今日の「天職人」は、愛知県豊橋市の、「質屋女将」。
やっとデートに漕ぎ着けたのに 給料前の間の悪さ 急な用でと彼女を待たせ 質屋の暖簾に駆け込んだ 舶来時計がステーキに 見栄を通すつもりのはずが 勘定書きに目を剥いて 彼女の財布に縋る失態 それがご縁で結ばれて見りゃ 子守り洗濯質奉公
愛知県豊橋市で明治末期創業の「佐野質店」二代目女将の佐野悦子さんを訪ねた。

「昔の職人さんは、朝飯の残りの入ったお釜を、仕事の出がけに質入れして、その日の日当で帰りがけに質請けしとったらしいじゃんね。よう先代がそう言って笑っとったもん」。店先を監視するテレビモニターを眺めながら、悦子さんが笑った。

悦子さんは昭和10(1935)年、お隣の新城市の農家で誕生。二十四歳の年に、縁あって質屋の嫁に入った。
その半年後には店を任され、質草の値踏みを恐る恐る始めたと言う。「質屋は決断力と度胸だけ。それが身に付くまでに十年はかかるじゃんね。恥ずかしい話だけど、今までどんだけ失敗したことか」。

戦前の質草には、大八車や僧衣といった変わり種も多かったそうだ。「だって質屋なんて、下駄履きの気楽な庶民の金融屋だらぁ」。悦子さんの許には、様々な客が訪れた。「たった今、監獄から出て来たばっかりだと凄んで見せる者。子供の給食代をと駆けこんで来る母親」もいたそうだ。また、子連れの母親から、一銭の値打ちもないものを質草に差し出され、ついつい情に絆され拒めなかったことも一度や二度ではない。
客との間を仕切るガラスの向こうに、必死で生き抜こうとするそれぞれの人生があった。「今は贅沢な貧乏が多いじゃんね」。悦子さんが呟いた。「外車を横付けして、舶来もんの時計を質入れして行く時代らぁ」。昔は、今日一日を生き抜かんと質屋を頼った。

「ねぇ、あのプラチナ、あんたが取ったんだった?」「それはお母さんが・・・」。三代目を継ぐ、長男の嫁真理子さんが口を挟んだ。それは二年前の閉店間際。五十代半ばの品のいい女性が店に現れた。「これで」と、真珠が埋め込まれたプラチナの指輪を差し出した。本来プラチナの真贋は、比重計で識別するが、真珠が埋め込まれているためそれが出来なかった。悦子さんは、自分の眼力を信じ引き取ったが、まんまと贋作にしてやられた。
「質屋は失敗が家宝じゃんね。痛みをしらなかんらぁ。でも人を疑ってばっかでは寂しいでなぁ」。悦子さんは誰にともなく呟いた。

この世は所詮、持ちつ持たれつ。客との間を分かつ一枚のガラスは、この世を必死に生き抜く庶民の辛苦を、どれだけ見守って来たことだろう。
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幸いにも(?)、質屋さんとはご縁はありませんでしたが、子供の頃、近所に質屋さんがあり、子供心に「あれは、何やさん?」と思っていました。
質屋の暖簾って、子ども心にも、ウカウカと潜れないような、異種独特な大人の世界観がありましたねぇ。
おはようございます。
質屋さんのお話ですね。
・質屋さんは、あまり見ませんね。
・私は、質屋さんに、行った事有りませんが、リサイクルショップで、金券を、買った事有ります。
・明治末期からやっている質屋老舗ですね。
・佐野さん 質屋の修行大変でしたね。
失敗して覚えていったのですね。
・この世は所詮、持ちつ持たれつ。その通りですね。
・お金が必要な時は、高利貸を、使わずに庶民は、質屋さんを利用したのですね。
そうなんですよね〜
人を信じられなくなると 自分の心がガサガサしてくるんです。
そんな自分が嫌にもなります。
「この世は所詮持ちつ持たれつ…」
お互い様なんですけどね…
ps. 昨日からブログ内の写真が写らなくなってしまいました(泣)
写真が見れないのは、ぼくのどうやら失策の様です。
今夜からアップされるブログ記事の写真は、きっとご覧いただけると思います。
失礼いたしました。
質屋さん見かけなくなりましたねぇ~
質屋さんと言うよりも某店の「かんてい・・」を利用
要らない物を売って換金
「質流れ」もう死語でしょうか?
もし、私の恋バナが「質屋さん」で扱ってくれるのなら
1話¥30000くらいで売るんだけどなぁ~!
そりゃあ無理な相談ってもんでしょう!
質屋~
勤労学生の時
ゲームセンターで偽物をとって質屋に持って行ったら
門前ばらいされたな(^_^;)
そりゃあ、相手はプロの目利きなんだもの!
やっぱり~