「After you」

これはイメージフォトです。「お姉ちゃんが弟に、まるでAfter youとおませに言っているようなカットじゃありませんか?

さて今日は、まだぼくがYou Tubeに弾き語りの画像を公開できなかった、9月17日に歌詞だけご紹介いたしました、「After you」を弾き語らせていただきます。

「After you」

詩・曲・歌/オカダ ミノル

After you どうぞ君がお先に

ぼくは君の後を 追い越さぬように 見守るだけ

After you もしも君がそこに

蹲(うずくま)るならぼくが 直ぐに駆け付けて 手を差し出そう

 哀しみ詰めた 重い荷物は

 もう捨て去って 心開いて

After you どうぞ君がお先に

君はぼくの心を 導く一筋の 燈火

After you 君が道に迷えば

ぼくは風を集めて 草木を靡(なび)かせ 君を導こう

After you 君の行く先を

嵐が塞(ふさ)ごうとも ぼくは壁となり 立ちはだかろう

 鈍色(にびいろ)した 重い雲でも

 明日になれば 流れ去ってゆく

After you 君を見守ろう

ぼくの命の灯が 消え入るその日の 来るまで

After youぼくが 前を行くなら

君がはぐれて しまわないだろうか

After you だから君が先に

君はぼくの心を 導く一筋の 燈火

ラグビーワールドカップは中々の盛り上がりでした。しかし残念ながら、密かに応援していたNZのオールブラックスがイングランドに敗れて、いささか意気消沈でした。

今日の「After you」ですが、良く使われる時は、エレベーターをたまたま乗り合わせた人と、同じフロアーで降りる時や、道を譲ったりするときに使われる、何ともなごめる言葉で、ぼくも好きなフレーズの一つです。

さてオールブラックスの本拠地、ニュージーランドですが、ぼくはご縁があって、1980年代終盤から24~25回、9,000㌔彼方のニュージーランドを往復をしたものです。絶滅に瀕した飛べない鳥「カカポ」の保護活動プロジェクト。県立岐阜盲学校に明治40(1907)年、当時の英貨300ポンドと言う巨額な寄付金を寄贈した、ニュージーランドの北島ホークスベイのテアウテで暮らした、盲目の女性「ミス・アナ・リディア・ウイリアムス」さんのお墓を詣で、玄孫を訪ねたり。TVのドキュメンタリーなどです。

ニュージーランドのウエリントンやオークランドの、町中のカフェやカジュアルレストラン、それに雑貨屋用品店などのお店に入ると、店員さんから“What are you after?” 何て、フレンドリーに聞かれたりするものです。えっ? なにそれ? What are you after? って?と、最初の頃は直ぐに理解できませんでした。当時NZ在住の、大分生まれのコーディネーター 一雄さんに教えていただき、やっと納得できました。What are you after?とは、「あなたは何の後で?」ではなく、「何をご注文ですか?」とか「何をお探しですか?」なんだそうです。特に、NZやオーストラリアでは、フレンドリーに使われる言葉なんだそうです。

本題の「どうぞお先に」と言う意味の「After you」は、その言葉自体を自然体で何気なく使われると、何だか嬉しい気になると同時に、そう言って先を譲って下さった方が、とても成熟した大人に思えるものです。特にジェントルマンと呼ばれる、英国紳士などの紳士たる嗜みのように。しかしどうにもこの「After you」の概念。昭和のバブル時代以前までは、まだこの国にも「After you」とまでは言わぬまでも、相手に先を譲ったり、思い遣る精神と言うものが、どこにもかしこにも残っていた気がいたします。しかしそれ以降は・・・。そんなバブルが幕を開けた頃、色んなジャンルの企画に携わることがあり、ぼくは良く「やがて日本人が日本人を嫌いになる日が来るから、何とかしなきゃキャンペーンなんぞを今こそ展開すべきだ!」なんて、周りに言って笑われたのを思い出しました。まあ当然当時は、誰も相手にしてくれませんでしたが(苦笑)そしてバブルが弾け、大丈夫だった筈の、揺ぎ無いものさえ突然大丈夫ではなくなり、無差別な地下鉄サリン事件などと言った事件が勃発し、日本人が日本人に不信感を抱く時代へと、突入していった気がいたします。そして平成の世も終わり、令和の新時代となりました。30年以上前に抱いた、「日本人が日本人を嫌いになる日が来る」のではなく、既にそんな心の浸食活動が始まっているのではないでしょうか?かつて父や母が、必死になって生きた時代の、この国がそうであったように、「♪ボロは着てても心の錦♪」のあの名曲の様に、せめて心だけでも成熟した、大人の紳士淑女になろうじゃありませんか!いつでも気負わずに「After you」と、さりげなく言えるように!

