「天職一芸~あの日のPoem 109」

今日の「天職人」は、愛知県蒲郡の「バナナ問屋女将」。(平成十六年九月二十五日毎日新聞掲載)

お昼ご飯はバナナ三本 どれも傷んだお値打ちバナナ    中から一つ選び抜き あの娘の席にそっと忍ばす      昼飯代わりバナナが二本 連れにどんなに笑われたって   食事の後にぼくを見る あの娘の笑顔 胸一杯

愛知県蒲郡市の鈴木バナナ店、二代目女将の鈴木道子さんを訪ねた。

「嫁入り話が持ち上がった時、相手がバナナ屋だって聞いて、すっかりその気になったじゃんねぇ。だってバナナ好きだっただもんで。洋裁学校へ行っとった頃なんて、バナナ五本とジュース一本がお昼ご飯だぁ。だもんで、行きがけに隣の果物屋で、ちょっと傷んで安なっとるバナナ、買っとくだ」。道子さんが懐かしげに笑った。

鈴木バナナ店は、先代が戦前、問屋として開業。とはいえ当時もバナナは、すべて輸入に頼る高級品。戦争の激化と共に、入荷も途絶えがちに。

昭和十九(1944)年、道子さんは豊橋市の染色業を営む家庭に誕生。戦後は、誰もがひもじさと向き合った統制経済下の時代。栄養価の高いバナナは、果物の王様として君臨し続けた。

時代も昭和三十(1955)年代に移ろうと、統制解除と輸入の自由化が、庶民の暮らし向きを徐々に上向け始めた。

そしてついに昭和三十八(1963)年には、バナナの輸入自由化が実施され、輸入量の急増に伴い価格が下落。バナナは徐々に、王様としての地位を明け渡していった。「それまでは、儲かって儲かって、お金の使い道に困るほどだったじゃんねぇ」。

昭和四十三(1968)年、道子さんは「大好きなバナナがたらふく食べられる」と舞い上がり、二代目主人の伊佐雄さんの元へと嫁いだ。「ここへ来た端は、ようバナナをたらふく食べただぁ」。

当時は毎日真っ青なバナナが、店の地下に設けられた七つの室に、二百箱ずつ詰め込まれた。室の温度は年中十六℃に保たれ、真っ青なバナナが黄色く色付くまで、エチレンガスを入れ五日かけて渋を抜く。「室を開けイキリ(ガスで息が切れる)を抜いて出荷だもんで」。一房十五~十六本、一箱五房入りのバナナが、三河の各地に向け出荷された。

「昭和五十五(1980)年にこの家建ててから、商売さっぱりじゃんねぇ。だってバナナと卵だけは、値上がりせんらぁ。だもんで今は、お父さんも勤めに出とるじゃんねぇ」。

道子さんが一本のバナナを差し出した。「このホシ(茶色の点)が出た頃が食べ頃じゃんね」。

バナナ喰いの達人の言葉に嘘は無い。『確かに美味い!』。あの日、母にねだって無理やり買ってもらった、遠い日の甘さが口の中に広がった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 109」」への17件のフィードバック

  1. 「天職一芸〜あの日のpoem109」
    「バナナ問屋女将」
    「バナナはホシが出た頃が食べ頃」とはバナナ問屋の女将さんらしいお言葉ですね。子供の頃は「この てんてんのあるのが美味しい」と言ってましたから…(これから言いたくなります)

    バナナも今は少しお高くなってますので
    「天職一芸」を拝見していたら食べたくなりました。
    すっかりお口の中はバナナ味ですね。

    1. そう言えば、子どもの頃、バナナ味の歯磨き粉がありませんでしたっけ?
      仄かなバナナの甘い香りがしたような・・・。
      遠い昔話でした。

      1. ありましたね
        鼻先をバナナの香りが…
        ついこないだのような気がします。
        ちゅうっと食べてしまう子がいて泣きそうな気持ちで心配していました。
        次の日に学校で会えたので なんだかほっとしていたことまで思い出していました。

        1. まあ、なんてお優しい!
          ぼくの近所の子も、チューブ入りのチョコレートの代わりに、美味しい美味しいとイチゴ味のチューブに入った歯磨き粉を、吸っていた奴がいましたぁ!
          でもそいつ、今でも元気なようですから、昭和の時代のギョウチュウ検査があった時代の坊主どもは、何とも逞しかったものです!

