「奇跡の泪」

「奇跡」。

この言葉は、いろんな場所で耳にしたりする機会があります。例えば、「9回裏2アウトからの奇跡的な逆転ホームランだった」とか、「あんな大事故に遭って、よく奇跡的にそれだけのかすり傷で済んだ」とか。

多くの場合、奇跡が起きたかと思えるほど驚いたと、そんな感嘆の意味合いを重ね合わせ、奇跡ではないものの、奇跡のような事を「奇跡『的』」と言ったりするものです。

では、奇跡の正体っていったいどんなものなのでしょうか?

到底叶いっこないような夢や希望、そして祈りが、あたかも神の思し召しであるかの様に、ふと自分の前に出現することだって、立派な奇跡に違いありません。

どんなに恐れ多い夢や希望、そして祈りであったにせよ、端っから「そんなもの叶いっこ無いって」と諦めてしまっていては、神々だってそんな人間に見向きはしないものでは無いでしょうか?

例えどんなに恐れ多い夢や希望、そして祈りであっても、それがどんなに遠い道程であったにせよ、「奇跡」を信じて直向きに生き続けなければ、神の思し召しに与れるスタートラインにも立てないってことではないでしょうか?

しかしそれだけ直向きに「奇跡」を信じ生き続けたからと言って、必ずしも絶対に「奇跡」が訪れるとは、何の保証もない筈です。

でもだからと言って、端っから諦めていては、夢や希望や祈りに一歩たりとも近付けはしないものです。

だったらどんな夢や希望に祈りであったにせよ、ぼくは「奇跡」を信じて、怠け者ながらも自分で自分の尻を叩きながらでも、もう一歩、もう一歩と、日々を送りたいと思います。

「奇跡」の出現は、少なくともそうして「奇跡」を信じ続け、決して怯む事無く、ただひたすら前を向いて突き進む者にしか、ご褒美の様に現れてくれないものだと、ぼくはそう信じています。

傍から見ればそれがどんなにちっぽけな「奇跡」であっても、それを信じて願い続けた者にとっては、途方も無く莫大な「奇跡」であるに違いないものではないでしょうか?

ましてや「奇跡」は、貧富貴賤を問わず、何人にだって訪れるものではないでしょうか?少なくとも「奇跡」を信じ、一歩前へと踏み出そうとする、全ての者たちにその機会は平等に存在すると信じます。

今日の弾き語りは「奇跡の泪」。この曲もCD化されておりませんので、ぼくの拙いギターと唄でお聴きください。そして皆様にも、素敵な奇跡が訪れますようにと、願いを込めて唄わせていただきます。