今日はCDから、「All for you」をもう一曲お聴きいただこうと思います。この「All for you」も、まだCDの音源をブログに公開できなかった、10月1日に弾き語としてYou Tubeで公開させていただいておりました。しかしあの「ダーダダ、ダッダー」のリズムは弾き語りで表現できませんので、ぜひともCD版の「All for you」を併せてお聞きいただければ幸いです。

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「吊り手水(ちょうず)=吊り下げ式手洗器」。家のボットン便所の片隅の柱に、父が打ち付けた五寸釘に、ブリキ製の「吊り手水」がぶら下がり、その下に滴る水を受けるバケツが置いてあったものです。そしてそのまた近くには、父が打ち付けた五寸釘に衣文(えもん)掛け(家では木製のハンガーを、父も母も「衣文掛け」と最後の最後まで呼んでおりました)が吊り下げられ、酒屋の屋号の入ったような日本手拭いが掛けられていたものです。昭和半ばの時代は、手拭きはブランド物の高級なタオルなんかじゃなく、そこら辺の商店からいただいた日本手拭いと、わが家のように押しも押されもせぬ、立派な庶民の標本のような家庭では、そう相場は決まっていたものです。

今回はそんな、『吊り手水(ちょうず)=吊り下げ式手洗器』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「After you」」への22件のフィードバック

  1. 今晩は。
    アフターユーの歌詞良いですね。私の好きな歌です。
    (アフターユー)私もエレベーターでよく使われてる言葉,道を、譲ったりする時の言葉好きです。
    オカダミノルさん ラグビーワールドカップ NZ戦オールブラックスが負けたのは残念ですね。
    カカポの保護プロジェクト,岐阜とNZが交流があったのですね。ミス・アナ・リディア・ウィリアミズさんが、岐阜の盲学校にお金を、寄付したのですね。
    All for youが、聞けるのが嬉しいです。動画(アフターユー)を、見ます。CDの音源を、聞きます。
    すいません。吊り手水(ちょうず)は、分かりません。実際に見た事が、有りません。

  2. 今晩は。動画(アフターユーの弾き語り)を、見ました。All for youのCDの音源を、聞きました。
    All for youのCDの音源と動画を、両方見れて良かったです。私は、嬉しかったです。

  3. 人生色々と過ごした私にとってやっと笑ながら言える言葉かもしれません「お先にどうぞ」と、今の幸せを噛み締める事ができる言葉かもしれません。
    さて話は替わり「昭和の逸品」に関して「吊り手水」はありましたよ。使った事あるよ。冬になり雪が降り中の水が氷ってしまいしばらくつかえなくなり、解かそうと思いお湯をかけてプラスチック(ブリキは知りません)が割れて使えなくなったように思います。割れたとこにテープがベタベタに貼って補修した記憶があります。

    1. わかります、わかります。
      家もヒロちゃん家程とは違うでしょうが、手水の水の表面に寒い冬の朝など、薄氷が張っていたものでした。
      だって木造平屋造りのわが家なんて、隙間だらけで北風がピューピューピューピュー吹きまくってましたもの(笑)

  4. 「お先にどうぞ」
    時々この言葉を使う時はあるけど 自分の心が少しでもギスギスしてると 出てこないですね。周りが見えてるはずなのに 自分が見ようとしないから…
    でもこの言葉は 自分の心も相手の心も優しくしてくれる言葉のような気がします。
    さて 昭和懐かしい逸品の吊り手水
    熊本の祖父母の家にありました。吊り手水の思い出よりも 私はその古い家のトイレに行く時 途中から薄暗くなって少しひんやりして 壁に挟まれた細い通路を歩かなきゃいけなかったから怖くって怖くって。その思い出のほうが強烈に残ってます(笑)