  2. バナナ専門店があるとは!
    我が家の冷蔵庫には 365日バナナが入ってて 息子達の朝食には必ずバナナが。他にも2種類の果物も( ◠‿◠ )
    もちろん私も食べてます。
    いろんな栄養がたっぷり入ってますから。
    柿と同じで ほのかな甘さがあって 硬くもなく柔らか過ぎないバナナが好きですね。
    常に一房98円!というお店もあるので家計にも助かってます(笑)

    1. けっこうバナナって、お腹が一杯になりますもんね。
      ぼくの子供のころは、台湾バナナと南米産のバナナがあり、確か台湾バナナの方が一文も二文も高かったようで、お母ちゃんは南米産専門で買ってくれたものです。

  3. おはようございます。
    ・バナナ問屋女将のお話ですね。
    バナナ問屋さんが、有るのですね。勉強になりました。
    ・スーパーには、青いバナナと黄色いバナナ両方有りますね。
    ・私は、ラジオで、聞きました。昔は、バナナは病気になった時に買ってもらえると言ってました。
    ・バナナは、最初から黄色いバナナで来るのじゃなくって緑色なのですね。
    ・私は、バナナは、普通です。茶色い点が付いたバナナは、美味しいですね。
    ・私は、皮ごと全部食べれるバナナは、食べた事有りません。
    ・皮ごと全部食べれるバナナは、TVで見た事有ります。値段が高かったです。

  4. バナなん、バナなん、バナなん、バナナが一本ありました~~と歌を思い出しました。バナナは父ちゃんとの思い出の食べ物、2ヶ月近く山に泊まって仕事して帰ってくる時のお土産は「バナナが良い(*^▽^)/★*☆♪」とおねだりしてました。50年以上前なんて高い、高いバナナでした。

    1. そうですとも!
      なかなかお高いから買ってもらえませんでした!
      だから遠足や運動会の晴れの日が楽しみでならなかったものです!

  5. ウチにはバナナがいつもあります。安いし美味しいからです。今まで私は黄色いスベスベのバナナに食らいついていましたが、「星が出た頃が」食べ頃だったとはほんとうに知りませんでした。熟柿というように、遅い方が美味しいのですね。ヒトはいかがなのでしょう。

    1. 星が出る頃に甘みが増すとか。
      やっぱりヒトも、青いより熟れて旨味が増す、そんな大人のヒトで在れるとよいのですが・・・。

  6. 熱田神宮東門そばに渡辺商店という天津甘栗とバナナを販売しているお店は正月にぎわってますね。初詣で天津甘栗を買っていくのが年の始めのルーティンです。

  7. 私は青いまんまで終わってしまいそうです。しかし、それはともかく、「バナナ味の歯磨き」ありましたね。今もあるのでしょうか。

    1. バナナ味と香りの歯磨き粉!
      実に子供心を虜にしたものでしたねぇ!
      今度薬局かかホームセンターで、歯磨き粉売り場覗いて見よ~っと!

  8. どこの、家にも「バナナ」あるんですねぇ!
    毎朝、365日バナナが朝食に出ていました。
    一時期、何故か?急に食べたくなくなってバナナ恐怖症に!
    皆さんご一緒に「そんなバナナ♪」
    でも、今は克服して、毎朝食べています。
    お嫁様が私のバナナの食べ方がおかしい?と言うんです。
    昔、外ズラはキレイで普通に皮を剥きながら食べていたんですが
    所が、どっこい!一口食べたら中身は黒くタダレテ腐っていました。
    それ以来、先に全部皮をむいて確認して、それから食べてるんです。
    皆さんも気を付けて下さい。
    外見はイケメン、美熟女だったりしても
    惑わされてはいけません!絶対に!
    勉強になったねぇ⤴

    1. あっそう!やっぱり、それが仰りたかったってぇわけねぇ!
      ご苦労さん!

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