「天職一芸~あの日のPoem 12」

今日の「天職人」は、三重県桑名市の、「鋳物師(いもじ)」。

ゴンチキチンと鉦の音響く 天下奇祭の石取(いしどり)祭揃い半纏撞木打ち振り 鋳物師の里に夏の夜耽る     ゴンチキチンの鉦釣られて 人の心と草木も踊る     町屋川原の撫子さえも 昼咲かぬのに鉦の夜を待つ

桑名市で江戸末期から続く、中川梵鐘、六代目の中川正和さんを訪ねた。

参考写真

鋳物師修業は、百日ぶきと呼ばれる鋳型造りに始まり、踏鞴(たたら)と甑炉(こしきろ)で、千度に熱した真っ赤な鉄を吹く、その繰り返し。

「暇乞いして座を立とうとした者が、小僧の撞いた鐘の音にもう一度座りなおす」。中川さんはそんな梵鐘の音を目指した。

中川さんの言葉を借りれば、よい梵鐘ほど「当り、送り、返し、振り」と、余韻と抑揚を含んでなるそうだ。

一服の茶を啜りながら、そんな梵鐘の音を何も考えず、聴いて見たいものだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 12」」への8件のフィードバック

  1. おはようございます。鋳物師さんの中川さんのお話ですね。
    鋳物師さんが、見えるのですね。
    職人さんの後継ぎがいないと大変ですね。 鐘を、作る職人さんですね。修行が大変ですね。
    私も一服のお茶何にも考えすに梵鐘の音を、聞いて見たいです。お寺の鐘の音何か良いですね。

  2. 私の子供の頃は、町のあちらこちらに腕の良い職人さんがみえたものです。
    学校帰りに、その職場を覗き込み、職人さんたちと色んな話をしました。

    1. ぼくも子供の頃、リヤカーを曳いて鋳掛屋のおっちゃんがやって来ると、付いて回ってその作業に見入ったものです。

  3. 梵鐘の余韻と抑揚…言われてみれば そうですよね。
    ゴ〜ン ゴ〜ン
    フッと無の状態になるような感覚。不思議です。
    一度 心静めて聴いてみたいです。
    小学生の頃 お寺さんでそろばんを習ったり ラジオ体操をしたり お経を習ったり…と毎日行ってたので 特別な物ではなく とても身近な物だったんですけどね。

    1. そうなんですよねぇ。
      昔の寺は、敷居も塀も低かったですもの。
      ぼくも寺の本堂で、傷痍軍人の片足を敵国に忘れて来られたと言う、おっかない風貌ながらとてもユーモラスな先生に、習字を習ったものです。
      習字の後、バスを待つ間、たこ焼きを買ってもらえるのがお目当てで!

      1. え〜
        習字を習ったご褒美にたこ焼きを買ってもらえるなんて…
        羨まし〜い( ◠‿◠ )
        私はいつも トボトボと夜道を歩いて帰ってました。
        何度も後ろを振り返りながら(泣)

  4. こんばんは
    見えているものがすへではなく出来上がりの梵鐘の音。定規で測って出来るものではないのでしょうね。
    もの造りの醍醐味と言えるかと思います。

    鋳物師にはとてもなれませんが何か私にもこれから出来るもの造りを探してみたくなりました。

    1. 確かに、梵鐘とかの作品は、自分がこの世を去っても、壊されぬ限り永遠に遺りますものねぇ。

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