
「壬生義士伝」の中で、遠い故郷を主人公の吉村貫一郎が偲ぶシーンで、何度となく登場する「石割桜」。南部の武士は、石を割って咲く石割桜の様であれと、藩校の助教を務めながら、子どもたちに教え諭したものです。
ついに、ついに、南部盛岡の石割桜が目の前に!何ものにも屈することも無く、己が信念を貫き通す南部武士のような、気高いその姿に、心が震え出し感極まってしまったものです。

観光パンフレットによれば、樹齢360年以上と言われるエドヒガンザクラで、毎年4月中旬にきれいな花を咲かせるそうです。一度は満開の石割桜に、お目に掛かりたいものです。

石を割ってまでも枝を伸ばし咲く石割桜に、ぼくもあやかりたいものです。とは言え、生来の怠け者ですから、これがいささか困った点ですが・・・。

石割桜に逢えただけでも、今回の『穢れ落としの旅』の大いなる意味があったのだと痛感したものです。

南部盛岡の皆さんにとって、この「石割桜」は、故郷の魂なのかもしれないとさえ思えたものです。
お陰様でぼくも、石割桜から不屈の魂の欠片を、頂戴できたようなそんな気がいたします。
おはようございます。
(石割桜)石を割ってでも咲く石割桜不屈の精神すごいですね。私も不屈の精神欲しいです。
オカダミノルさん石割桜を、見れて良かったですね。穢れを落とす事が出来て良かったですね。
樹齢360年すごいですね。石割桜大事にされていたのですね。どこから見ても石割桜の不屈さが感じられますね。ブログで石割桜を、見れて良かったです。4月に石割桜が咲く時期なのですね。桜が咲いたら綺麗でしょうね。
おはようございます。オカダミノルさん石割桜から不屈の魂の欠片を、頂けて良かったです。南部盛岡の皆さんにとっては石割桜は、故郷の魂ですね。
自然の強さ…
この石割桜の力強さ…
そこにいるだけで 力をいただけるような感じがしますよね。
一生懸命さ…みたいな教えも。
何事にもぶれない芯の強さがある人でありたいなぁ〜と教えていただいた気がします。
石割桜の花が咲いた姿 この目で見てみたいです。
全国各地に数多ある桜の中でも、ぼくには一際際立って見えるのではないかと、そう思えてなりません。
満開の石割桜を、本当にゆったりと眺めたいものです。
もう少し厳しい場所にあるのかと思っていました。にぎわしい街中に有るとは考えもつきませんでした。しかし300年近く生き抜いてきた生命の力強さを感じずにはいられません。満開の桜を眺めてみたいものです。
もともと石割桜の周りに町があったわけでは無く、南部盛岡城のすぐ北側に位置しているため、そこに町が形成されていったのでしょう。
まぁ~驚いた!こんな不思議な事もあるのか!びっくり!
雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)って事でしょうか?
何事も我慢、辛抱、いつかは、花も咲く
わたしゃ~!せっかちで我慢も辛抱も出来んなぁ~~!
雨垂れが石を穿つまでには、ぼくら人間の一生なんて、ほんの一瞬でしかないって感じさせられますねぇ。
それにしても、ヤマもモさんらしからぬ、文学的な表現の方が、ぼくは腰を抜かしそうでした。
爽やかなオカダさん こんにちは。石割桜のブログありがとうございます。オカダさんの楽曲 桜風が聞こえて参りました。ありがとうございます。
あっ、石割桜が満開になったら、石割桜を眺めながら「桜風」を口ずさんで見たくなりました!
すごいですね!凄いです!
現在の幹の周囲は4.6m樹高は、と読んでいる間に数字ではなく想いが伝わってくるようで、どの角度からでも迫力にのみこまれそうです。
そして、
春になれば…桜が…風に舞うのですね…
一度チャンスがあったら、ご覧になると、不思議な力を賜れると思います。
今晩は。桜が、満開の時オカダミノルさんの桜風を、歌ったら素敵ですね。
(石割桜)花が咲いてない時も良いですね。
石割桜初めて見ました。本当植物の力強さが伝わる桜ですね。
確かに実際目の前で石割桜を見上げたら、自分がどれだけ非力で、小さな人間かと、気づかせてくれそうな桜の大木のように思います。
しかし、凄い‼️
でしょでしょ!
遠い遠い東北まで足を運んだ甲斐があったと言うものです。
江戸時代に誕生したと思われる、石割桜はみごとですね。どれだけのエネルギーが必要なのか興味があります。オカダさんも穢れ落としができたことでしょう。ぼくも若い頃は山に登って「命の洗濯」にいそしみましたが、いまはオジイになってなかなかそうはいきません。ところで、割られていく花崗岩も映え役として立派に見えます。
小説の中でしか知らなかった石割桜でしたから、感無量でした。
確かにエネルギーを授かった気がいたします。
訪ねて良かったと、心から思えたほどです。