「昭和Nostalgia」(466)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

子どもの頃の遠足のお菓子として、このチューレットを買った事がありました。

チューインガムのようでもあり、キャラメルのようでもあるような、とにかく不思議な食感で、最後はチューインガムのように味の無くなったガムが残るわけでもなく、キャラメルのように姿形も消え果ててしまい、大いに驚かされたものでした。

子どもの頃の、その日暮らしの様な、1日10円玉一個のお小遣いじゃとても手が出せず、遠足の日や盆暮れの特別な日にしか、買い求められなかった気がいたします。

写真は参考

それもそのはず、そもそもチューレットの宣伝文句は、「食べられるガム」が売りだったようです!

それを知っていて買ったのか、それを知らずたまたま買ったチューレットを初めて口にし、溶けて消え果てる、ガムのようなキャラメルのような物体に、度肝を抜かれたのでしょう!

これまた記憶の彼方でしかありません。

このチューレットは、昭和31(1956)年に発売が開始されたそうで、「子供が飲み込んでしまっても大丈夫なチューインガム」をとの、消費者の声に応じて開発された、「チューイングソフトキャンディ」って代物だったようです。

ガムとキャラメルが混ざったような味わいが、当時の子どもたちの人気の的となったとか。

写真は参考

大人になってから、あのチューレットをもう一度食べて見たくなって、菓子屋を探し回った事がありました。

でももう、そんな頃には、森永と言うメーカー名も、ましてや「チューレット」なる商品名も覚えてなど無く、結局探し当てられずに諦め果てたものでした。

そしてネットであれこれ検索している内に、それが「森永チューレット」だったとやっと探し当て、それとなく読み進んでみると、昭和50(1975)年に初代チューレットの内容や、包装がリニューアルされ、現在のハイチュウへ取って代わった事を知りました。

写真は参考

だからいくら探したって、昔買った当時の記憶の残像に残っていた、そんなチューインガムのようでもあり、キャラメルのようでもあった「チューレット」を探し出せなかったってぇ事になります。

とは言え、今さらながら昔を思い出し、「ハイチュウ」でも買ってみるかってぇ気にはなりそうにありません。

なんせお洒落に生まれ変わった「ハイチュウ」ってぇ奴に、昭和半ば生まれのオヤジにゃあ、どうにもこーにも馴染めなくっていけません!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です