    1. ぼくの従妹のお姉ちゃん家のトイレも、薄暗い場所にポツンとあり、お姉ちゃん家に泊まった時は、夜中でもお姉ちゃんを起こして、トイレについてきてもらっていたものです。
      ぼくも夢ちゃんと同じです。
      心がささくれ立っていると、ついつい「After you」と言えない時もあります。
      もっと心が成熟するには、時間が必要かもしれません。って、残り時間の方が心配かあ(爆笑)

  5. After you
    素晴らしい歌ですね。
    教えて頂いたAfter you の気持ちで歌詞を辿りながら聞いていると一層和やかな気持ちになります。

    今回も素敵な動画をありがとうございます。

  6. おかださんこんにちは。
    吊り手水って言うのですね。
    私は25年ほど前に見たことあります。
    今で言うママ友の家に行った時に
    御手洗いを借りた時に掛かってました。
    飾りでしたが。
    何だろうと思っていたのが、
    ブログ読ませてもらいスッキリです❗
    先日の唐草模様の風呂敷の流れで(笑)
    ある日テレビで居酒屋の人が、
    白黒の唐草模様のTシャツ着てて、
    見た息子が泥棒の服じゃん❗と(笑)
    我が家に泥棒の風呂敷あるよ❗で
    大笑いに☺

    1. そうですよね。
      そんな時代を等身大で知らない世代にとっちゃ、何物かしらと思えますよね。

  7. After you
    良いですね。今日は田舎から都会の岐阜市に西方面から徹明通を通って柳ヶ瀬方面に抜けましたが、二車線では「ワシがワシが」とチェースやっとって、オジイのワシには怖かったです。大都会の岐阜市でこんなんやったら東京都内はどんなもんなのでしょうか。文明の恩恵にあずかりながら、社会のギスギス感が拭えません。で、吊り手水、ウチにもありました。水洗トイレにする以前のことでした。カビが生えた濡れた日本手拭いが、タオル掛けに掛けたって。ウチの手洗いは別棟になっとって用をたしに行く際は外へ出ないといけませんでした。冬とか雨の時、もちろん夜中も難儀でした。

    1. 仰る通りが、昭和の味わいであった気がします。
      今となっては、そんな不便極まりない事の一つ一つが、歳を重ねたせいか愛おしくてなりません。

  8. いつも素敵な歌をありがとうございます。
    衣文掛けってハンガーのことだったんですね。
    初耳でした。

    1. これまたありがとうございます。
      やっぱり「衣文掛け」をご存知ないのは、お若い証ですねぇ(トホホ)

  9. ライブにバスツアーと次々と企画され、オカダさんのエネルギッシュな行動力に感心します
    ファンとのふれあいをとても大切にされますね❗
    ブログもこまめにアップされて、知らないことが多くてついていくのがやっとの私です
    毎週火曜日のギターの弾き語りの動画は、とても楽しみです♪
    以前の深夜放送のラジオよりも身近に感じます☺
    「After you 」は相手のことを思いやり気遣う素敵な言葉ですね❗

    1. 本当に本当に、有難い思いです。
      ぼくは、以前の深夜番組のリスナーさん、そしてこの拙いブログをご訪問下さる皆さんの一言が、大きな心の支えなのです。

  10. 今晩は。私の祖母が衣紋掛けと言ってました。(私が、レインコートが濡れた時に祖母が、衣紋掛けに掛けておきなさいと言ってました。)
    衣紋掛けは、ハンガーの事だったのですね。

    1. 衣文掛け=ハンガーでは無いかもしれません。
      本来は、着物を掛けて置く衣桁のことを指すようですが、家の戦前生まれの両親は、木製のハンガーを衣文掛けと呼んでいました。

  11. 「昭和の懐かしい逸品」
    釣り手水 、 物にはちゃんと名前がついていたのですね。鮮明に思い出せるのに名前は忘れていました。ありがとうございます。学校に行く道すがらの金物屋さんの店先には青い釣り手水の商品がかかっていました。家では縁側を歩いたほぼ外で手を洗い星を眺めるのが好きでした。だいたい「寒っ!」とゆうほど眺めていました。

    リサイタルの時の後ろの映像を忘れていました。いい写真ですね。
    ありがとうござます。

    1. 中々子どもの頃の残像は残っていても、それが果たして全国的に何というのだろうか、わからないものですよね。

      また何時の日か、リサイタルが出来るように、ぼくも頑張ります!

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