「奇跡の泪」

詩・曲・唄/オカダミノル

君が傷付いても ぼくはずっと側に居るよ

擦り切れた心の傷が 癒えるまで手を添えよう

そんなに自分だけを 責めて見ても苦しむだけ

君らしい笑顔が戻る その日まで見届けよう

 奇跡を祈り君が君を信じて うつむかないで歩いてごらん

 君のすべてを受け止めようと まだ見ぬ人が待ってるはず

 奇跡の泪流すだけ流したら 振り向かないで歩いてごらん

 きっと君の足元には まだ見ぬ花がそっと揺れてるはずさ

君が病んだ時も ぼくはずっと側に居るよ

耐え切れぬ痛みならぼくが その全て引き受けよう

夜毎星に祈ろう 朝まででも月を仰ぎ

この世の遍く神に この命引き換えても

 奇跡を祈ろう君よ生まれ代われと もう誰からも邪魔などさせない

 君のすべてを受け止められる ぼくが居る事気付いて欲しい

 奇跡の泪濡れた頬渇いたら 振り向かないで歩いてみよう

 ぼくは君の心の杖に 君はぼくの明日への勇気だから

 奇跡はいつも気付かないだけのこと 信じる事が出来ればいい

 君と二人で生きられたら 月並みだけど何んにもいらない

 奇跡の泪濡れた頬渇いたら 振り向かないで歩いてゆこう

 ぼくは君の心の杖に 君はぼくの明日への勇気だから

さあ、どんな夢や希望に祈りであれ、見返りを求めず「奇跡が起きる」と信じ、自分だけは自分をとことん信じてやって、明日に向かって生きて見ましょうよ。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「絣のモンペ!」。今朝ウォーキングの途中、向こうからやって来る自転車の小洒落たオバチャンに目が留まりました。自転車も普通のママチャリですし、小洒落たオバチャンの上着は、春めいたパステルカラーのセーターに厚手のブルゾン。髪はブロンズ色で、大きめのサングラス。それだけだったらさほど驚かなかったはずですが、下のパンツに目が留まったのです。オバチャンのパンツは、何と何と懐かしい絣のモンペだったのです。絣のモンペのパンツに、ショートブーツと来た日にゃあ、ちょっとビックリ!しかしそれが全然違和感が無く、むしろ良く似合っておいででした。なかなか目から鱗のコーディネートでした。そう言えば、小洒落たオバチャンとは比べ物になりませんが、家のお母ちゃんもモンペをこよなく愛して、どこに行くにもモンペ姿でした。とは言え、さすがにバスに乗ってのお出かけの時には、違っていましたが・・・。でも小学校の授業参観の時くらいは、モンペ姿だった気がいたします。令和の今の時代、なかなか見かけなくなったモンペ。ついお母ちゃんを思い出してしまったものです。皆様のお宅はいかがでしたでしょうか?

今回はそんな、『絣のモンペ!』。皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「奇跡の泪」」への15件のフィードバック

  1. 今晩は。
    ・昨日2/24(月)動画(奇跡の泪 弾き語り)を、見ました。素晴らしかったです。
    ・奇跡の泪 弾き語り良かったです。
    私は、動画を、見れて嬉しかったです。
    奇跡の泪 好きな曲です。歌詞が良いですね。 (泪を流し終わったら前を向いて進みましょうと励ましてくれる曲ですね。)
    ・落ち込んだ時に励ましてくれる曲ですね。 元気になる曲ですね。
    ・私は、2/8(土)の時から仕事の事(人材不足)で、落ち込んで居たのですが少しずつ回復しています。
    ・私は、動画を、見て元気を、貰いました。
    ・私は、オカダミノルさんの歌で元気を、貰っています。
    ・オカダミノルさんは、ウォーキングの時に、お洒落なオバチャンを、見たのですね。
    ・(テーマ)絣のモンペ
    考えて見ました。
    すいません。私は、絣のモンペを、着ている方を、見た事有りません。
    TV(映画等)か写真で、絣のモンペを、見た事有ります。
    映画(火垂るの墓,この世界の片隅に)で、モンペを、見た事有ります。私は、印象に残っています。
    この字は、絣(かすり)って読むのですね。 勉強になりました。
    私は、電子辞書で調べました。

  2. 今晩は。
    オカダミノルさんの言った通り奇跡を、信じてもう一歩もう一歩と日々を、送らないと駄目ですね。
    自分のペースで一寸ずつでも良いので一歩ずつ進まないと駄目ですね。

  3. 私にとっての奇跡とは?
    長男が3歳を過ぎた頃 私の事をなんとな〜くお母さんと認識し始め 5歳頃に初めて「おかか」と呼ばれ…。
    正しく奇跡の瞬間でしたね。
    長男と次男が養護学校に入学し 小中高二人分で14年間。出会った先生の数は数え切れないぐらい。そして その先生方全てが私にとっての宝物。
    息子達が健常児だったら 決して出会う事がなかったわけですから 14年間奇跡の連続だったのかも知れません。
    その奇跡の後には 息子達の成長という奇跡が!( ◠‿◠ )
    それ以外にも きっと出会う事はなかったであろう方々の数も半端なく…
    私にとっての奇跡は 人そのものです。
    出逢えた奇跡の向こうには 何が待っているのかわからないけど なんとかなると想いながら 次に起こる奇跡を信じてる私です(笑)
    ps. ラジオの向こうにいたオカダさんに出逢えた事も私にとっての奇跡ですよ!

