今日の「天職人」は、愛知県蒲郡市の、「洋服仕立て職人」。
家は魔法の館やで みんな嘘や言うけれど 入り口潜るただのおっさん 帰りは気取ったモボになる 家の父さん魔法使いやで 唱える呪文教えたろか シャキシャキ鋏の音がして カシャカシャミシンが音立てる
愛知県蒲郡市で昭和9(1934)年創業のノサキ洋服、二代目の野崎龍也さんを訪ねた。

「大正末から昭和初期にかけてのモボ(モダンボーイ)は、東京銀座のお話し。ここらぁじゃ、三つ揃えの背広に足袋、それに下駄履きだったようです」。和洋折衷が織り成す、当時の不思議な光景が浮かんだ。

達也さんは、戦後間もない昭和21(1946)年に誕生。「敗戦で物資も乏しく、当時は進駐軍払い下げのシーツでYシャツを誂え、軍服をスーツに仕立て直した」とか。羅紗切鋏(らしゃぎりばさみ)の音と、足踏みミシンが発する規則的な音を、子守歌代わりに成長した。高校を出ると上京。夜間大学に通いながら東京洋服学校へ通い、裁断、縫製、ミシンかけを学んだ。アイビールック隆盛の東京暮らしを身に付け、龍也さんは意気揚々と帰郷した。しかし中卒で住み込み、先代の下で修業を続けて来た同世代の職人には、とても太刀打ち出来なかった。

「職人が寝静まるのを待って作業場へ。先輩たちの仕立て方を、懐中電灯を点けて盗み見るんです。気付かれないよう、物音を立てずにトイレにも行かず。でも翌朝になると『昨日は夜鼠がうるさかったなぁ』って、先輩に言われて」。
仕立て職人への道程は、スラックスに2~3年。ベストに2年。上着に3~5年を費やし、やっとモーニングやタキシード、燕尾服へと腕を上げる。

まず客の体型を目で測り、好みの色を見極める。「だって今着ている服を見ればわかります。そもそも大嫌いな色は絶対に入っていませんから」。龍也さんがメジャーを使うのは、あくまで目測を確認するためだ。服地が決まれば裁断、仮縫いへ。ここまでの作業は十分の一。
着せ付け後は、仮縫いを解いて分解し、お客の身体的な特徴に応じて補正を加え縫製へ。仕上がりまで二週間。射るような職人の眼に晒され、金糸でモボの影絵を織り込んだ見返しのネーミングタグが、職人の誇りと共に縫い込まれる。

今尚三代に渡って続く客も多い。「良い服を着れば、心も福をまとう」。龍也さんは、年代物の鋏を取り出しそう呟いた。代々親方だけに持つことが許される、手打ちの羅紗切鋏だ。重厚な面構えの鋏は、七十年(平成十五年四月十五日時点)におよぶダンディズムの歴史を宿し、浪漫を秘め鈍色の光を放った。

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おはようございます。
洋服の仕立て職人さんのお話ですね。
・私は、洋服の仕立て職人さんに、作業ズボンの裾あげを、して貰った事有ります。流石プロだと思いました。綺麗に裾上げ出来ていました。 すごいと思いました。私は、ズボンの裾上げが、出来ません。
・私は、オーダーメイドのスーツ(服)を、持っていません。オーダーメイドの服は高いですね。
・野崎さん先輩の技を、盗んで覚えたのですね。修行大変でしたね。仕立て職人さんの修行は、長いですね。
・野崎さんのお店で、オーダーメイドして貰ったお客様は、リピーターがいるのでしょうね。
(スーツの写真) 綺麗ですね。
足踏みミシン、我が家にも有りました。
子供の頃、「出来ないからだめっ!」って言う母を何とか説き伏せて、足踏みミシンに挑戦。結局、糸を絡ませて母から叱られる。その繰り返しで、母に叱られながらも、上手く出来た時はちょっと大人に。
小学校の入学式に着ていく服を、近所の人に作って貰った事があります。
仮縫いの時に「針が刺さるといけないから動かないでね」って言われて、ジ〜っと。「息は止めなくていいんだよ」(笑)
出来上がった服を着た時は、凄く嬉しかったです。まるで魔法のよう(*^。^*)
わが家にも足踏みミシンがありました。
小学校の高学年の頃は、カブスカウトの班旗をミシンで縫ったことがありましたが・・・。
実にお粗末な仕上りとなってしまいました。
数年前 まだ娘がモード学園に通っていた頃 宿題の作品を作る為に 娘と一緒に名古屋の大塚屋によく行ってました。
そこで目を奪われたのが 定員さんが裁断鋏を使って 広〜い布地をなんの迷いもなく一気に切る場面です。
サーっていう音もだけど 表情を変えず鋏を使ってる定員さんがカッコいいんですよ(笑)
いいなぁ〜!世界でたった一着自分だけのスーツ‼︎ 身体にフィットして 愛着も湧きますよね ( ◠‿◠ )
でも そういうお店って最近見かけなくなりました。
そうなんですよね。
ぼくも死ぬまでに一着で良いので、テーラーメイドのスーツを作りたいものです。
そうそう、一着で良いのでテーラーメイドスーツが欲しいと思います。
でもなぁ~⤴
この歳になっても!まだ、成長している部位があるので・・・
無理だわなぁ~!
オカダさんは体系が若い頃と変わらないようですから
イイですねぇ⤴
中高年のアイドルは体系維持にも気を遣う・・
そこが、オカダさんと私との違いかぁ~!
いやいや、ぼくも結構体重が乱高下する方ですから、若い頃のままの体型をず~っと維持しているわけではありません。
でもこれからは、色んな意味で重力に逆らえぬお年頃になりますから、やっぱり気にはしていたいと思っています。
セピア色のアルバムを見ていると 幼少の頃の たま〰️ のお出かけは 母と私達姉妹が同じ生地のお揃いのワンピースでした が、 ぜ〰️んぜん 可愛らしくないじみ〰️な 柄でした (・。・)
多分 父親と同じ テーラー ○○ と ゆう お髭のおじさんに作って貰っていたからなんでしょうね 〰️ ∵
可愛い柄のワンピース着たかった 〰️
私はミシンで、何かを作っている時間が
好きですねぇ 無心になれるから‼️‼️
今日は マスクを作りました 。
マスクをする時間が増え 頬骨回りに痒み 湿疹 かぶれてしまったので 漸く手に入った ダブルガーゼで 作ってみました。 大丈夫かな 〰️ (;´Д`)
( 子供達のマスクを作る方が増え ダブルガーゼの生地がずっと 売り切れていたんですよ ! 遊んでいる時もマスクしないといけないなんて 可哀想ですね )
テーラーメイドのワンピースなんて、お嬢様じゃないですか!
ご両親の想いが感じられますね。
「天職一芸〜あの日のPoem45」
「洋服仕立て職人」
子供の頃にあった国道沿いのテーラー屋さんの事も思い出していました。
そうですね。持っている洋服の色合わせでは困らないですもんね。そして写真の生地の中で好きな色を見つけて楽しませていただきました。
ぼくもいつかは、テーラーメイドを!
ああっ、でもその前に残り時間が・・・(笑)
こんばんは 天職一芸〜あの日のPoem45を拝見させて頂いて 小学校の校門を出て直ぐに 道草してたことを思い出しました。同級生のお父さんがやってみえる 紳士服の仕立屋さんで、ガラス越しに 紳士トルソーに掛けてあり「いつ仕上がるのかなぁ?」と 見とれてました。そっかぁ〜魔法使い!
凄いですよね、職人さんの腕前って!