符片手に並んで並んで。朝も十時過ぎると、売る物(もん)がのうなって。親父はすることないで麻雀やさ」。

清隆さんは慶応大学へと進学したのも束の間、翌年父が他界。卒業生の多くが、商社マンを目指す中、老舗へと舞い戻った。

色褪せた葉書の写真。木綿の法被に、帆前掛け姿の出で立ち。片隅には「家業を継ぐ事になりました」の文字が並ぶ。

昭和三十六(1961)年、敗戦の傷跡も癒え、伊勢は観光ブームに沸き返った。伊勢・二見・鳥羽の旅館相手に商品を卸し、売上げは倍増。東京暮しで、本溜りが伊勢地方独特である事に気付き、溜りの旨さを全国に知らせようと駆けずり回った。

「溜りに含まれるアミノ酸が、肉の柔らかさを保つんですんさ」。すき焼や鰻のたれとして、料理人に重宝がられた。

溜り造りは、蒸した大豆に糀菌を付け、醗酵室で二晩保温することに始まる。日見(ひみ)ず桶と呼ぶ、直径三.六m三十石(五.四㎘)の樽に放り込み、八分目で塩を振り、重石を乗せ丸一年かけて天然醸造。

櫂(かい)を入れ空気を混ぜる醤油の好気発酵に対し、溜りは空気に触れさせぬ嫌気発酵。味噌樽の真ん中に注し込んだ竹筒から、伊勢溜りが染み出でる。

コクと深みに彩られた、漆黒の伊勢溜り。神領だけに古(いにしえ)より受け継がれ、食の恵みを今も際立たせる。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 132」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    伊勢溜り職人のお話ですね。
    ・伊勢溜り専門の職人が見えるのですね。ブログで、勉強になりました。
    ・伊勢溜りは、職人さんの手作りなのですね。手間がかかりますね。
    ・伊勢溜りは、口コミで広まったのですね。 伊勢溜りは、甘い醤油なのかな?
    ・各地域に、色々な醤油が有りますね。
    ・私は、伊勢溜りを、買った事が有りません。家に、伊勢溜りが、有りません。

  2. 今やお醤油も、白醤油、減塩醤油、うす口醤油、濃い口醤油、だし醤油など種類が多い。我が家は、健康(?)を考えてうす塩醤油を使っています。お刺身は、溜まり醤油⤴️

  3. 醤油、味噌は中々自分に合う味に巡り合うのが難しいと思いますが
    我が家の醤油は義理の母の出身であります。
    福井県大野市の「丸一醤油」と言うお店から、
    お取り寄せしているのでその醤油を頂いてます。
    これがまた!美味しいんです「たまり」に近い昔、懐かしい味がします。
    この醤油で芋の煮っ転がし「美味い⤴最高⤴」
    「芋類・豆類」大好き!
    勿論!あたしの代名詞でもあります!
    美熟女!大好き⤴

  4. 以前 伊勢うどんを食べた事があるので伊勢溜りは あの味なんだろうなぁ〜と思い出しながら ブログを読んでます。
    『漆黒の…』 ピッタリの言葉です。
    この言葉に妙には惹かれてしまいました(笑)
    私の両親は二人共九州出身なので 時々九州の甘いお醤油を手にする事があるんですが やっぱり伊勢溜りとは違いますね( ◠‿◠ )
    すき焼き*鰻〜 食べた〜い!
    結局食欲の話で お・し・ま・い !

    1. ぼくの母も鹿児島出身でしたが、あの九州独特の甘いお醤油にはびっくりしたものです。

  5. 昭和の頃我が家は、溜り醤油を使ってましたよ。帆前掛け姿のおじさんが、まいど~って、配達してくれてましたね。
    今はお醤油の種類も豊富、色々使い分けしながら楽しんでま~す。

    1. その昔昔わりと大きな所の町内には、造り酒屋さんや醤油の醸造所とかがあったようです。
      今のように交通網が発達していない時代なればのことですねぇ。

  6. そうや!最近は溜まり醤油を購入していなかったなあ~。やっぱり刺身には溜まりや!

    1. ええっ!ぼくはやっぱりキリッとしてた、お醤油には目が無くって、東北岩手のお醤油を取り寄せていますよぉ!

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