今日の「天職人」は、岐阜市久屋町の「柿羊羹職人」。(平成十七年二月十二日毎日新聞掲載)
北風に 軒の連柿たわわに揺れて ぼくの帰りを待ち侘びる 里帰り 母の自慢の柿羊羹は 今も変わらぬ仄かな甘さ
岐阜市久屋町の柿羊羹元祖「両香堂(りょうこうどう)本舗」、三代目の羽根田十四治(としはる)さんを訪ねた。

「ハソリ鍋(『端反(はたぞ)り鍋』柿を煮る銅製鍋)の最後に残ったんを、スプーンですくって食べるんやて。これが一番美味しいんや」。十四治さんは、いつもの味見の仕草を真似た。

両香道本舗は、明治十六(1883)年、大垣で祖父が創業。

十四治さんは、大正十四(1925)年に誕生し、東京の大学へと進んだ。しかし戦火が激しさを増す昭和十九(1944)年、中国大陸へ自動車部隊の一員として出征するものの、程なく終戦を迎えた。
「シベリアへ連行されたら大変やと、免許証をほかって」。 昭和二十一(1946)年に無事復員。
しかし統制経済下、店は休業を余儀なくされ、市役所の厚生課に勤務した。
戦後の復興が進み、統制品も解除された昭和二十七(1952)年、満を持して先代が現在地に店を再興。十四治さんも役所を辞し、父と力を合わせ柿羊羹作りに精を出した。
羊羹に用いる柿は、渋柿の中でも、最も柿羊羹に適す堂上蜂屋柿。「甘味が多く、色が濃いんやて」。祖父が十数回も接木を重ね産み出した逸品。「川の際にある、屋敷内の柿が一番ええ」。
十一月頃、千切り取ったばかりの柿の皮を剥き、連柿の要領で吊るし、真冬の寒風に晒しながら天日に干す。次に種と蔕(へた)を取って、再び四月頃まで天日に干し、渋を抜き取る。

乾燥状態を指で確かめ、一斗缶の中へ鈴なりに柿を入れ、蔵の中で一年半から二年程熟成させる。
そしてやっと、カチカチになった乾燥柿を、水の中に一晩浸け、元の大きさに戻して、ペースト状に磨り潰す。次に寒天が煮えるのを待ち砂糖を加え、舌で糖度を確かめながら上品な甘さに調え、磨り潰した柿を加え一煮立ち。
冬場に切り出した真竹を煮て油を抜き取り、二つ割にした竹舟に柿羊羹を流し込めば、橙(だいだい)色に透き通る果肉の至宝「元祖柿羊羹」の出来上がり。

防腐剤など一切無用。それでも一ヶ月半は、十分日持ちするとか。
「誤魔化せる味は出さん」。三代に渡る天然の味は、一歩も妥協を許さぬ、厳しき職人技の結晶だ。

「火を入れれば入れるほどに、柿は色を深めるんやて」。昭和二十九(1954)年に岐阜県養老町の和菓子屋から嫁いだ、世話焼き女房の福子さんが、傍らで微笑んだ。
柿羊羹一筋の老夫婦は、齢(よわい)という名の人生の色を染め上げる。
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羊羹…好きだ〜
和菓子全部好きなんですけどね(笑)
この柿羊羹 きっと品のある甘さなんでしょうね。どんなお茶と合うかなぁ…
それにしても 渋柿を使ってる事にビックリ。あと 熟成させるまでの期間の長さも。
おぼろ昆布じゃないけど ほのかに透き通る感じもいいなぁ〜( ◠‿◠ )
食べてみようかな⁈
わざとらしい甘さとは無縁な、優しい下記本来の仄かで上品な甘さですから、何切れでも食べれちゃいそうですよ!
おはようございます。
柿羊羹職人のお話ですね。岐阜市に柿羊羹のお店のが有るのですね。
柿羊羹美味しそうですね。ブログを、見てたら柿羊羹食べたくなりました。茶漉しに出されたら良いですね。
私は、柿羊羹買った事ないですね。
柿羊羹は、岐阜限定なのかな?
柿羊羹
うまそ~~ぉ⤴
って!美味いに決まってるぅ!
たまらんな~ぁ⤴
熱いお茶に「プッハァ~」ならぬ「フゥフゥ」言って
いいねぇ~
たまにはビールで「プッハァ~」ではなくて
スィーツで「あま~~~い」って
皆さんで集うのもイイかも?
甘い物は、心をまったりと解いてくれて、ささくれ立っしまった心さえ、穏やかに沈めてくれる力がありますよね。
「天職一芸〜あの日のpoem 128」
「柿羊羹職人」
こんなにも手間暇を惜しむことなく作られていたのですね。私の食べたことのある柿羊羹も竹舟に入っていました。
懐かしい味が口いっぱいに広がります。
竹舟はもったいなくてガラスの小さなビンにお花を飾って並べたり観葉植物の葉っぱを小さなビンに入れて楽しんでいました。
竹が器の柿羊羹って、それだけで高級感があったものです。
見た目もとてもナチュラルで、竹の緑色と柿羊羹の柿色が見事でしたねぇ。