    1. 奇跡はお子さんの成長記録のアルバムのようですね。
      でねそれを、奇跡と言える夢ちゃんに敬意を表します。

  4. 奇跡=自分が生まれた事。生きている事が当たり前のような顔をするときがあるので気をつけていきたいです。奇跡をくれた両親に感謝、感謝。
    モンペをはいて学校へ行った事が一度だけあります。母は何を勘違いしたのか「今日、これはいてけ」と言われかなり抵抗しましたがはいて行きました。どんな格好になったかは想像におまかせしますがこのときから羞恥心がなくなったのは事実です(笑)

    1. 奇跡は、今こうして生かされていること自体が、何より奇跡そのものなんですものね。
      ヒロちゃんのモンペ姿、見たかったなぁ~っ!

  5. 懐かしい〜!と言えるほど 絣のモンペを直接見たことがなく…
    母は 私が小さい頃から保険の外交員だったので ほとんど家にいなくて。母親が着てた洋服の記憶が…(泣)
    今のモンペはお洒落な物も多いから 気楽に着る事が出来ますよ。動きやすそうですからね!部屋着にしてみようかな⁈

    1. そう言えば昔、イーデスハンソンさんとご一緒した事がありました。
      日本をこよなく愛され、自宅ではモンペを愛用されていると伺ったことがありました。

  6. 昨夜、オカダさんのブログを読んでから眠りに着きました。
    そしたら、な、な、何と、夢の中にオカダさんが・・・。しかも、その夢を覚えている。  奇跡だぁ〜‼
    私にとって、奇跡はオカダさん絡みが大きい。感謝です(*_*)

  7. こんにちは。奇跡を、考えて見ました。
    私が生まれて仏様(神様)に、生かされている事です。
    健康に産んでくれた両親に感謝しています。
    大病(病気)で、入院しなかった事(健康だった事です。) 健康だったから仕事に行ける事が、奇跡です。
    ラジオのリスナーさん,オカダミノルさんに会えた事が奇跡です。
    (テーマ)絣のモンペ
    私は、モンペを、着た事有りません。考えたのですが記憶に無いのです。

  8. どこのドラッグストアやお店へ行っても、マスクや除菌用品のコーナーが空になっています!
    新型コロナウイルスが日に日に身近に迫ってきた感じがして、不安感がつのります(-_-;)
    東京オリンピックへの影響が心配されます。
    オカダさんが願いを込めて唄ってくださる「奇跡の泪」を聴きました♪
    いつの日か本当にステキな奇跡が訪れることを信じたいと思います
    (^o^)
    絣のもんぺは、主人の母が農作業するときによく着ていました!
    私も頭を手拭いでおおい、もんぺを履いて、手伝ったことがあります★
    通気性がよく、活動しやすく理にかなっています!

    1. そうですよねぇ。
      ぼくのお母ちゃんも重宝がって、何かにつけモンペ姿でした。
      奇跡に向かって、明日もまた一歩!

  9. ※ モンペ ※
    幼少の頃 母も叔母も もんぺを履いて毎日 開店前 店の掃除をしていました。
    もんぺを履き ほっかぶりをしてハタキでパタパタ やってましたね~
    何十枚も 畳を乾拭きするにはモンペが 一番 動きやす~ い ん でしょうねぇ
    (#^.^#)

    埃が舞い上がるので 今 ハタキを使ってお掃除するお宅はないでしょうね ∵

    1. 働き者のお母様だったんですねぇ。
      開店前のモンペから、営業用のお着物に着替えられ、女将さん風に変身されお店に出られたんでしょうね。

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