
わたしたち人間には、一人に一つ、何人にも、お母さんが苦しい思いと引き換えに、この世にわたしたちを産み出してくれた、大切な記念日があります。
でもそんなとても尊い誕生日を、子どもの頃はただ単に、「バースデープレゼントが貰え、バースデーケーキが鱈腹食べられる日」くらいにしか、思っていなかったのも事実でした。
とは言え、当時のバースデーケーキは、今のような生クリーム仕立てで、新鮮なフルーツがたっぷり飾り付けられているようなお洒落な物とは程遠く、こってりねっとりとしたバタークリーム仕立てで、中はパッサパサでモッサモサなスポンジだったものです。
卓袱台の上にそんな丸いケーキが据えられ、オレンジジュースかサイダーで乾杯が定番だった記憶があります。
ああっ、そうそう!茶の間の天井には、お母ちゃんお手製の、折り紙の輪飾りならぬ、新聞チラシの輪飾りが垂れ下げられていたものです。
しかしそうしてとても尊い神聖な誕生日でありながらも、思春期を迎えた頃には妙に反抗的になっていたのか、家族三人でバースデーケーキを囲んでお祝いなんて事がこっぱずかしくって、それ以来そんな誕生会も開かれなくなり、バタークリームのバースデーケーキを囲むことも無くなってしまった気がいたします。
ところが時が経ち、両親が亡くなった齢に年々近付くにつれ、せめて一度だけでいいから、なんで自分の言葉で、「お母ちゃん、この世に産んでくれてありがとう。お父ちゃんとお母ちゃんの元に産んでくれて、本当にありがとう」と、言ってやれなかったんだろう・・・。
毎年自分の誕生日を迎えるたびに、そんな後悔ばかりが脳裏をよぎります。
今ではぼくの守護星として、天から見守ってくれている両親ですが、ぼくがやがて両親の元へと戻っていったなら、あの卓袱台の上にもう一度バタークリームの小さなバースデーケーキを広げて、三人でしみじみと味わいたいものです。
今夜は、後程ご紹介いたしますが、ハートさんのお誕生日のお祝いを兼ね、ヤマもモさんのリクエストにお応えしつつ、「君が生まれた夜は」をフルコーラスで歌わせていただきます。
「君が生まれた夜は」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
君が生まれた夜は二人だけで祝おう 遠い夜空の果ての君の両親と
ワインでも傾けて君のアルバム開こう 泣きべそ幼い日の君がいとおしい
Happy birthday この世に生まれて来てくれて
Happy birthday 二人巡り逢えてありがとう
これからは二人で一緒に キャンドルの灯を燈そう
君の生まれた夜もこの星空のように 守護星たちが君を見守ってたろう
今日からはこのぼくが 君の守護星となり どんな時であろうと 君を守り抜く
Happy birthday この世にただ一人の君と
Happy birthday やっとやっと巡り逢えた
これからは二人で一つの キャンドルの灯を守ろう
君が生まれた夜は二人だけで祝おう 遠い夜空の果ての君の両親と
ワインでも傾けて君のアルバム開こう 泣きべそ幼い日の君も抱きしめたい
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「もう一度食べたい一文菓子屋の駄菓子!」。ぼくが子どもの頃は、近所にあった「トシ君家の一文菓子屋」が、腕白坊主やお転婆娘たちの社交場のような存在でした。当時のお小遣いは、一日当たり10円玉一個。だいだい一文菓子屋の駄菓子は、くじ引き付きの物が多く、一回5円が相場だったものです。ですから5円は、駄菓子のくじ引き!紐の付いたアメ玉や、黒ん坊とか、くじ引きの運が良ければ、大きなアメ玉や黒ん坊をゲット!例え外れても、子供騙しな一番小さいサイズの駄菓子が手に入るため、子供らには人気でしたねぇ!そして残った5円で、友達と5円ずつ出し合って、持ち手が二つ付いていて半分ずつに出来るよう真ん中でパキッと割ることの出来る、ソーダ味のアイスキャンディー10円を買って、二つに割って分け合ったものでした。当時のぼくは、マー君といつもアイスキャンディーを分け合っておりましたねぇ。もしもう一度あの頃に戻って、トシ君家の一文菓子屋で5円のくじが引けたら、やっぱり黒ん坊のくじで一等賞を引き当て、菱形に切られた縦10cm横20cm近くの、巨大な黒ん坊を手に入れて独り占めにして食べてみたいものです。皆さんは、どんな一文菓子屋の駄菓子がお気に入りでしたか?
