今日の「天職人」は、三重県大王崎の「灯台守」。
夕陽浮かべた内海(うちうみ)に 出船入船行き交う汽笛 岬の頂(いただき)入り江の番人 沖を目掛けて灯を放つ 異国流離う旅も終(つい) 瞼の向うに島影滲む 君待つ祖国の入り江では 岬の灯りが我を手招く
三重県鳥羽市海上保安部に、平成の灯台守、小林英則さんを訪ねた。

「子供の頃、アメリカのテレビドラマ『わんぱくフリッパー』が大好きでした。それでコースト・ガード(沿岸警備)の仕事に憧れるようになって」。英則さんは窓から鳥羽湾を眺め、少年のように目を輝かせた。差し出された名刺には、鳥羽海上保安部航行援助センター、主任航行援助管理官とある。
三重県大王崎の灯台守は七名。二十四時間交代制で、無線監視・気象観測・灯台の維持管理に追われる。

英則さんは愛知県額田町生まれ。地元の水産高校の無線通信科から専攻科を経て、昭和48(1973)年に入庁。直ぐに大王崎灯台の航路標識事務所に無線技士として配属された。「私らの職場は、何処まで行っても周りは海しかありません。おまけに宿舎は、灯台の目と鼻の先。木造の古い建物で、船虫や百足に悩まされたもんです」。青春真っ盛りの四年間を、英則さんはここで過ごした。「賑やかな都会より、ここらの方が・・・。地元の子供らと釣りしたり、真っ青な海に潜ったりしとった方が楽しかった」。
大王崎での暮らしを終え、名古屋の第四管区海上保安部へと異動。土建担当と言われる、灯台や宿舎の建設を担当する部署だった。
無線屋とは全く畑違いの職務。夜学に通い建築士の資格を取得した。
翌年、友人が仲を取り持ち、年上の女房と所帯を構えた。若干二十五歳の晴れ姿。後は男の子が生まれ、イルカを手懐けさえすりゃ、いつか夢見た「わんぱくフリッパー」を地で行くはずだった。
しかし現実はそれほど甘くはない。二人の男子には恵まれたものの、全国各地を転々とする運命に。まさに昭和32(1957)年の名画「喜びも哀しみも幾年月」でお馴染みである。
その後、北九州の関門海峡を守る七管本部へ。そして再び四管本部から本庁勤務を経て、第二の故郷とも言うべき、大王崎灯台に平成13(2001)年着任。
「ただただ女房に感謝です。何処へ転勤になろうと、家族一緒でした。だから腰を落ち着けて仕事が出来た。灯台は、沖を行く船にとって、海の派出所ですから」。勤続三十年の表彰を受けた平成の灯台守は、踵を打ち鳴らし鮮やかに敬礼。ぼくもぎこちなく答礼を返した。

中部経済の要、伊良湖水道航路を往く船の無事を祈り、今日も大王崎灯台へと向かう。
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おはようございます。
・灯台守のお話ですね。
・小林さんは、子供の頃海岸警の仕事に憧れていたのですね。
・私は、灯台守と聞いて 喜びも哀しみも幾年月を、思い出しました。 歌も有りましたね。
・今でも灯台守(三重県大王崎 灯台守)さんが、見えるのですね。
・灯台守さんは、24時間交代なのですね。お仕事大変ですね。
海を見守り、船を見守り、人命を見守る大切な仕事を、家族が身守り続けてくれたからこそですね^_^
何だか家族の絆の太さを改めて感じさせられた、そんな気がしたものです。
「天職一芸〜あの日のpoem 68」
「灯台守」
俺ら岬の灯台守は〜と思わず歌ってしまいます。こんなに穏やかな日ばかりならいいのですが〜ドラマの中はいつも大変なことが起きるので子供ながらにハラハラしていました。わんぱくフリッパーも
懐かしいですね。オカダさんの答礼は
子供の頃に培われたものが思わず出てしまったとゆう感じに受け取れて良かったです。
カブスカウト時代は、二本指。そしてボーイスカウトとシニアスカウト時代は、三指の敬礼でしたが、この時の答礼では一般的な敬礼をした気がいたします。
穏やかな海や荒れた海を見ながら 神経を集中させる大変なお仕事なんでしょうね。
転勤に続く転勤で きっとこの方にとっての灯台は 奥様でありご家族 ( ◠‿◠ )
お互いに守り守られて…
素敵です!
そうですよねぇ。
ぼくもひっそりと憧れたものです。
でも、やっぱりぼくにゃあ無理でしょうが・・・。
わんぱくフリッパー!
懐かしいなぁ~⤴
確か我が家は、「ダイジン」ではなかったのでお風呂とカラーテレビがなかった!
同級生で可愛い女子!確か「薬屋さん」だった。
居間にはソファーが置いてあって、正しく「ダイジン」でした。
その子んちはカラーテレビがあり
「わんぱくフリッパー」を見させてもらった事を思い出します。
それと「マグマ大使」も見たなぁ~⤴
その子んちで初めて「ココア」ちゅうもんを飲みました。
世の中には、こんな飲み物があるんだ!
甘くて美味しかったぁ⤴
一生忘れられない味「プッハァ~⤴」
ぼくは白黒のマグマ大使しか見たことありませんでしたぁ!
くそっ!
灯台守といえば「喜びも悲しみも幾年月」。これは昭和三十年代の映画なので僕にはなじみはないですが、兄が主題歌を口ずさんでいたのを覚えています。{オイラ岬の~灯台守は~}。後年、ボクが見たのは「新・喜びも悲しみも幾年月」{加藤剛・大原麗子主演}でした。今はもう亡くなりましたが、隣の家が灯台守の夫婦の方たちでした。
そんなお近くに灯台守さんが!
灯台下暗しとは、まったくよく言ったものですねぇ。
座布団一枚!
サンキュ~ッ!