「素描漫遊譚」
「桑名市界隈」
今回の「素描漫遊譚」は、ゴンチキチンの鉦の音に酔う、天下の奇祭「石取祭」を次週に控える三重県桑名市へ。
七里の渡しから揖斐川沿いを南へ。

戊辰の戦では朝敵の汚名を浴びせられながらも、最後まで徳川への義を貫き通した旧桑名藩。
最後の侍たちの根城、桑名城址を右手に眺めつつ、崇高な武士道精神は持ち合わさぬが、旧東海道を行き交った江戸時代の庶民を想いうかべ、のんびりと漫ろ歩いてまいります。
揖斐・長良の一級河川は、河口から5㌔ほど上流で合流し、そのまま伊勢湾へと注ぎ込む。
ちょうど揖斐・長良が一つに交わるあたりには、沢山の漁船が係留されていた。

「あれれ?」。
日影一つ無い堤防を、ズンズン突き進む。
その向うからこちら岸に向かって、何とも涼しげなパンツ一丁の漁師が、小さな漁船を操っている。
伊勢湾からの南風が川面を遡上し、赤銅色に日焼けした老人の白髪を揺らしていた。

「これ見てみい。ええシジミやろ。身がプリップリに入っとっんやさ」。
桑名市赤須賀の漁師・S.Mさん(71)は、今獲ったばかりという、バケツ一杯分の大粒のシジミを、船の舳先から岸に揚げた。
Sさんは、直径2㌢ほどの黒々としたシジミを、コンクリートに投げ付けて割り、貝の中身をご開帳。

「パンパンに身がつまっとんやさ。シジミ汁にするとええ出汁出るんやさ」。
5~6年ものの大粒が、この辺りにはゴロゴロとか。
「伊勢湾の潮水と、揖斐川の清流が混じりおうて、シジミもアサリもハマグリも、みんなよう育つんやろな」。

中学を出てから55年、海と川との狭間で、貝漁一筋に生き抜いた。
Sさんの唯一の趣味はカラオケとか。
自慢の喉をと所望すると、船の中央へと移動して腰を振り始めた。
「大ちゃんドバッと丸裸」と大きな歌声と同時に、ラクダの股引色したボクサーパンツをずり下ろしながら、艶かしい振り付けまで披露。
何とも大らかな、漁師町の風情に絶句。
さあそれでは、日本一やかましい、喧嘩祭としてその名を馳せる「石取祭」一色に染まる旧東海道の桑名の宿を、のんびりと漫ろ歩いてまいりましょう。
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漁師と言えば・・
我が家の嫁の父親は
昔、地元には、働くと言っても農業しかなく
義父は・・
夏場は長良川で漁師、冬は山へ入り猟師
時代の流れで漁師、猟師とも廃業
よく鉄砲の弾を作っていたそうです。
猟犬もいたそうですが、義父にしか、なつかなかったそうです。
アレ?漁師が猟師に話が変わってしまった(*_*;
日本語って難しいよねぇ⤴
そうそう、猟犬って特殊ですから、猟師さんだけにしかなつかないように育てているようですし、紀州犬にしても甲斐犬にしてもそんな猟犬としてのDNAをちゃんと受け継いでいるようですものねぇ。
夏場は鮎掛けさんで、冬場はマタギとは、男らしいお父様ですねぇ!
アサリのしぐれ煮のおにぎりやお茶漬けは好きですねぇ。ジャリってしないのがいい⤴️
ジャリッが無けりゃあ、あんなに美味しいものもありませんよねぇ。
でも時折りジャリッと来ると、いっぺんに興覚めです。
赤須賀漁港には、しぐれを売っているお店がいくつかあります。「伊勢志ぐれ」、「貝増」へ出向いて買いに行きます。蛤もいけすで売ってます。ボイル剥きのアサリ(中辛)とホタテ貝柱の佃煮がうまいです。
ポン吉さんも「貝増」へお出かけになられるんですねぇ。
大女将はお元気なんでしょうかねぇ。
懐かしいです。
赤須賀辺りは、山本周五郎の「青べか物語」に出てくる昔の千葉県浦安市の海沿いの街に似ています。
「青べか物語」は拝読したことがありませんでしたが、あの浦安も昔はそんな漁師町だったのですかぁ。
今じゃあTDLの町と化してしまった感がありますものねぇ。