今日の「天職人」は、岐阜県瑞穂市の「柳行李(やなぎごうり)職人」。(平成十六年九月十一日毎日新聞掲載)
春秋二度の衣替え 柳行李を引きずり出せば 暑さ寒さが忍び寄る 空(から)の行李は子供らが 隠れて遊ぶ小さな世界 疲れて眠り高いびき
岐阜県瑞穂市の柳行李職人、三代目松野好成さんを訪ねた。

「もうわしで仕舞やて。柳の灰汁(あく)で手が黒なるし、汚こいでな。おまけに食えんで、誰もせえへんて」。苔生す土間に面した作業場で、好成さんは完成したばかりの柳行李を軽々と抱え上げた。
旧、穂積町一帯の農家では、明治時代に農閑期の副業を求め、兵庫県豊岡市の柳行李作りを学ばせようと、農民を派遣し技術の取得を図った。「米取ってまったら、他に働き口もねぇんやで」。
稲刈りも終わり十二月になると、柳の枝を切って田んぼに挿し、春先に芽が吹くのを待つ。芽が出ると、柳の皮が剥きやすくなるからだ。芽吹いた柳は、明治時代のY字金具の脱穀機で、枝が白むまで皮を剥く。そして部材の寸法に切り分け、水に三時間ほど浸し、柳に粘りが出たところで、一気に二時間程かけて編み上げる。

普及品の行李は、長さ二尺四寸(約七十三㎝)、幅一尺二寸(約三十六㎝)、深さ七寸(約二十一㎝)。周囲は十㎝幅程のズック(麻・木綿の繊維を太く縒った糸で織った布地)で、二~三時間かけ凧糸の手縫いで纏る。
軽くて頑丈な柳行李は、兵隊の私物輸送用に利用され、戦前は一大産地にまで成長した。「学校から帰って来ると、三百本ほど皮剥いて十円の菓子パン一個の駄賃やて」。松野さんは懐かしそうに笑った。
中学を出ると同時に、父の元で職人として腕を揮った。しかし戦後の急速な生活様式の変化は、この国の様々な手仕事を奪い去った。柳行李も例外では無い。昭和三十(1955)年代後半からは転廃業が続出。今では松野さん只一人。
「プラスチックの衣装入れはかん。衣類が湿気吸ってまって、直ぐに黄ななるで。だってこの国は、湿気の国やでな。今では、衣装を大切にする日舞の先生やお寺さん、それにタカラジェンヌに愛用される程度やて」。
今でも宝塚歌劇団では、入団時に衣装入れとして、ピンクのズックで縁取られた一尺(約三十㎝)四方の柳行李を購入するとか。(平成十六年九月十一日時点)
柳は白色から飴色に褪せても、二~三代は十分に使える耐久品だ。「もう柳自体も手に入らんし、身体もえらいで、頑張っても年に十本から二十本程度しか出来んて」。

柳行李一筋に半世紀と五年。節くれ立った指に凍み込んだ柳の灰汁。土間に立って見送る姿は、まるで吹き抜ける秋風と戯れる、小川の辺で揺れる一本の老いた枝垂れ柳のようであった。
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おはようございます。
・柳行李(やなぎごうり)職人のお話ですね。
私は、柳行李を、作る職人さんが、見えた事知りませんでした。
ブログを、見て勉強になりました。
・柳行李は、ひとつひとつ手作りなのですね。機械化出来ないので、手間が、かかりますね。
・柳行李は、今でも衣装を大切にする日舞の先生やお寺さん、それにタカラジェンヌに愛用されてるのですね。
・私は、実際に柳行李を、見た事が、有りません。昔は、兵隊の私物輸送用に利用されていたのですね。
家で、柳行李を、見た事が有りません。
柳行李家にありましたが、転居してるうちに無くなっていました。風通しがいいので保存状態がいいように思います。これも昔の人の智恵ですね。私自身は使ってません。
湿気の国の日本には、道理にかなったものだったようですね。
子供の頃の衣装ケースは、ブリキで出来たガンガンだったと思います。今は、紙製かプラスチックの衣装ケースを使っていますが、家族も減り衣替えも楽になりました。
家の押し入れにも、ブリキ製の長方形のガンガンがありましたねぇ。
小さな頃は、空のガンガンに入って遊んだこともありました。
これまた実際に見たことがないんです。
我が家では ブリキ製の衣装ケースでした。押入れから出すと なんだかヒンヤリして 蓋を開ける時にガガーっと鈍い音がした記憶があります。
ブログの写真を見て思い出したんですがTV水戸黄門に出てくる助さんと格さんが首から下げてる小さな鞄のような物も きっと柳行李で作られた物かなぁ〜と。
あと 小豆を入れてザザ〜っと波の音を作り出すのも あの衣装ケースですよね⁈
そう言えば、昔のテレビ局のドラマ班には、そんな効果音担当の職人さんもおられましたねぇ。
柳行李
幾つか欲しいもんです。
けど楽天市場見ましたが結構なお値段!
まぁ~⤴違いの分かるエエ男としてはイイ物が欲しくなるのは当然
それが言いたかったわけ?
まぁエエ男って?
エエ男?? 柳行李 落武者殿には
ぴったりですよね (@^^)/~~~
幼少の頃 実家でも使ってましたよ~
押し入れの片隅にあり あちこち 小さい穴があいていたのは覚えていますが、何が入っていたかは??
両親の大切な物? 宝物が入っていたんでしょうね ☆☆☆
懐かしいですよねぇ。
家も飴色に焼けた柳行李には、母のわずかばかりの着物がしまってありました。