「天職一芸~あの日のPoem 125」

今日の「天職人」は、岐阜市日ノ出町の「機械時計修理職人」。(平成十七年一月二十二日毎日新聞掲載)

母の箪笥の形見分け 引き出し奥に腕時計         とうの昔に役を終え 母の記憶を今に留める        もう動かない時計の針に ドシャブリの夜を想い出す    母に叱られ飛び出して ぼくを探したずぶ濡れのせい

岐阜市日ノ出町のたった二坪の小さな店、『おじいさんの時計屋さん』。機械時計修理職人の中川立(たつる)さんを訪ねた。

「♪今はもう動かないこの時計♪ そんなもん動かんなら、動かしたろかって」。 立さんは、発条(ぜんまい)時計の心臓部を愛しそうに見つめた。

写真は参考

昭和七(1932)年に義父が、岐阜県大垣市で中川時計本店を創業。その後、父は家族を連れ満州へ渡った。

しかし立さんが四歳の時に結核を患い、昭和十八(1943)年に引揚げた。すると父はその年の十月、還らぬ人に。後を追うかのように、今度は七歳になった立さんを遺し、母が他界。立さんは父の得意先に、養子として貰われた。

「坊さんか時計屋かと問われ、決断したんやて」。中学を出ると豊橋の時計店で、住み込み修業に就いた。

「時計なんてちっとも触らせてなんてもらえん。明けても暮れても拭き掃除と、先輩職人のピンセットの研ぎ出しばっかやて」。いずれもミクロの精度が要求される道具。「これが上手く研ぎ出せんで、怒られっ放しやったて」。

一年後、『掛け時計直して見るか』と。「こっちはもう、時計に触りたいばっかやて」。

修理の始めは分解。ベンジンで部品の汚れを落とし、再び組み立て。ミクロの軸の根元に、メビス油を注ぐ毎日。

その後高山に移り修業を重ね、髭発条(ひげぜんまい)を手で巻き直す職人と出逢い、百分の一㎜に挑む世界へとのめり込んでいった。

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昭和三十七(1962)年、二十二歳の年に大垣へと戻り、顔さえ想い出せぬ、父の無念を晴らすかのように店を再興。

「景気が上向きで、時計が売れ出した頃やった」。昭和四十二(1967)年には妻を得、二人の愛娘も授かった。

昭和四十九(1974)年には、クォーツ時代の幕開けとなり、我世の春を謳歌。しかしバブル崩壊と同時に、売上げも低迷。

平成九(1997)年、五十八歳の年に遂に閉店。「親父のように、修理の行商して、原点に戻ろうと想って」。

しかし、かつての得意先も代替わり。困り果て、悶々とした日々が続いた。

ところが 捨てる神あらば、拾う神あり。柳ヶ瀬商店街の理事長から誘いの声が。「三ヶ月の予定で修理を始めたら、四ヶ月分の予約が入って。キツネに抓(つま)まれたようやて」。

中学時代から合唱を続ける立さんは、迷わず屋号を決めた。「おじいさんの時計屋さん」と。

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何十年と時を刻むことを忘れ、埃を被った古時計。立さんの魔法の指先で、再び命が注ぎ込まれ、新たな時を刻み始める。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 125」」への13件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・機械時計修理職人のお話ですね。
    ・岐阜に時計の修理屋さんが有るのですね。
    時計の修理屋さん貴重ですね。
    ・修理に持って来るって事は、大事な時計(思い出が有る時計)なのですね。
    修理を、以来して時計が動けばお客様も嬉しいですね。お客様の口コミで、広がって行きますね。
    私は、時計は、電池交換かベルト交換を、お願いした事は、有ります。
    時計修理は、お願いした事は、有りません。
    (店名)おじいさんの時計屋さん良い名前ですね。
    私は、おじいさんの時計屋さんに、行った事が有りません。

  2. 子供の頃、我が家のお店の壁に振り子時計が掛かってました。油断すると、針も振り子も止まっていて、ジィーっ、ジィーっとネジを巻き、時計の針を時刻に合わせ、振り子を揺らす。そんな一連の作業を見ているのが好きでした。

    1. でもそのリューズを巻く手巻きの、あの何とも言えないまったりとした時間も素敵です。

  3. 時は金成!
    なんて事を言いますが、
    65歳の年金暮らしになった、今となっちゃ⤴
    「時は寿命」だね~ぇ⤴
    思い残す事無く逝く事が出来れば・・
    言う事がないんですが、そんな訳にもいかないのが現実!
    悔いの無い様に、これからも頑張りたいと思います。
    と、まぁ~らしくない事を言っていますが
    まぁ~!オカダさんと私の場合「憎まれっ子世に憚る」から
    まだまだ・・・
    えっ?巻き込むなぁ~⤴
    そんな事言わないで、オカダさんと私は「一心同体」でしょう!
    ワハァハァハァ⤴

    1. 誰が一心助やぁ!
      あれれっ、一心同体と!
      ああ、それだけはご勘弁ご勘弁!

  4. 今まさに 父親の腕時計を修理に出そうとしています。
    いつ頃から使っているのかわからないけど かなり古いんです。でも 父親のお気に入り。
    昔の人だからなのか?腕時計をはめないと落ち着かないのか?
    脳卒中で入院した時も「腕時計を持ってきて!」と。パジャマ姿で腕時計をはめてました。今でも ディサービスに行く時に必ずはめてます。ただ 時計は動いてないんです。脳血管認知症である父親は その事に気付いてないけど 必ず腕時計をはめる。その姿は 素敵だなぁ〜と思います。
    今日 修理に出してみて もし直らないようなら 同じタイプの時計を買うつもりです。
    チクタクと音が鳴り 時を刻む腕時計をはめる事で これからも一日一日を心穏やかに過ごせますように。

    1. いいお話ですねぇ。確かに腕時計は、男の唯一のお洒落なのかも知れません。
      家の父もそうでした。
      お父様にとって腕時計は、ご自分の体の一部なんでしょうね。きっと!
      素敵な父の日になりますね。

  5. オカダさんこんばんは(^-^)/ 
    懐かし掛け時計私の家にもありましたよ。
    ちょうど12 時~12時に1時間おきになるとボンボンと鳴ります。確か私が二十歳ぐらいまで動いていましたよ。聞いた話だけど掛け時計は私が園児の頃におじいちゃんが腕時計を買いに私も一緒についていてその時におじいちゃんあの時計(掛け時計)が欲しいと言っておねだりして買って貰ったのよとお母さんが言っていました。全く覚えていません(´- `*) 話を聞くと時計の音が気に入ったみたいだそうですて(^-^) 確かに良い音でしたが中学生になると夜中に鳴るのでやかましかったですよ(´- `*)
    オカダさんへとイブアンドカメさんから伝言です(^-^)/ 災い転じて福となる生きていてね!報われ日を信じて! 伝えて下さいの事です。
    オカダさん私からのお願いです(^-^)
    イブアンドカメさん6月13日土曜日お誕生日です(*^ー^)ノ♪ お祝いの歌お祝いの言葉をお願い事します(*^ー^)ノ♪

    1. もちろん喜んで!
      イブ&カメさんがお元気で何よりです!
      遅くなりましたが、16日の火曜日22:00のブログで、ささやかなお祝いソングをお贈りいたします!

  6. アナログ好きなボクは、腕時計はハミルトンの手巻き。あと、実家に時々行くと柱時計のネジを巻くのがシゴトになっています。

  7. What’s up everybody, here every person is sharing these kinds of familiarity, so it’s
    good to read this weblog, and I used to pay a quick visit this webpage everyday.

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