今回はそんな、『もう一度食べたい一文菓子屋の駄菓子!』。皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
今晩は。
・5/24(日)動画(君が生まれた夜は)を、見ました。
・君が生まれた夜はとお誕生日の歌 弾き語り良かったです。素晴らしかったです。
・君が生まれた夜はを、フルコーラスで、聞けて良かったです。
・君が生まれた夜は は、好きな曲です。歌詞が良いですね。
・私は、オカダミノルさんのライブを、待っています。リスナーさんとオカダミノルに会いたいです。
・オカダミノルさんが、元気で良かったです。
・ハートさん 5/30(土)お誕生日おめでとうございます。良い事有ります様に。
・ヤマもモさん 君が生まれた夜はを、リクエストしてくれて有難うございます。
・家で家族みんなで、私の誕生日会を、した記憶が、無いです。 私は、覚えていません。
(テーマ)もう一度食べたい一文菓子屋の駄菓子
考えて見ました。
・もう一度食べたい駄菓子は、小さい容器に入っている白いヨーグルトです。美味しかったです。
・紐を引いて景品が、出る物はやったかやって無いか記憶が曖昧です。
(駄菓子屋さんに有ったかも知れません。)
オカダさんへ ★
バースデーソング 「 ♪ 君が生まれた夜は ♪ 」 で お祝いして頂き ありがとうございました ♪♪♪
そして、貧乏神?? の ヤマもモさん
リクエストしてくださり ありがとうございました (^-^ゞ ウルウル 感謝 ‼️‼️
※ オカダさんと巡り合えた事で 大勢の方々とご縁が出来 楽しい時間を過ごせる事が とっても 幸せです
又 皆さんと 笑顔でお会いできる日を楽しみにしています ※
* いつも ありがとうございます *
誕生日の夜は 両親に感謝しながら枡酒でも 呑みたいと思っています
(。^。^。)
それはきっとご両親にとっても、とても良い祝い酒に違いないですねぇ。
今は自分の誕生日じゃなくて産んでくれた両親に感謝する日と決めてます。時々は思い出す事があるけど一年に1回しっかりと向き合うのも良いもんですよ。
ぼくなんて、毎日心の中でお母ちゃんと対話しているような気がします。
私は来月の誕生日で還暦を迎えますが、60歳になるともっと気楽になるのかと思ったら逆に自分の居場所がないことに気づきました。今度岐阜市まで行った時にオカダさんのCDを買えるのを楽しみにしております。
ありがたい限りです。
子供の頃 友達数人を招いて誕生日会をした事を思い出しました。大皿にたくさん料理がのっていてケーキも。
保険外交員だった母は 土日もないくらい働き 帰りも遅い毎日だったのに頑張って用意してくれたんだろうなぁ〜と今更ながら感謝です。
現在は 毎日 母の愚痴を聞いたりしてはいますが 両親二人共よく頑張って生活してるなぁ〜と思っています。例え何かが出来なくても それだけで凄いと。
両親を支える為にも 私自身が元気でいないと!…と 最近よく思っています。
お誕生日は、そうやって親も子も、昔の馨しい時間を思い出し合う日なんでしょうねぇ。
駄菓子屋さん、懐かしい、食べたい物ばかりですよ。
お店のおばさん、これは10円、あんたは50円、それは30円やねって、沢山の子供相手にパパッと計算されて、凄いですよね。
頭の中に、そろばんでも入ってたかな?
きっと後の天職一芸あの日のPoemで登場するでしょうが、桑名市の寺町だったかにあった一文菓子屋のお婆ちゃんとこなんて、レジもなんにもなかったですよ。
その代わりお婆ちゃんの割烹着のポケットには、掴み切れないほどの小銭がたぁ~んと入っていて、子どもたちのお会計を済ませると、それをまたポッケにねじ込んで!
子どもらとのやりとりが実に楽しそうなお婆ちゃんでしたよ!
小さなお店で 店内も少し薄暗く でもウキウキする不思議な場所!
週末になると妹や友達とよく行ってました。
覚えているのは ココアシガレット・マルカワのガム(オレンジ)・ふえガム(ドーナッツ型で吹くとピーって音が鳴る)・クッピーラムネです。あと いい香りがする紙せっけんをよく買ってましたね( ◠‿◠ )
今もスーパーで駄菓子コーナーを見かける事があるけど ん〜 やっぱり駄菓子屋さんがいいんですよね。
子供だけの世界である駄菓子屋さんが‼︎
そうですって!だいたい駄菓子屋さんは、スーパーの陳列棚のように理路整然と並んでいなかったので、お目当ての商品を探すことそのものも楽しみの一つだった気がします。
子どもの頃、毎日、駄菓子屋さんに通ってました。一番の思い出は、将棋型のチョコレートのクジです。ハズレだと「歩」の小さなチョコでしたが、ある時、珍しく当たりを引き、子どもの掌くらいの「王将」のチョコをもらいました。嬉しくて、ずっと机の上に飾っていました。そして、いよいよ食べるゾ〜ッとかじりついたら中身が、がらんどう!でしたぁ・・世間の厳しさを初めて知った瞬間でしたぁ。\(^-^)/
なかなか敵もさるものですねぇ!
どうせ子供だからと!
とても貴重なご体験でしたねぇ!
オカダさんや皆さんが仰るとおり、私も「お母ちゃんの子で良かった!ありがとう!」と言います。
今なら言えそうです。
ありがとうございました。
まあ子どもの頃に、今と同じ気持ちで、お母ちゃんの顔を真顔で見据え、「お母ちゃんの子で良かった!ありがとう!」なぁ~んて言おうものなら、「ちょっと!デコ出してみやあ!熱でも出とれへんか?」と、訝られたに違いありません(爆笑)
もう一度食べたい駄菓子
ガラスケースの中に入っていて
麩菓子 ウェハースの間にカステラとクリームが入っているのでケーキと言ってました。あんこがねじってあってお砂糖がまぶしてあるのとか水飴がカチコチになっていて透明なセロハンに包んであったので綺麗で家に帰ってからねりねりして色が乳白色になるのを楽しみました。それにしても思い出のなかは甘いものばかりですね。
バターケーキも食べたくなります。
ぼくが足蹴く通ったトシ君家の一文菓子屋は、今にして思えば裸電球一個の薄暗い店内だったにもかかわらず、子供らにとってはそんなことなどお構いなしの、夢のパラダイスそのものでした。