毎日新聞「くりぱる」2004.6.27特集掲載⑥

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「俳人町長」

明和町長の木戸口眞澄さん(69/2004.6.27時点)。

父の影響もあり、10歳の年に句会にデビューした。

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デビュー作はと問えば、鸚鵡返しに「校庭に 叱られてる子 朝寒し」「毬のよう 猫走り出す 梅林」と、澱みなく(そら)んじる姿にただ天晴(あっぱ)れ。

「どっちか言うと、多作濫作(らんさく)の方やろな」と言うだけあって、一日に50句詠むことも(いと)わない。

まるで日常の会話そのものが、五七調の小気味いい調子を刻むようだ。

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毎日新聞「くりぱる」2004.6.27特集掲載⑤

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

擬革紙(ぎかくし)・三忠」

擬革紙(ぎかくし)とは、皮を模造した特製の和紙で、煙草入などに用いられた。

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伊勢参宮時に革の持込は、不浄とされその代用品に。

古くは貞享元年(1684)、伊勢の国新茶屋村(現、明和町新茶屋)の三島屋忠次郎(三忠)により考案されたとか。

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時代の変遷の谷間で、昭和10年(1935)に擬革紙の需要が減り、三忠も廃業し加工技術も途絶えたままとなった。

八代目当主の堀木茂さんは、擬革紙復興に努める。

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掘木さんのまちかど博物館「擬革紙三忠」(明和町新茶屋)は予約制。

(*いずれも2004.6.27時点)

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毎日新聞「くりぱる」2004.6.27特集掲載④

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「松ぼっくり・つり天国」

まさにその名に違わぬ、明和町川尻にある「松ぼっくり・つり天国」という鯉の釣堀だった。

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何故なら釣上げた鯉の背(びれ)に印しがあれば、釣堀1時間無料券か、鰻弁当がプレゼントされる。(2004.6.27時点)

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営業は、朝9時から日没まで。

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大人1時間¥1.000、中学3年以下なら¥700。(2004.6.27時点)

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毎日新聞「くりぱる」2004.6.27特集掲載③

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

下御糸(しもみいと)漁港の漁師」

伊勢湾に面した小さな下御糸(しもみいと)漁港。

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老いた漁師が船の上で、漁具の修繕に追われる。

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「今し海苔も休みやで、もっぱらアサリとバカ貝(青柳)捕りやさ」。

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老いた漁師は、真っ黒に潮焼けた顔を綻ばせた。

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毎日新聞「くりぱる」2004.6.27特集掲載②

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「三重県明和町斎宮(いつきのみや)界隈」

今回の「素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)」は、三重県明和町にお住まいの読者Sさんからのリクエストで、斎王(さいおう)まつりが雅やかに繰り広げられた、斎宮(いつきのみや)のある明和町へ。

本来ならば、この町をSさんの案内で訪ねてみたかった。

しかしご本人は幼い頃よりの難病で、現在も入院加療中とのこと。

Sさんが愛して止まない明和町への想いを感じながら、王朝浪漫にひたる道程をのんびり漫ろ歩いてまいります。

「ここらはなあ、(なん)もあらしませんのさ」。

斎王まつりの実行委員長を5年務める、Y.Hさん(54)が笑った。

待ち合わせた国史跡斎宮跡休憩所では、斎宮で賑わいを見せた当時のレシピが再現され、砂糖や醤油も一切使わない、酢味噌を中心とした斎王御膳(¥2.000-)や斎王弁当(¥1.000)が楽しめる。

御糸(みいと)の海岸で青柳がようけ取れるんさ。剥き身んしてな、(たらい)ん中の塩水につけて時計と反対周りにぐるぐる回すと、不思議な位に砂を吐き出すんさ。それを天日で干物にしたら最高やさ」。

Hさんは郷土の恵みを誇りながら、自慢げにつぶやいた。

「ここがなあ、菖蒲の原種と言われる天然記念物の、野花菖蒲の群生地なんさ」。

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普通の菖蒲の半分の背丈にも満たない、野花菖蒲が辺り一面を深い藍色に染め上げている。

花屋の店先で見かける菖蒲とは、明らかな違いだ。

背丈も然ることながら、花弁の青色が全く異なる。

野花菖蒲の深く濃い藍色は、500人を従えたと言われる斎王郡行の、雅に彩られた色香を今に放つようだ。

いや、待てよ!

今確かに・・・、十二単に身を包んだ高貴な皇女の乗った葱華輦(そうかれん)(斎王を乗せる輿)が行過ぎていったような気が・・・。

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「紫陽花の 斎宮園に 酔う至福」

どなたかが詠まれた連句の一遍。

さあそれでは、斎王まつりに彩られる明和町の王朝浪漫を、のんびりと漫ろ歩いてまいりましょう。

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毎日新聞「くりぱる」2004.6.27特集掲載①

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「斎宮(いつきのみや)界隈」

野花菖蒲に染め抜かれ、いつき野の郷に今年も忘れず夏が訪れる。

いにしえの雅やかな彩りで埋め尽くし、斎宮(いつきのみや)斎王(さいおう)まつりは、静々とした旋律をたゆたえ王朝絵巻を(うつつ)の世に導く。

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祭りの後の静けさは、やがて訪れる蝉時雨までのわずかな休息。

ここ三重県明和町は、隔世の感が随所に溢れる特異稀な地だ。

皇女が(みそ)ぎの居を構えたことにも頷ける。

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聖なる地の面影を宿した町だ。

だからなのかどうかは不明だが、駅前に喫茶店も食堂も、土産物屋も見当たらない。

何処ぞに面白い人はいないかと、道行く老婆と立ち話。

「あの家なあ土佐犬ばかり、5頭も()うとるんさ」と。

そう聴かされては、黙って通り過ぎることなど出来ない。

怖い物見たさと相まって、恐る恐る訪ねて見た。

「この子はサクラちゃん言うてなあ」。

三重県明和町の田端憲子さん(55)は、立派な土佐犬を撫で上げた。

「???エエッ?サクラちゃん?」。

何とも容姿に不釣合いな名前だ。

「何でサクラちゃんなの?」。

機嫌を損ねぬように切り出した。

すると「そりゃあ、桜の頃に家に来たからやさ」。

なるほど、あまりに短絡的過ぎて二の句の告げようもない。

憲子さんが土佐犬を飼い始めたきっかけは、不審者を威嚇するのが目的だった。

最初に憲子さんの元にやって来た、青森生まれの土佐犬は、生後3ヶ月、体長約30cmのあどけない顔の雄犬。

北島三朗に似ていることから「サブ」と名付けられた。

どうやら名付けの遍歴は、この時から始まったと見るべきか。

サブは成長するにつれ、勇猛果敢振りを発揮。

ついに6歳の年に、第70代の全国横綱を張った。

四股名(しこな)はその名も「斎王号」と名乗り、今年短い生涯を終えた。

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「あん時は泣けて泣けてなあ」。

横綱の化粧回しで締め上げた在りし日の「サブ」。

大きな遺影を憲子さんは指差した。

2頭目は、3年前に他界したサブの妹。

「のぶえちゃん」と名付けられた。

再び「今度は何で?」と問うた。

「ああ、女の子やったで松原のぶえの『のぶえ』やさ」。

もうおのずと、他の名前も想像がつく。

「この子が、山本譲二のジョージ。こっちが、渡哲也のテツヤ。それと筍の頃に来たタケと、サクラの子供で、ボブ・サップみたいに強くなれと願ったボブ」。

今現在は、サクラを入れて全部で5頭。

一日朝晩2回の食事は、直径80㌢もある大きな鍋で、煮干や肉と野菜を煮込む。

1頭1回分の食事の分量は、大きなアルミの洗面器の半分。

大会を控えた朝夕の散歩は、1回5~6㌔の道程を軽トラックで引っ張る。

遠めに見れば土佐犬と言えどもやはり犬。

可愛らしく思えるが、いざ近寄ってみれば、雄犬の顔や身体のあちこちに牙の跡も生々しい。

年間7ヶ月に及び転戦が続く。

「それがこの犬の宿命なんさ。だから普段は思いっきり可愛がってやるんさ。試合の時は土俵に一緒に上って、私らもこの子らと共に闘っとんやでなあ」。

愛し方は千差万別。

猫可愛がりだけが愛ではない。

帰りがけ憲子さんがぼくを見送った。

離れた犬小屋から「ウオンウオン」。

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大きく太い鳴き声。

だが怒っているようになどは聞こえない。

愛しい飼い主をひたすら呼び続ける、けなげな甘え声のよう。

なぜかぼくには、そう聞こえてならなかった。

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毎日新聞「くりぱる」2004.5.30特集掲載⑦

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「オグラ洋傘店」

ナビを勤めて頂いた、小倉登羊衣(とよえ)さん(68)の洋傘店。

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店内には所狭しと、カラフルな傘の花が咲き乱れる。

「友達の傘を壊しちゃって・・・」。

中学生くらいの女の子が、心細げに訪れた。

「どんなのだった?」。

「水色の・・・」。

「水色ねぇ・・・」。

登羊衣さんは、数ある傘の中からあっと言う間に水色の傘を選り出した。

「今はこんなのしかないねぇ」。

「・・・・・・」。

「ちょっと違う?お友達と相談してからまたおいでよ」。

女の子に笑顔が戻った。

「ありがとう、おばちゃん。そうする」。

清々しい後姿がアーケードを駆け抜けた。

「売るだけが商売やないんやて」。

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その姿を見送るようにつぶやいた登羊衣さんの言葉が、いつまでもぼくの心に優しく響いた。

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毎日新聞「くりぱる」2004.5.30特集掲載⑥

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「船町・投句箱」

「むすびなら 君の手塩と 春の香」

な~んて調子で、投句箱の前で腕組して即興句を吟じていると、どこぞかの寺から「ゴーン」と捨て鐘が届いて来た。

やれやれ。

俳諧心もままならぬ無粋者ながら、ついつい場所柄にほだされ一句詠みたくなる不思議さ。

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この地で一句詠まれた暁には、「奥の細道むすびの地」の投句箱にご投函あれ。気分は忽ち芭蕉侯にまっしぐら請け合い。

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毎日新聞「くりぱる」2004.5.30特集掲載⑤

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「にしだHANATEN」

アーケードの一角。

季節を越えた美しさが、バスケットの中に咲き乱れ、手に取る人の訪れを待ち侘びている。

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「元々庭師から始まった創業の歴史は、明治後半まで遡ります」。

5代目・西田義信さん(38)は、忙しそうに切花の組み合わせに追われる。

ブーケから仏花まで、花のことなら出来ないものは何一つ無い。

「従業員も皆、家族みたいなもの」。

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この店に勤めて32年になるという、水野さんが傍らで笑った。

その言葉通り、店内には絶えず誰かの笑い声が飛び交う。

まるで花畑を舞う蝶のように。

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毎日新聞「くりぱる」2004.5.30特集掲載④

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「ビリヤード・エグロ会館」

「ここにも昭和の生き証人のような建物が!」。

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戦後間も無く開店した、ビリヤード場。

中に入ってこれまたビックリ。

ワンフロアー見渡す限り柱が1本も無く、天井がとにかく高い。

「昔は4ツ玉ばっかやったよ。紳士のスポーツやったでね」。

店番の江黒千鶴子さん(67)は、品の良い笑顔で笑った。

昔は3~4人の「ゲーム取りさん」と呼ばれる女性が常駐し、ゲームの進行に合わせて算盤に点を入れたというから、何とも優雅な昭和の風景が羨ましい限り。

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昔の若者たちは、ビリヤード場が重ねた年月と共に(よわい)を重ね、今ではプロ級の達人揃いとか。

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